第6話 初戦
翌朝、シェシも交えて朝食中のメリシャの部屋に、息を切らせたサリティスが飛び込んできた。
「メリシャ様、大変です!」
「どうしたの?サリティス」
サリティスの後ろには、シェプトとウゼルもいた。二人とも、厳しい表情を浮かべている。
「メネス王国軍の侵攻です!国境に近いラニルの町がすでに襲われたと…」
「王国からは何か言ってきたの?」
「いいえ、何も…」
「宣戦布告もなしに侵攻なんて…!」
メリシャはテーブルの上で拳を握り締める。
「メリシャ様、王国は我らを対等の国とは見ておりません。これは戦争ではなく、我々への脅しのつもりなのでしょう」
シェプトが言った。
「脅し?」
「…なるほど、王を殺されたヒクソスが反抗なんて考えないように、先制攻撃で戦意を潰してしまおうというわけね……意図としてはわかるけど、不愉快だわ」
フィルは言い、メリシャを見つめた。メリシャは不安そうに見上げるシェシの頭を軽く撫でて、立ち上がる。
「フィル、リネア、行こう!」
「そうだね」
「はい。行きましょう」
フィルとリネアを伴い、部屋の外へと歩き出しながら、メリシャは言う。
「ボク達はすぐラニルに向かう。シェプトとウゼルは動員できるだけの戦士を集め、アヴァリスの守りを固めて。サリティスは他の部族長たちにこのことを伝えなさい」
『ははっ!』
「誰か、ラニルまで案内できる人はいる?」
先頭を早足で歩きながらフィルが尋ねる。
「シェシが案内します。シェシも連れて行ってください!」
「シェシ…」
おそらく行く先ではメネス兵との闘いになる。シェシが自分から案内すると言ってくれるのは嬉しいが、戦場にシェシを連れて行くことをメリシャは迷った。しかし、メリシャの背を押したのはリネアだった。
「メリシャ、構いません。私が守ります」
リネアが微笑む。フィルもそれを止めなかった。ふたりが大丈夫だと言うなら、何も心配はいらない。メリシャも頷いた。
「シェシ、案内お願い!」
「はいっ!」
回廊を抜け、ウゼルとの決闘を行った中庭に出た。中庭の隅でメリシャは足を止め、シェシをそっと抱き留める。フィルとリネアの二人は、そのまま中庭の真ん中に進み出た。
二人の姿がゆらりとぼやけ、フィルは金色、リネアは赤色の眩い光に包まれる。思わず閉じた目を再び開いた時、その場には9本の尾をなびかせた金色の大狐と、その数倍の体躯を持つ赤褐色の巨竜がいた。
「あれは…フィル様とリネア様なのですか?」
少し体を震わせながら、シェシはメリシャを見上げる。
「そうだよ。フィルは大妖狐九尾、リネアは巨竜ティフォン、二人とも神と呼ばれた獣、神獣の力を持っているの」
「メリシャ、シェシ、乗りなさい」
フィルの声が響いた。
シェシの手を引いてフィルに駆け寄ったメリシャは、慣れた身のこなしでフィルの背に飛び乗る。柔らかな毛皮が二人を受け止め、メリシャは自分の前に座らせたシェシをしっかり支える。昔、リネアに自分がしてもらったように。
「いいよ、フィル!」
「よし、行こう!」
フィルは地面を蹴って高く空へと飛び上がる。そしてそのまま風を蹴って空を駆け出した。続いてリネアも竜の翼を大きく広げて巨体を空へと持ち上げ、フィルと並ぶ。
「シェシ、この姿は怖いかもしれないけど、我慢してくださいね」
リネアの声で言った巨竜に、シェシは首を振る。
「最初は驚きましたけど、リネア様はリネア様です。もう怖くありません」
「ありがとうこざいます」
フィルとリネアは、シェシが示した方向、アヴァリスから大河イテルの流れに沿って上流へと向かう。
しばらく飛んだところで、向かう先に黒煙が高く上がっているのが見えた。
シェシが息を呑み、身体を固くする。ギリッと九尾の口元から歯ぎしりが聞こえた。
空から見たラニルは、村と言ってもいい程度の小さな町だった。
丸い広場を中心に、数十の小さな家が並ぶ。しかし、町に動く者の姿はない。
町はずれに着地したフィルは、メリシャとシェシを降ろし、狐人の姿に戻った。リネアも降下しながら狐人に戻り、隣に降り立つ。
「…遅かった…」
フィルが悔しげにつぶやく。視界に入る家々は黒く焼け焦げ、炎こそおさまっているが燻った薄い煙を上げていた。
「生きている人を探すよ!もしかしたら、まだ王国軍がいるかもしれないから、気をつけて。シェシはわたしたちの側を離れちゃだめだよ」
フィルの言葉に全員が頷く。フィルたちは周りの気配を警戒しながら町の中へと歩を進めた。
時折、燃え尽きた家の屋根や柱が崩れる音がする。しかし、町の中には、人の声も、動く音もしなかった。
「フィル!」
メリシャが駆け出した先には、半ば崩れた家の壁にすがるように、ぐったりと足を投げ出した幼い子供の姿。しかし、抱き上げたその身体は、重く、固く、すでに冷たかった。
子供の様子を見たフィルは、手遅れだと気付いて俯く。失われてしまった命を取り戻すことは、九尾の力をもってしても無理だ。
「メリシャ…この子は助けられない…ごめん…」
メリシャは無言のまま、遺体をそっと地面に横たえる。そして、生きている者がいないか、町の中を走り回った。シェシも声を張り上げて生きている者を呼んだ。だが、それに応える者はいなかった。
町を襲った王国の兵がいない。一体、どこへ行った…町の真ん中で足を止め、フィルは考える。
アヴァリスからここまでの間に王国軍がいれば、空から気が付くはずだ。だとしたら、ラニルを襲った後、一旦後方に下がった…?
