第3話 部族長会議

 「リネア、『見て』もいいかな?」

 夕暮れ近く、メリシャは少し遠慮がちにリネアに訊いた。

 フィル=妲己は、少し勘を取り戻すと言って、王城の屋根の上で大刀の鍛錬中。部屋にいるのはメリシャとリネアだけだ。

「未来視を使うのですか?」

 窓際に立って外の風景を眺めていたリネアが、不思議そうに振り返る。


「うん、ヒクソスの未来がどうなるのか。もしかしたら、ボクが王になっても…何も変わらない…みんなを助けてあげられないんじゃないかと思って…」

 

「はい…それでメリシャの気持ちが晴れるのなら、いいですよ。でも、たくさんの血が流れる未来もあるでしょう。大丈夫ですか?」

 リネアは微笑みながらも心配そうな口調で言った。

 メリシャとて、もう幼子ではない。フィルもリネアも、メリシャが未来を『見る』ことに、以前ほど神経質にはならなくなっていたが、それでもやはり心配ではある。


「ありがとう。大丈夫だよ」

 にこっと笑ってメリシャは頷く。

「メリシャ、こちらへ」

 リネアは、長椅子に座るメリシャの隣に腰を降ろしてメリシャの身体を引き寄せる。ぽてんと倒れたメリシャはリネアに膝枕されている格好になった。


「私が付いています。安心して『見』なさい」

「うん」

 リネアの温もりを感じながら、メリシャはゆっくりと全身の目を開いた。孔雀の羽根を模した模様に紛れていたメリシャの百眼は、それぞれ虚空を見つめ、メリシャの脳裏に未来の出来事を映し出す。


 ある未来では、ヒクソスがメリシャのもとにまとまれず内戦状態となり、多くの民の命が失われた。

 ある未来では、ヒクソスがメネス王国を支配して傲慢な支配者と化し、メネス王国の民たちから憎まれることになった。

 ある未来では、ヒクソスとメネス王国の戦争が長期化し、双方の民が長年に渡って苦しむことになった。

 ある未来では、ヒクソスとメネス王国がひとつの国としてまとまり、かつてのサエイレムを思わせる賑わいを見せていた。

 ある未来では、フィル達がメネス王国を屈服させたものの、ヒクソスは部族同士の内乱に陥り、その隙を突いて別の国からの侵略が始まった。

 ある未来では、メネス王国との争いの最中にメリシャが暗殺されてしまい、怒り狂ったフィルが両国を滅亡へと追い込んだ。

 ある未来では、……


 どのくらい見ていただろう。どちらかという良くない未来の方が多かった。

 元々、メリシャの未来視は良くない未来を見る方が多い。未来がどうなるのか不安な状況で『見る』のだから、それも当然なのかもしれない。だが、良い未来も幾つもあった。


 メリシャの未来視は『見る』だけだ。まるで演劇でも見るように、第三者の視点で未来の出来事が克明に見える。だが、得られるのは見てわかる情報だけだ。望む未来に行き着くために、どうすればいいのか、何が必要なのか、全てがわかるわけではない。

