第4話 メリシャの考え

「始め!」

 シェプトの声が響き、瞬間、ウゼルが地面を蹴った。

 さすがは獣人、思った以上に速い。だが、まだまだ…妲己は振り下ろされる戦斧を大刀の峰で弾き、そのまま石突きをウゼルの胴体へと突き込んだ。

 ウゼルはそれを左へ避け、頭の上で振り回した戦斧を横殴りに振るう。妲己は無理に受け止めようとはせず、頭を低くしてウゼルの腕の下をくぐり抜け、さっと跳躍して間合いをとった。


「なるほど、口だけではないようだ…」

 ウゼルは妲己に向き直りながら目を細めた。ウゼルの戦闘スタイルは一撃必殺。初手で振り下ろした斬撃は、手練れのヒクソスの戦士でも受けきれるかどうかのはずだ。

 それをこの娘は軽々と弾き、しかもそこから反撃に転じたのだ。仮にも神の現身を名乗る相手、侮っていたわけではないが、真っ向からの武技で受けてくるとは意外だった。もっと得体の知れぬ力を使ってくるのかと警戒していたのだが。


「安心なさい。あなたには武技だけで戦うことにする」

 ウゼルの思考を呼んだように、妲己はそう言って大刀を構えた。そして、にやっと口角を上げる。

「そうでなければ、ヒクソスの信用は得られない。…そうでしょう?」

 妲己の言葉に、ウゼルも初めて笑みを浮かべた。


 ダンッと強く地面を蹴って妲己が跳躍し、一気に間合いを詰めた。低く構えた大刀を下からすくい上げるように斬り付ける。ウゼルは逆に戦斧を振り下ろし、大刀の刃を受け止めた。

 ギッ!と金属が擦れる音がし、ウゼルの戦斧が更に大刀を押し込もうとした瞬間、妲己はスッと刃を引く。肩透かしを食らったウゼルがわずかに体勢を崩した隙に、妲己はくるりと大刀を半回転させ、石突きの側をウゼルの頭上目掛けて振り下ろした。


「…っ!」

 人間なら確実に脳天を打ち据えられていたところを、ウゼルは辛うじて避けた。が、頭への直撃を避けるのが精一杯、妲己の一撃はウゼルの左肩に入った。

 顔をしかめながらも後ろに飛び退いたウゼルは、小柄な娘とは思えない打撃の重さに驚いていた。石突きだったから良かったが、もしも打ち付けられたのが刃の側であったなら、ウゼルの左腕は根元から切り落とされていただろう。


「むぅ、やはり見た目通りではないか」

 ウゼルはつぶやきながら、痛む肩を撫でた。骨には異常はなさそうだ。まだ戦える。妲己は、大刀を肩に担ぎ、じっとウゼルの様子を見つめている。


「いざ!」

 戦斧を振り上げ、ウゼルは妲己に突進した。低く大刀を構えた妲己はその場を動かず、息を整える。

 ゆるりと大刀の切っ先が下がり、振り下ろされるウゼルの戦斧に向かって斬撃を放たれた。周囲からはウゼルの戦斧を、妲己の大刀が受け止めた、ように見えた。


 刃が交錯した瞬間、ギィンッ!と甲高い音がした。数瞬の後、ドスッと鈍い音がして、広場の地面に何かが突き刺さる。


「…なっ…」

 大刀を振り抜いた姿勢のまま自分を見つめる妲己に、ウゼルは言葉を失った。ウゼルの持つ戦斧は、その刃の上半分が切り飛ばされていたからだ。


 鉄剣すら両断する妲己の斬撃に、強度に劣る青銅の武器が耐えられるはずもない。しかし、当然ながらそんなことができる者がそうそういるわけがなく、少なくともウゼルは金属の武器が切り飛ばされるなど、考えもしていなかった。

 

「どう?武器を交換してまだやる?」

 すいっと大刀の切っ先をウゼルに突きつけ、妲己は笑う。ウゼルは驚いた表情で、磨いたような切断面を見せる自分の武器を見つめていたが、やがて腕の力を抜き、戦斧を降ろした。


