第5話 シェシの決意

「サリティス殿、よろしいですか?」

 ウゼルとシェプトが退出した後、リネアがサリティスに声をかけた。

「はっ、なんなりと」

「メリシャとフィル様のお世話は私がしますので、使用人を付けて頂く必要はありません」

 メリシャは女王になった時にしばらく離れて暮らしていたこともあったが、フィルのお世話は初めて出会った日からずっとリネアの役目。それは誰にも譲らない。


「よろしいのですか?皆さまのお世話は神殿の巫女たちがいたしますが」

「いいえ。構いません。これは私が好きでやっていることですから、お気遣いは無用です」

 微笑みながらも、頑として言うリネアにサリティスも頷かざるを得ない。

「その代わり、というわけではありませんが、シェシを私たちに預けて頂けませんか?」

「シェシを、ですか…」

「はい。シェシはヒクソスの王族です。ぜひメリシャを手伝ってもらいたいのです」


「わ、わかりました。すぐにシェシを呼んでまいります」

「お願いします」

 サリティスが部屋を出て行き、メリシャがリネアに尋ねた。


「リネア、どうしてシェシを?」

「シェシには、メリシャのやることを側で見ていてほしいと思います」

「なるほどね…」

 フィルはリネアが考えていることがわかったようだ。

「…それって、ボクがフィルを見てたのと同じ?」

「はい。メリシャがフィル様から学んだように、シェシはメリシャから学んでもらえたらと」


 メリシャは、フィルが領地を広げ、内政を整え、色々な相手と交渉し、時には力で外敵を退け…そして王国の初代女王となるまで、ずっと側で見ていた。だから、フィルたちが王国から姿を消した後も、女王として立派に国を栄えさせることができた。


 フィル達の居場所は知っていたし、全く会えないわけではなかったが、一緒にいた頃のように頼ることはできない。王としての決断は、メリシャがしなければならなかった。

 フィルならどう考えただろう。フィルならどうしただろう。フィルのやることを見ていたおかげで、メリシャは為政者としてのノウハウを学んだのである。


「そうだね。ボクたちがいつまでも王様やってるわけにはいかないもんね」

 メリシャが王としてヒクソスを率いるのは、この危機を乗り越えるまでだ。国を建て直すことができたら、次代に王座を明け渡してこの世界から去るだろう。その時にはやはり、自分達をここに呼んだシェシに後を託したい。


 メネス王国との問題を解決するとともに、武勇ばかりを貴ぶヒクソスの社会も改革し、シェシがヒクソスの女王となれる環境を整えておかなくてはならない。そしてシェシ自身にも女王としての資質を磨いてもらわなくてはならない。


「わかった。ボクじゃ、フィルみたいにはうまくできないかもだけど…」

 フィルは、自分より背の高くなったメリシャを少し背伸びして撫でる。

「大丈夫。メリシャはもう十分立派な女王様。わたしたちの自慢の娘だよ。もっと自信持ちなさい」

「ありがとう」

 くすぐったそうにメリシャは目を細めた。


「あとは、誰をメリシャの側近に取り立てるか、だけど…」

 フィルは真面目な表情で言った。


 サエイレム王国の成功は、決してフィル一人の功績ではない。行政の面で支えてくれたテミス、グラム、フラメア。軍事ではバルケス、エリン、ウェルス。密かに諜報や護衛に活躍してくれたパエラとシャウラ。たくさんの側近たちが力を貸してくれたからこそだ。そんなことはフィル自身が一番よくわかっている。


 だから、ヒクソスの王に就いたメリシャにも、自身を支えてくれる優秀な側近が必要だ。しかし、少数ながらエルフォリア譜代の家臣がいたフィルとは違い、メリシャはヒクソスの中から信頼できる者を見極めなくてはならない。


「神官長のサリティスや神官団には協力してもらうとして、やっぱりシェプトとウゼルの影響力は利用したいかな。でも、今後のことを考えると、本人たちには部族長として少し距離を置いてもらって、それぞれから信頼のできる若い世代を推薦してもらった方がいいんじゃないかと思うんだけど」


「うん、わたしもそう思う。…誰を側に置くかは、メリシャが自分で選ぶといいよ」

 メリシャの答えに、フィルは満足そうに頷いた。


「メリシャが体制を固める間に、わたしはヒクソスの戦士の方を鍛え直すつもりだから」

「鍛え直す?」

「そう。ヒクソスは個人の武勇に拘り過ぎてて、集団で押し寄せるメネス王国軍に勝てない。メネス王国と戦うためには、ヒクソスの戦士にも集団戦を叩き込まないとね」


 当然ながらヒクソスとて武勇に秀でた者ばかりではない。これまでのヒクソスは、武勇に秀でていない者は戦いの役に立たないと切り捨てていた。

 だが、それでは集団戦には勝てない。武勇の優劣が全てではなく、必要な役割と求められる能力に応じ、限られた兵力を効率よく配置しなくてはならない。


 フィルが知っている帝国軍やエルフォリア軍の戦術は、集団戦の最たるものだ。武勇に秀でた一部の者には相応の役割が、そこそこの武勇を持つ大勢にもそれに合った役割がある。それをうまく組み合わせるのが集団での戦いだ。