 これまでには、メリシャが自分の見た未来と同じ行動をとったにも関わらず、なぜか全く違う結果へと繋がってしまったことだってある。


「メリシャ、大丈夫ですか?」

 薄く目を開けたメリシャを、琥珀色の瞳が心配そうに見下ろしていた。

「うん。大丈夫」

 優しく髪を撫でてくれるリネアの手の感触に安心する。


「どうでしたか?」

「悪い未来も多かったけど、……ヒクソスとメネス王国がひとつにまとまって、昔のサエイレムみたいな国になる未来もあったんだよ。ボクは、その未来を目指したい」

「そうなったら私も嬉しいです。きっとフィル様も」

「うん。…いい未来があって、ちょっと安心した」

「メリシャ、このまま少しお休みなさい」

 気が抜けたように小さく欠伸をするメリシャの頬に、リネアは優しく手を添える。メリシャは気持ちよさそうに目を閉じ軽い寝息を立て始めていた。 


 スタッと床に着地する音がして、屋根から妲己が飛び降りてきた。

「久しぶりに動いたら気持ちいいわ」

「妲己様、お疲れ様でした」

 リネアは少し抑えた声で言い、人差し指を立てて唇に当てる。


「あら、…メリシャは寝てるの?」

 手にしていた大刀をフッと消し、リネアに膝枕されているメリシャに金色の瞳を向ける。


「はい。久しぶりに未来視を使ったので……これからどうなるか、自分が王になって、本当にヒクソスを救えるのか、メリシャも心配だったみたいです」

「でも、何かいいものが見えたみたいね」

 メリシャの寝顔が少し笑っているのに気付いて、妲己も口元を緩める。その瞳が、すぅっと金から紅へと色を変えた。


「この国が、サエイレムのような国になる未来も見えたそうですよ」

 フィルはリネアの隣に座り、メリシャの寝顔を見つめる。

「…サエイレムみたいな国か…そんな国ができるのなら、しばらくこの世界で生きてみてもいいかもね」

「はい」

 フィルとリネアは顔を見合わせ、懐かしそうに微笑んだ。


 陽が落ちて、外がすっかり暗くなった頃、王城の大広間には、総勢10人の男たちが集まっていた。年齢はまちまちで、30代くらいと思われる者から白髪の老人までいる。


 部屋の奥の数段高くなった場所に、艶やかに磨き上げられた木製の玉座が置かれ、その前の床に敷かれた敷物の上に、左右に分かれて部族長たちが並び、腰を降ろしていた。

 召喚の時にいた神官団とシェシも部屋の隅に控えている。


 そこに姿を現したメリシャは、『ウアス杖』と呼ばれる自身の身長ほどもある長い杖を手にしていた。上端には獣の頭を模したような尖った彫刻が飾られ、下端の石突の部分は二又に分かれている。

 ウアス杖は、神セトが持つとされている力や支配を象徴する祭具であり、王の象徴であった。


 サリティスに先導され、メリシャ、フィル、リネアは部族長たちの視線の中を進む。その視線は、疑念、好奇、苛立ち、そして静観。

 メリシャ達を肯定的に見ているのは、シェシと神官たちだけだった。

 部屋の奥まで進んだサリティスは、スッと脇に避けてメリシャに道をあける。メリシャは小さく頷き、そのまま上段へと昇る石段に足を掛けた。


「待て!上段に上がることができるのは王のみ。どこの誰ともわからぬ小娘にそのような資格はない!…神官長、どういうことか説明してもらおうか!」

 左列の一番上座に座っていた、部族長が怒鳴り付けるように声を上げた。


「ウゼル殿、神セトの現身メリシャ様を小娘呼ばわりとは、無礼ですぞ!」

 負けじとサリティスも大声で応ずる。

「神の現身?これは異な事を聞く。確かにそこな二人には神セトを象徴するジャッカルの耳があるが、そのメリシャとやらは人間の小娘ではないか。神官長、まさかメネスの連中と謀っておるのではあるまいな?」

 ウゼルと呼ばれた部族長の発言に、居並ぶ部族長のうち何人かが同調して野次を飛ばす。

「こちらは、フィル様とリネア様。お二方はメリシャ様を王にと仰せられております」

「その二人とて、本当に神の現身なのか、わかったものではない。それらしい姿をしたどこぞの異種族を連れて来たのやもしれぬ」


「シェシが命をかけて召喚された方々を偽物だと仰るのか!」

「我らを率いる王を決めようと言うのだ、慎重になるのは当然だ!…神官長、我らは召喚の現場を見ていない。しかも先王の娘の命を代価とするようなことを、どうして勝手に行ったのか」

「儀式のことはシャレク様が無念の死を遂げられた直後から提案していた!神官団の話を無視し続けたのは、あなた方ではないか!」

 ウゼルとサリティスの言い合いは、もはや口論に近くなっていた。 


「ウゼル様、こちらのメリシャ様とフィル様、リネア様はシェシを生贄とした召喚儀式によって、この地に降臨なされたのです。それは間違いありません!」

 たまらずシェシも声を上げた。ヒクソスの未来を真剣に憂いたサリティスが責められ、自分たちに力を貸そうとしてくれているメリシャ達が、偽物呼ばわりされるのには耐えられなかった。


「ならばどうして生きているのだ?召喚が成功したのなら、シェシの命は神に捧げられているはずではないか!」

「フィル様がシェシを憐れんで、傷を治して下さったのです!」

「ほぅ…召喚の儀式は昨夜行われたと聞いている。それに、召喚には命を落とすほどの血が必要なのではなかったか。それほどの傷を昨日の今日で治したなど…そのような偽り、我らには通りませんぞ」