「儂の負けだ……これまでのご無礼、お許しください」

 ウゼルは言葉遣いを改め、妲己の前に跪いた。ふっと笑って妲己も構えを解く。


 だが、その瞬間、騒ぎが起こった。

 決闘を見守っていたメリシャに、部族長達の側にいた二人の戦士が突然斬りかかったのである。


「止めろ!」

 慌ててウゼルが怒鳴ったが、戦士たちはメリシャへと湾曲した剣を振り下ろす。次の瞬間、ガッと固いものがぶつかる音がして、戦士たちの動きが止まった。


「これは、どういうことでしょうか?」

 落ち着いた声がした。声の主はリネアである。

 彼女はメリシャの前に立ち、頭上に掲げた細い腕で振り下ろされた剣を受止めている。その腕は赤褐色の鱗で覆われていた。


「メリシャを傷つけることは許しません!離れなさい!」

 リネアがぐいっと腕を振るうと、リネアより体格の大きな戦士たちが弾き飛ばされるように宙を飛び、床に転がった。


「メリシャ、大丈夫ですか?」

「うん、平気。ありがとう」

 メリシャが笑うと、リネアはホッとした表情を浮べてメリシャの傍らに戻った。


「素手で、剣を…」

「リネアを怒らせたら、この街など一夜で消し炭になるわよ。気をつけなさい」

 ウゼルのつぶやきに、妲己はに笑いながら言った。

 リネアは巨竜ティフォンの力を持っている。ヴィスヴェアス山すら崩壊させたその力は、その気になれば街ひとつ焼き払うことくらい造作もない。


「その愚か者どもを捕らえよ!」

 シェプトが叫び、我に返った他の戦士たちが、床に転がった襲撃者を慌てて取り押さえた。


「リネア、さすがね」

「妲己様も、お見事でした」

「ま、軽いものよ…じゃ、あとはフィルに任せるわ」

 すぅっと瞳の色が紅色に変わる。戻った途端、フィルは、そっとリネアに顔を寄せた。


「リネア…怪我してないよね?」

「はい。もちろんです」

 リネアは、少し袖を上げてきれいな腕をフィルに見せる。

「あんな剣でリネアを傷つけることなんてできないって、わかってはいるんだけど……」

 安堵したようにフィルは微笑む。

「……もしリネアやメリシャにかすり傷一つでも付いてたら、わたしがヒクソスを滅ぼすところだったわ」

 わざと周囲に聞こえるように、少し低い声でフィルは言った。


 シェプトとウゼルが並んでメリシャの前に跪いた。

「シェプト、ウゼル、決闘はフィルの勝ちのはず。それなのにボクに刃を向けるとはどういうこと?決闘で事を決めるのは、ヒクソスにとって神聖なものではなかったのかな?」

 メリシャの問いに、シェプトが苦い口調で答えた

「血気にはやった者たちが勝手なことを致しました。どうかご容赦下さい。お言葉の通り、決闘はヒクソスにとって神聖なもの。決闘により決まったメリシャ様の王位に、我ら一同異存ございません」


「襲い掛かったのは、一部の者たちの勝手な振舞いだと?」

「左様にございます」

 さてどうするか、メリシャは考える。

 許してしまうのが一番円満な解決方法だろう。寛大な態度で許せば部族長たちへの貸しにもなる。

 だが、今後は部族長たちを服従させ、王の権威を高めなくてはならない。厳しく処断し、反逆には厳しい対応をとるという見せしめにするのも一つの方法だ。


「メリシャ…ここは任せてもらえませんか?玉藻様に考えがあるようです」

 リネアがすっと前に出た。

「いいよ、任せる」

 メリシャが頷くのを見て、リネアははシェプトとウゼルの前に立った。


「シェプト殿、ヒクソスでは王に対する反逆は、どのように裁くのですか?」

「…はっ…」

 リネアの問いに、シェプトは一瞬躊躇したが神妙に答えた。


「正当に戦いを挑んでのことでなければ、理由に如何に関わらず、死罪です」

「メリシャはヒクソスの王となるのだから、罪人の処罰もヒクソスの流儀に従うのが妥当でしょう」

 あくまで冷静に、リネアはシェプトに言う。


「ヒクソスとしてメリシャへの叛意はないと仰いましたね。ならば罪に問うのはメリシャに刃を向けた二人のみ。彼らを王に反逆した罪人として死罪に処したいと思いますが、よろしいですか?」

「お待ちください!」

 声を上げたのはウゼルだった。

「この処罰、儂に任せて頂けぬでしょうか。メリシャ様を討とうとしたのは、我が部族の者たち。部族の長としてお願いいたします」

 リネアは、じっとウゼルを見つめ、小さく息をついた。


(玉藻様、死刑は許してあげられませんか?)