「待ち伏せ、でしょうか?」
フィルの考えを悟ったのか、リネアが小声で言った。
フィルは空から見た周辺の地形を思い出す。ラニルからアヴァリスの間は、大河イテルに沿って樹林が広がっている。だが、メネス王国との国境に近いラニルから南は、やや気候が乾燥していることもあって樹林が途切れ、国境付近は疎らに草が生えた見通しの良い平原になっている。
なるほど、そういうことか…敏捷で個人戦に強いヒクソスは、見通しの悪い樹林の中で相手をするには厄介だ。メネス王国が得意とする集団戦の利点を活かすには、見通しの良い広い戦場でなくてはならない。
王国軍は見せしめにラニルを襲い、ヒクソスの出方を見ようとしている。大人しく恭順するなら良し。もし反抗してくるなら平原に誘い出して叩く。それが王国軍の意図だとフィルは考えた。
だとしたら、それはフィルにとって好都合だ。平原に密集して布陣する軍勢なら、狐火で焼き払うのも容易い。
「メリシャ、わたしはこれから…」
「ボクも行く!」
「シェシも行きます!」
言いかけたフィルの声を遮り、メリシャとシェシが強い口調で言った。真っ直ぐに見つめる二人の視線に、思わずフィルは気圧される。
「…だけど…」
フィルは口ごもる。これからやろうとしていることは、できれば見て欲しくない。フィルは説得の言葉を探すが、妙案は浮かばず、仕方なく正直に言った。
「わたしがこれからやるのは、ひどい戦い…いや、虐殺だよ?」
「わかってる。それでもヒクソスの王様になるなら、ボクはちゃんとそれを見なきゃいけないと思うんだ。サエイレムの時から、フィルはそういうのをボクに見せないようにしてたよね?」
「それは…」
フィルは口ごもる。メリシャの言うとおりだった。
国を建て、治めるということはきれい事だけでは済まされない。フィル自身、軍を率いて戦ったことは幾度もあるし、パエラやシャウラに政敵の排除を頼んだことだってある。
建国を成し遂げた者の手は、必ずと言っていいほど血に塗れている。王として国を背負う者もまた、それから目を背けてはならない。だが、やっぱり血で汚れた自分の姿は、愛娘には見せたくなかった。
…それをメリシャに指摘される時が来るなんて…。
助けを求めるようにリネアを見たフィルだったが、リネアも、仕方ありません、というように軽く首を振る。フィルもそれで観念した。
「…わかった。ふたりともついて来なさい。…だけど、辛かったら目を閉じてもいいからね」
「うん」
「わかりました」
メリシャとシェシは、真剣な表情で頷いた。
フィルは九尾の姿となった。リネアは狐人の姿のままメリシャ、シェシとともにフィルの背に乗る。
フィルは軽く助走をつけて空に舞い上がると、メネス王国軍の姿を求めてラニルから南へと向かう。兵の姿を見逃さないようにあまり高くは飛ばず、地上に目を凝らす。
そして、樹林が疎らになってきた辺りで、フィルは王国軍と思われる姿を見つけた。
ラニルの町を襲ったのは王国軍の先遣隊であった。数はおよそ100人ほど。大半は歩兵で少数の弓兵が混じっている。
先遣隊と言えば聞こえは良いが、その実は拠点確保の名目で小さな村や町を襲い、虐殺や略奪を行うのが彼らであった。やっていることは盗賊団と変わらない。配属される者も、犯罪の懲罰として兵士にされた者や他の部隊で問題を起こした者など。
真っ先に相手国に入り込み、状況によっては捨て石扱いされる代わりに、そうした略奪行為が黙認されていた。
彼らからすれば、今回の任務は楽なものだった。戦士もロクにいない小さな町。相手はせいぜい素人が剣を振り回す程度。その分、金目の物も少なかったが、見目の良い若い女は慰み者にし、住民が身に着けている腕輪や指輪などの装身具を奪い取った。