「…っ!」

 シェシは、ぎゅっと唇を噛んで俯く。その場を見ていない者には、ウゼルの言うことの方が当たり前に聞こえるだろう。

 でも、本当のことなのだ。それをどうしたらわかってもらえるのか、シェシにはその答えは思い浮かばない。信じてもらえないことが悔しくて、涙が落ちそうになった。


「…騒がしい。双方、黙りなさい」

 決して大声ではないが、よく通る声が響いた。ステージの下で部族長たちを方を振り返り、メリシャは手にしたウアス杖でカツンと床を叩く。


 軽く息を整えて、メリシャは一歩前に出た。フィルとリネアは、示し合わせたようにメリシャの両脇に控える。

 フィルとリネアの前では甘えているが、かつて百年もの間、サエイレム女王として君臨したメリシャだ。王らしい堂々とした態度もできる。


「ボクが王になることに異議ある者は、この場に名乗り出なさい。ボクがヒクソスの王となるのにふさわしいか、決闘により示しましょう」

 メリシャは、目を細めて居並ぶ部族長たちを見回した。


「良いだろう!その化けの皮、剥ぎ取ってくれる!」

 真っ先に名乗り出たのは、やはりウゼルだった。

 部族長の中でも上座に座っているとおり、彼は部族長たちの中の有力者である。率いる部族の人口はヒクソスの中でも最も多い。


「では、この決闘、我が立会人となろう」

 ウゼルの向かい側、右列の上座に座っていた老人が名乗り出た。

「お爺様…」

 シェシが複雑な表情でつぶやいた。老人の名はシェプト。先王シャレクの父である。部族長たちの中で最も年長であり、長老的な立場にいる人物であった。


 メリシャが王になるのに対し、ウゼルが反対派、シェシとサリティスが賛成派だとすれば、シェプトは中立派、つまり事態を静観する者たちの筆頭と言えた。

 孫娘であるシェシや息子シャレクの盟友であったサリティスの肩を持ちたい気持ちもあるが、メリシャたちが何者なのか、ほとんど何も知らないのだ。そのような者を王に就けるなど、部族を率いる者として軽々な判断は下せない。

 シェプトはウゼルに闘わせることでそれを見極めようとしていた。


「ウゼル、良いな?」

「シェプト老、儂が勝ち、この小娘に王となる資格がないとわかれば、儂に賛同してくれるのだろうな」

 ウゼルはじろりとシェプトを睨んだ。メリシャを王にと推すシェシはシェプトの身内だ。ウゼルは念を押す。


「わかっている。ヒクソスの今後を決める神聖な決闘に、身内贔屓などせぬ」

「ならばいい…早速、始めようではないか」

 大広間の外は中庭だ。奥にある緑豊かな庭園とは異なり、庭と言っても荒い砂が敷き詰められた広場であった。

 ウゼルは、部屋の外に待機していた自らの部族の者から、長い柄に三日月型の青銅の刃が取り付けられた戦斧を受け取る。


「この決闘、メリシャが出るまでもないよ。わたしが戦うわ」  

 フィルがメリシャの前に進み出て、ウゼルはもちろん、広間から出て来た他の部族長達にも聞こえるように言った。そして、うっすらと笑みを浮かべてウゼルを見やる。


 見ればメリシャとかいう娘よりも更に若い、せいぜいシェシよりも少し上といったところだろう。

 獣の耳と尻尾があるが、体つきは小柄で華奢。ウゼルが一撃でも入れれば身体を真っ二つにされてしまいそうな娘だ。

 だが、なぜだろうか。ウゼルは無意識に緊張していた。

 

「ふん、こんな山猫風情、すぐに叩き伏せてあげる。わたし達に戦いを挑むなんて、身の程を弁えるがいいわ」

「…いいだろう。だが、メリシャとやら、この娘が負けたら貴様の負けだ。我らを謀った罪人として処罰を与える。いいな?」

 フィルは鼻で笑い、挑発的な口調で煽る。

 ウゼルは不愉快そうな表情を浮かべていたが、フィルに言い返すことはせず、メリシャに決闘の条件を確認した。


「その代わり、フィルが勝てば、ウゼルはもちろん、全ての部族長はボクを王として認め、ボクに従う。そういうことでいい?」

「承知した」

「あぁ、それでいい」

 二人の返事を聞いたメリシャは、他の部族長たちに視線を向ける。彼らからも異議は出ない。

「では、これよりフィルとウゼルの決闘を行う!」

 メリシャはカツンとウアス杖で床石を叩いた。


「フィル、頑張って」

「えぇ。安心して見ていなさい」

 メリシャを見上げる瞳が、紅から金へと変化した。立ち上がった妲己の手に、大刀が現れる。


 妲己は、ブンッと大刀を一振りすると、ゆっくりとした足どりで中庭の中央へと進み、ウゼルと対峙した。

 自分よりずっと背の高いウゼルを見上げ、妲己はその様子を観察する。

 焦げ茶色の髪の上には猫というより豹のような耳、体つきは人間の大男のイメージより少し細身で、しなやかさが感じられる筋肉の付き方だった。


 ウゼルは、黙って手にした戦斧を構えた。その構えに油断はない。その目は真っすぐに妲己を見据えている。

 妲己も表情を引き締めて大刀の切っ先をウゼルへと向けた。

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