 リネアがシェプトに言った台詞は、全て玉藻を代弁したものだ。

 ただ…リネアとしては、このまま二人を処刑してしまうことには躊躇いがあった。


(リネアよ。ここで甘い顔をすると示しがつかんぞ)

(ですが、部族長の護衛に付くくらいですから、彼らはおそらく優秀な戦士です。今後のことを考えると、若い戦士を失うのは得策ではないのでは?)

 リネアの指摘も一理あると玉藻は思案する。

 訓練された戦士は一朝一夕では育てられない。今後、メネス王国と争う可能性を考えると、戦士が一人でも多く欲しいのは確かだが。


(だがな、メリシャを王として信頼していないのであれば、またいつ謀反に及ぶかわからぬ。……いや、…簡単に処罰するより手懐けてしまうのも良いかの…)

(玉藻様、何か良い方法を思いつかれたのですね?…良かったです)


「ウゼル殿、罪人を庇い立てするなら、部族自体に叛意ありと見做すことになりますが」

 玉藻との相談は伏せたまま、リネアはじっとウゼルを見つめて処罰の話を続ける。


「決して叛意などありません。ただ、彼らは若く優秀な戦士です。彼らを失うのは、部族としてもヒクソスとしても大きな損実。儂の責任で二度とこのようなことは起こさせないと約束いたします。どうか…」

 リネアはちらりとメリシャとフィルを振り返って小さく頷いた。二人が頷き返すのを見て、ウゼルに視線を戻す。

 処刑するつもりはもう無いが、それは無罪放免という意味ではない。当然、何らかの処分は行うが、それもメリシャの役に立つようにうまく利用できるようにしたい。


「ウゼル殿、王たるメリシャを襲った以上、その罪を問わないわけにはいきません。しかし、今はメリシャを王とし体制を固める方が大切な時です。此度の件は、後日、改めて判断することにしたいと思います」

 リネアは一旦処分を棚上げすることを告げた。

 …猶予を与えるから、王に対する叛意はないことを示せ、ということか。リネアの言葉をウゼルはそう理解した。


「メリシャ、これで良かったですか?」

「うん、いいよ。ありがとう、リネア」

 メリシャはウアス杖でカツンと床を突いた。


「改めて処罰を言い渡すまで、彼らの身柄は部族長たるウゼル殿に預ける」

『はっ』

 揃って頭を下げたウゼルとシェプトに、他の部族長や戦士たちもその場に跪いた。もはやメリシャが王となることに異議を唱える者はいなかった。


 部族長会議が解散となった後、メリシャはサリティス、シェプト、ウゼルの三人を部屋へと呼んだ。


「最初に言っておくけど、ボクたちはヒクソスがセトと呼んでいる神様じゃないから」

 砕けた口調になってメリシャは言った。

 だが、口調よりもその内容に驚いた三人は、呆然として言葉も出ない。特にサリティスは絶望とも言っていい表情を浮かべている。


「だけどボクたちは、こことは違う世界で神と呼ばれていたことがある。ボクはアルゴス族、フィルは大妖狐九尾、リネアは巨竜ティフォンと呼ばれていた。…ボクたちは、世界を渡る旅の途中だったんだけど、サリティスたちの召喚儀式によって、この世界に呼び出されたみたいなんだ。…そうだね、例えるなら、道を歩いていたら突然横から引っ張られて、知らない家の中に引きずり込まれたようなもの、かな?」


「メリシャ、その言い方はあんまりじゃない?…人さらいみたいに…」

 フィルがくすくすと笑いながら言う。

 だが、フィルたちの意思に関係なく、いきなり見知らぬ世界に呼び出されてしまったのだから、例えとしてはあながち間違ってはいない。


「この世界もヒクソスも、わたし達には関係ないけれど……呼ばれたのも何かの縁だし、わたしたちはヒクソスに力を貸してもいいと思ってる」

 フィルの言葉に、おぉ、とサリティスは表情を明るくする。だが、シェプトは冷静に尋ねた。


「フィル様とリネア様が神の如き力をお持ちなのは、この目で見ております。…メリシャ様もまた何か力をお持ちなのでしょうか?」


「ボクはフィルやリネアのように強いわけじゃないけど、未来を見ることができる。ボクの目は、百の未来を見通すことができるんだよ」

 孔雀の羽根の模様に紛れてメリシャの服を彩っていた百の目が、花弁がほころぶように開き、一斉にその視線をシェプトに向ける。

 己の全て見透かされてしまうような感覚に、シェプトは思わず息を飲んだ。


「…未来を見通す力」

 サリティスはつぶやき、そして恐る恐るメリシャに尋ねる。

「メリシャ様、もしやその力でヒクソスの未来もご覧になったのでしょうか?」


「見たよ。でも、ボクが見る未来はひとつに定まったものじゃない。これから起こる色々な選択の先にある百の未来を見るの。その中には、ヒクソスにとって良い未来もあれば、悪い未来もある」