 ヒクソスの戦士たちにも、それができるようになってもらわねばならない。


「わかった。そっちはフィルに任せるね」

「うん。任された。…まずは、戦士どもの無意味なプライドをへし折るところからかな」

 フィルは、にやぁっと黒い笑みを浮かべた。  


 しばらくして、サリティスがシェシを連れて戻ってきた。シェシの表情は緊張で固くなっている。

「リネア様、シェシをメリシャ様の側にと伺いましたが…シェシがお側にいても、何の役にも…」

 シェシは戸惑いながらリネアを見上げた。

 王の娘であり、サリティスの下で神官としての勉強しかしてこなかったシェシは、侍女としてメリシャたちの世話もできない。正直、どうすればいいのか全く分からなかった。


 シェシのことをリネアに任せ、メリシャはサリティスに声をかけた。

「サリティス、早いうちに側近としてボクを手伝ってくれる者を選びたいんだけど。先ずサリティスは協力してくれると思っていいのかな?」

「もちろんです。お役に立てるよう努力いたします」

 サリティスは即答した。


「ありがとう。では、明日、シェプトとウゼルを呼んでほしい。二人にも側近の件を相談したいから」

「側近にされるのですか?」

「いいえ、彼らには部族長としての立場があるから側近にはできない。彼らの信頼に適う部族の若者を推薦してもらおうと思ってる」

「なるほど。自身が推薦した者であれば、彼らとしても協力せざるを得ない、と?」

 メリシャは軽く頷いて言葉を続ける。


「あと、軍事についてはフィルに任せようと思う。ヒクソスの軍はどうなっているの?」

「各部族の戦士たちの寄せ集めで、各部族の戦士に対する指揮権は部族長が握っています…シャレクもそれで苦労していました」

 サリティスはため息をついた。部族の都合などで命令を無視されるようなこともあったのだろう。


 メリシャはフィルに目配せする。ひとつ頷いてフィルが口を開いた。

「サリティス、後でシェプトとウゼルにも伝えるけど、わたしはヒクソスの軍そのものを見直すつもり。まず戦士は部族に関係なく能力によって役割を与え、役割毎に部隊を編成する。指揮官ももちろん部族に関係なく選抜する」

 それは一つの部隊に様々な部族の戦士が入るということだ。それは実質的に部族長の指揮権を取り上げることに等しい。


「フィル様、それはさすがに部族長達の反発が…」

「反発も何も、それでメネスに勝てなかったから今の状況があるんでしょう?文句があるなら、メネス王国軍に勝ってから言えと伝えなさい」

「はっ…」

 やや困惑した表情を残しながらも、サリティスは返事をした。その様子に、フィルは少し厳しい視線を向ける。


 …今までのやり方では現状を変えられない。だけど、人間でも魔族でもヒクソスでも、多くの者は急激な変化を恐れ、嫌う。それはわかっているが、現状を変えたいと望み、フィルたちを呼び出した本人が尻込みしていたのでは困る。


「サリティス、とんでもない疫病神を召喚したと思ってる?」

 メリシャは、跪くサリティスの前にしゃがんだ。

「神を召喚すれば、その力でメネス王国を懲らしめてくれる、そう思っていたんでしょう?」


「い、いいえ、決してそのようなことは…」

 サリティスは口ごもる。正直言えば、メリシャの指摘は図星だった。神の力でメネス王国に対抗し、あわよくばメネス王国に勝利する。そんな未来を期待していた。


「サリティスもシェシも、神様に期待しすぎだよ」

 やや突き放すような口調で言ったメリシャに、サリティスだけでなくリネアと話していたシェシもピクリと身を震わせた。


「ボク達が神の力を使ってメネス王国を懲らしめたとしても、ヒクソス自身が今のままじゃ、もっとひどいことになるよ」

「…そ、それも、『見』られたのですか?」

 恐る恐る、という様子でサリティスが訊く。


「うん。フィルとリネアが神獣の力でメネス王国を滅ぼした後の未来。当然、役目を終えたボク達はこの世界から出て行くわけだけど、残されたヒクソスが、その後どうなったと思う?」