彼らは隊列を組むでもなく、ぞろぞろと歩きながら、略奪した物を自慢し合っている。後ろから追いすがる大妖狐の姿には誰も気付いてもいない。
フィルは、先遣隊を先回りして木々の影に着地した。背中のメリシャたちを降ろしてリネアに任せると、フィルは狐人の姿になって彼らの前に姿を現す。
「メネス王国の兵だな?ラニルの町を襲ったのはお前たちか?」
血で汚れた剣や鎧を見れば、犯人が彼らなのは明白だったが、フィルは低い声で問う。
突然現れた獣人の少女に、兵たちは一瞬驚いた表情を浮かべるが、それはすぐにニヤニヤとした下卑た笑いへと変わった。。
「ヒクソスどもの生き残りか?」
兵の間から出てきた男が言った。他より多少見映えのする装備を着けている所を見ると、一応指揮官なのだろう。少し離れて見つめているメリシャたちを含め、全員が少女なのを見て、男は剣の切っ先をフィルに突き付ける。
「答えろ。ラニルを襲ったのはお前たちか?」
だがフィルは表情一つ動かさず、重ねて問う。全く動じないその態度に、男はつまらなそうに顔をしかめた。
「そうだ。だからどうした?お前が、仇でも討つつもりか?」
それが男の最期の言葉となった。言った瞬間、男の視界は青白く染まり、プツリと意識が途切れていた。
フィルの手のひらに青白い炎が生まれ、一瞬にして男を飲み込んだ。何が起こったのか理解する間もなく、男の身体は炎の中でボロリと崩れ、ほんの数舜で燃え尽きた。
「ラニルの民たちの仇だ。全員生きては帰さない」
無表情で兵たちを見つめるフィルの周りに数十の狐火が出現し、一斉に襲いかかった。剣など役に立たず、弓兵は矢をつがえる暇も無く、王国兵は青い火柱に変わる。
「ば、化け物っ!」
前に居た者から次々と炎に包まれていくのを見て、兵たちはパニックに陥った。無抵抗の住民をいたぶるばかりだった彼らは、逆に自分たちが襲われる恐怖に耐えられない。慌てて元来た方向に逃げようとするところを、フィルは軽々と跳躍して兵たちの前に立ちはだかる。
「う、うわぁぁぁ!」
転んだ仲間も構わず踏みつけ、再び踵を返した兵たちは我先にとフィルから反対方向に逃げる。
「くっ…お、お前ら、あいつの仲間か?!」
少し離れて見ていたリネアたちに気付き、そちらに向かう兵士もいた。人質にでもとろうというのだろうが、化け物が一人とは限らないのである。
「メリシャ、シェシ、私の後ろに」
静かに言ったリネアは、一瞬で竜人に変わる。振り下ろされた剣を素手で受け止め、握り潰した。そしてくるりと身を翻し、太い尻尾を横薙ぎに叩きつける。兵士は一撃で背骨を折られ、地面に転がった時にはすでに息絶えていた。
「こ、こいつも化け物だぁ!」
慌てて逃げ去る兵たちをリネアは追わなかった。
「リネア、逃がしていいの?」
不思議そうに言うメリシャに、リネアは軽く首を振る。
「何かお考えがあるようですから、王国の兵と戦うのはフィル様にお任せします。メリシャとシェシを守るのが私の役目です」
リネアの視線の先では、大量の狐火をまとったフィルが、逃げる王国兵たちを追い立てていた。フィルはゆったりと歩いているように見えるが、必死に逃げる兵たちはフィルを振り切れない。
ラニルで奪った戦利品はもちろん、武器までも放り投げて逃げ惑う兵たちを、一人、また一人と火柱に変えていく。あえて一度には燃やさず、へばって足を止めた者から仕留めていく。
後ろで仲間が燃える音を聞き、逃げる兵たちは更なる恐慌状態に陥る。汗と涙と涎を撒き散らし、さらには下半身からも無様に雫を垂らしながら必死に逃げる。
逃げる兵を追って森の外へ向かうフィルに、リネアたちも続いた。
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