「つまり、我らの選択がどんな結末を招くのか、また別の選択をしたらどうなるのか、メリシャ様には百通りもの結末が見えているということでしょうか?」

「そう」

「では、我らが今後どうすれば良いのか、メリシャ様にはもうわかっているのですね…?」


 期待して尋ねるサリティスに、メリシャは少し困ったような表情を浮かべた。そして、代わりにフィルが話し始める。

「この地に来る前…わたし達が生まれ、そして神となった世界には、人間と魔族…ヒクソスと同じ、人間とは少し違う種族たちがいた。そして、人間と魔族は長らく争っていて、多くの人間は魔族を嫌い、多くの魔族は人間を憎む、そんな関係だった」


 サリティスは、フィルの語る人間と魔族の関係が、今の自分達とメネス王国とによく似ていると思った。

「でもわたし達は、そこに人間と魔族が一緒に暮らせる国を興し、その国は数百年に渡って平和に繁栄した。メリシャが見たヒクソスの未来の中にも、ヒクソスと人間が一緒に暮らし、平和に栄える未来があった」 


 フィルの話を引き継ぎ、メリシャが口を開く。

「今度はボクが王になって、ここをフィルが興したような国にしたい。人間を滅ぼすんじゃなくて、ヒクソスと人間が一緒に暮らせる国を目指す。それに賛成してもらえるのなら、ボクたちはヒクソスに力を貸すよ」

 シェプトとウゼルは厳しい表情で顔を見合わせた。

 メネス王国は先王の仇であるだけでなく、ヒクソスから搾取を続けてきた憎き相手である。人間を全て滅ぼそうとまでは言わないが、王国を滅ぼし、人間達に目に物見せてやりたいというのが本音だった。


「メリシャ様、お言葉ですが、長年に渡るメネス王国への不満と憎しみはそう簡単に捨てられるものではありません」

「しかし、ウゼル殿、それでは!」

 慌ててサリティスが声を上げる。

 サリティスとてシャレクの仇が憎くないはずはない。しかしここでメリシャ達に見放されたら、これまでと何も変わらない。ヒクソスはこれからもずっと搾取され続ける。


「サリティス、今のメリシャ様たちのお考えを民に話し、賛同が得られると思うのか?」

「シェプト老…それは…」

 サリティスは言葉が続かない。確かに搾取に泣く民たちは納得しないだろう。むしろその憎しみがメリシャたちにも向かってしまうことも考えられる。

 先ほど、メリシャが少し困った表情を見せたのも、メリシャが目指す未来への選択が、ヒクソスの民の感情と一致しないことがわかっていたからだ。


 しばらく沈黙が続いた後、フィルは仕方なさそうに息を吐いた。

「わかった。ウゼルの言う事も当然ね。…わたし達の理想が簡単に受け入れられないのもわかる。どのみち今すぐにメネス王国と仲良く、とはいかないでしょうし、まずは、メネス王国の属国から脱却して対等の関係を目指す、ということでどうかしら?」


「フィル様、それはメネス王国と…人間と戦うということでしょうか?」

 シェプトの問いに、フィルは頷く。

「…メネス王国も簡単に属国を手放すとは思えない。当然、戦うこともあるでしょうね」

「よろしいのですか?…そのメリシャ様が仰ったことは…」

 遠慮がちにサリティスが訊ねる。


「仕方ないわ。わたしも人間には随分虐められたから、あなたたちの気持ちもわかるつもりだよ。けれど、自分達の意思を通したいなら、ヒクソス自身にも戦ってもらう。王国に勝つためには今までの戦い方を改める必要もあるし、もちろん相応の犠牲も覚悟しなくちゃいけない。それでもいいのね?」

「ははっ!」

「…承知いたしました」

 念を押すように言ったフィルに、ウゼルとシェプトは迷いなく返事をし、サリティスは不安そうな表情を浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る