 フィルもその結末は聞いていない。だが、想像はできた。大きな外敵がいなくなり、強力に国をまとめられるリーダーもいない、そんな国がどうなるか。


 メリシャに見つめられたサリティスもシェシも黙っている。不安げなその表情で、良くない未来を想像しているのはわかった。

「部族同士で争い合う、内乱が始まった。そして、その隙に東からやってきた異民族に侵略され、滅びてしまう…今からたった10年後だよ」

「…そんな!」

 シェシが悲鳴のような声を上げる。

「いくら神の力を持っていても、去った後のことまでは面倒見切れない。神さえ呼べば何でも解決するわけじゃないんだよ」

 メリシャは言わなかったが、妙齢になっていたシェシは、異民族の兵たちに捕らえられ…その末路は言わずともわかるだろう。


「…あのっ!」

 シェシは、ぎゅっと服の裾を握ってメリシャを見つめていた。だが、言いたいことがまとまらないのか、黙り込んでしまう。

 だが、メリシャはシェシの言葉をじっと待ち続けた。


 しばらくして、絞り出すようにシェシは言う。

「メリシャ様…シェシは…自分の命さえ捧げれば、きっと神様が何とかしてくれる、それでヒクソスは助かると思っていました。だから、シェシは生贄になりました」

「そう…」

 メリシャは一瞬言葉を詰まらせ、躊躇うように視線を床に落としたが、すぐに顔を上げてシェシの目を真正面から見つめた。


「…シェシ、命を捨てて神を呼ぼうとした時、それで自分も楽になれると思わなかった?」


 シェシは、しばらくの間ぽかんとした表情を浮かべていたが、やがてその目に見る見るうちに涙が浮かび、頬を伝った。そして、両手で顔を覆ってその場に膝をついてしまう。

「ごめんなさい、メリシャ様…ごめんなさい…!」

 しゃくりあげながら、シェシは身体を震わせる。指の間からポタポタと涙が床に落ちた。


「シェシ…」 

 メリシャはシェシに近づき、その小さな身体を胸に抱き寄せた。

「ごめんね。厳しいこと言ったね」


「いいえ、メリシャ様の仰るとおりです。シェシは、何もできない自分が嫌で、でもどうしていいかわからなくて、だから…」

 生贄になることで、自分の役目をきちんと果たしたと思いたかった。でも、それは全てを放り投げて楽になりたかっただけではないか。シェシはメリシャの胸の中ですすり泣いた。


「シェシは、ヒクソスの民がもっと安心して暮らせるようにしたいって言ったよね。今でもそう思ってる?」

「はい。父様はずっとシェシにそう言っていました。シェシもそうなったらいいと思います。でも、シェシには、そんなこと…」

「わかった」

 メリシャは、シェシの肩を手を置いて少し身体を離す。そして、不思議そうに見上げるシェシに言った。


「シェシ、これからボクたちがやることをちゃんと見てて。わからないことは何でも訊けばいい。…将来、シェシが王様になった時に困らないようにね」

「シェシが王様、ですか?!」

「そうだよ。ボクたちがヒクソスをちゃんと救えたら、あとはシェシに継いでもらう。…ボクもね、そうやってフィルから教わって、フィルの跡を継いだんだよ。これでも、前の世界では百年くらい女王様やってたんだから」


「そう、なのですか…?」

「ボクは、シェシよりも小さい頃にお母さんを亡くして、独りぼっちになったところをフィルとリネアに助けられたの」

「…でも、フィル様やリネア様より、メリシャ様の方が年上に見えます…」

「フィルとリネアは、本当に神様みたいなものだから、ボクが初めて出会った時から姿が全く変わってないんだよ。もう500年以上になるかな…ボクは少し大きくなったけどね」

「500年も……」


「フィルとリネアは、それからずっとボクを育ててくれて、色々なことを教えてくれたの。フィルはすごく強くて、賢くて、リネアはいつも優しくて、温かくて、フィルとリネアがいなかったら、ボクは独りぼっちで死んでいたかもしれないし、運よく生き残れても、何もできなかったと思う。今のシェシと同じようなものだよ」


「メリシャ、ちょっと褒め過ぎ…」

「…恥ずかしいです」

 目を丸くしてメリシャの話を聞くシェシの後ろで、フィルとリネアが俯いて照れている。


「だから、今度はボクがシェシに教える。……偉そうに言っても、やっぱりフィルとリネアには手伝ってもらうことになっちゃうけど」

「そんなこと気にしなくていいの」

「そうですよ。メリシャ」

 少し恥ずかしそうに笑うメリシャに、フィルとリネアもくすっと笑った。


 メリシャの顔を見上げていたシェシは、そっと身体を離してメリシャの前で姿勢を正す。

「シェシ?」

「メリシャ様、シェシはメリシャ様のお側で勉強します。シェシは何をすればいいのか、何ができるのか、自分で考えてみます!」

 そう言ったシェシは、もう泣いてはいなかった。

「うん。シェシ、一緒に頑張ろうね」

「はい。メリシャ様!」

 真っ直ぐに自分を見つめるシェシの髪を、メリシャはそっと撫でた。

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