レンガを積む
@kibun3
第1話 ショートショート版
あれは真夏の猛暑の日だった。
『労働マラソン』の競技が発表になるのは、いつもスタートのぎりぎり十五分前だ。だから、出場者は事前の準備が一切出来ない。出場者控室で今か今かと発表を待っていた僕たちは、大型スクリーンに映し出された映像を見て悲鳴を上げた。競技は何と『レンガ塀の製作』だったのだ。出場者は全員、頭を抱えていた。誰も『レンガ』も『レンガ塀』も見たことも触ったこともないのだから。説明動画によると自分で『モルタル』という『レンガ』を接着する材料を捏ねて『コテ』を使って塗り、『レンガ』を一個一個積んで高さ2メートル、幅3メートル、奥行き0.3メートルの『レンガ塀』を作るのだという。その完成順位を競うのだ。但し、『レンガ塀』が規定の寸法、外観と強度が無ければ失格となる。
僕たちは、冷房の効いた控室から出て、真夏のスタジアムのグランドに向かった。グランドには塀を建てる溝が予め幾つも掘ってある。溝の前には選手番号と国旗の付いた高い脚立が立っている。『モルタル』を捏ねるためのタブとシャベル、バケツに入った水、『セメント』と『砂袋』が別途用意されている。そして、肝心の『レンガ』は誰からも遠くなるように、50メートル離れた場所に山積みになっていた。
出場者各々が溝の前に立ち、脚立に手を掛けた。
「レディー、ゴー!」。
バーン、とピストルが鳴り響いた。
まず、『モルタル』に取りかかった。簡単そうに見えたが大変だった。砂と『セメント』が均等に混じり合わず、ムラが出来てしまう。シャベルで気が遠くなるほどガラガラ掻き回し続けて、何とかムラの無い『モルタル』が出来た。今度は『レンガ』だ。『レンガ』置き場から、『レンガ』をカートに積んで引っ張って来るのだが、その途中の地面には砂が敷き詰められていて、タイヤがめり込みなかなか進まない。往復百メートルが、とてつもなく長く感じた。
スタートして暫くは『レンガ』は軽く感じられていたが、日が高く昇り真夏の太陽が照りつけるようになると、段々腕が痛くなり重く感じてきた。『コテ台』に載せた『モルタル』でさえずっしりと重く感じる。僕の『レンガ』を積むペースは確実に落ちていた。スタートして30分だが、まだ、4分の1も終わってない。隣を伺うとD国の選手が僕より頭ひとつ上に積んでいるのが見えた。見覚えのある顔は、昨年の三位入賞者だ。僕より若く体も大きい。うかうかしてはいられない。僕は『モルタル』を一度に『レンガ』4つ分塗り、4つの『レンガ』を横一列にまとめて積んだ。このペースで挽回するしかない。
僕は三年前から『労働マラソン』に参加している。昨年の競技は『高層ビルの窓拭き』だった。残念ながら僕の乗ったゴンドラは強風に煽られてワイヤーが絡まり、途中棄権となってしまった。優勝を目指して、僕は毎日トレーニングに励んでいたのだが、その年の競技が毎年、予想も付かない『過酷な労働』になるので、まだ入賞にすら届いていない。
『レンガ』を積むペースを上げると直ぐに手持ちの『レンガ』が無くなる。僕は空のカートを引いて、陽炎が立つ『レンガ』置き場に取りに行った。往復する時間が惜しいので、みんな『レンガ』を山積みしている。重さでタイヤが砂にめり込み、なかなか動かない。カートを引っ張って脚立の下まで持ってくるのに汗だくになった。
昔の人は重い物を担いだり、危険な場所で毎日『過酷な労働』をしていたのだと父から聞かされた。父は晩年、口癖のように「自分の仕事を手に入れろ」と言っていた。父の現役時代は働いて報酬を得る『労働者』が普通に存在していたので、今のように僕らが政府からの国民給付金で毎日、ゲームに遊び呆けているのが気に入らなかったようだ。
今度は『モルタル』が無くなった。タブに新しい砂と『セメント』を投げ込んで、バケツの水を流し込んだ。急いでシャベルで力一杯掻き混ぜる。これが生きるために毎日必要な仕事だったとしたら、確かに辛いかも知れない。歴史の動画を視ると、五十年以上も前に“新政権が国民を『過酷な労働』から解放した”とされている。だから今、仕事があるのは政府公認の一握りの超天才エリートだけで、残りの僕らは失業者(政府は『非労働者』と呼ぶ)だ。脳天気なことに、僕はエリートが国民給付金の何倍の報酬を得ているかさえ知らなかったのだが、ある日、アリサがそのエリートと結婚するって聞いて、愕然とした。アリサを奪われたのは確かに悔しかったが、それ以上に毎日遊び呆けていることが幸福だとずっと思っていた自分に腹が立った。何とかして自分の仕事を手に入れたいという気持ちが強くなり、僕たち『非労働者』でも仕事が得られるチャンスをずっと窺っていた。そして、政府主催の『労働マラソン』に優勝すると、仕事を獲得できる特典があることを知った。そう、これは僕たちがエリートの仲間入りが出来る唯一のチャンスなのだ。
『レンガ』を積み、間に『モルタル』を『コテ』で塗り固めて次々と『レンガ』を積む。あと50センチの高さに来て『レンガ』が重くて両腕と腰が痛くなった。汗が目に入り、ヒリヒリと痛んだ。おまけに猛烈な暑さで頭が朦朧としてきた。隣を見るとD国の選手が、あと30センチくらいでゴールしそうな勢いだ。僕は近づいてきた給水カートからボトルを取り上げると、頭の上から水をぶちまけた。少しは生き返った。ブーンとプロペラの音を立ててカメラが近づいてきた。僕たちの『過酷な労働』の様子を生中継して国民に配信しているのだ。三年前まで、僕はその映像を国民住宅の自室で見ていて、「労働って厳しいな」と思っていた。ところが、『労働マラソン』に参加する側になってみると、その配信は、『過酷な労働』から国民を解放した政府の功績を宣伝するために利用されているのだと気付いた。ほら、労働は厳しいぞ、だから働かなくても食わしてやるからAIの言うことに従って大人しく遊んでいろ、ということなのだろう。
『レンガ』が無くなり、再び『レンガ』置き場に急いで行った帰り道、E国の選手が脚立の
僕は、慌てて自分の『レンガ塀』に戻って、一心不乱に『レンガ』を積み始めた。一位は無理でも、三位入賞に滑り込めたら……、などという余計な考えを振り捨てて、集中しようとした。ところが僕の集中力は変な雑念に捕らわれて段々落ちてきていた。E国は北の寒い国の筈。あの選手は、この炎天下で呼吸も乱れず、汗もかいていない。何か特別なトレーニングでもしているのだろうか?
僕のペースが再び落ちてきたところで、ホイッスルが鳴った。E国の選手がゴールの合図を審判ロボに送ったのだ。審判ロボがE国の選手の塀に近寄り、塀の寸法を確認すると塀を一押しした。崩れない。一位優勝が決まってしまった。僕は急に力が抜けた。もう、負けだ。二番目のホイッスルが鳴った。二位はD国の選手に決まり、三位はJ国だった。僕は入賞できなかった。
僕はがっかりして脚立から降り、グランドに座り込んで頭からボトルの水をぶちまけた。だが、悔しい気持ちよりも、さっき僕の集中力を遮った変な疑問が頭に引っかかっていた。
日が傾き始めていた。入賞した三人の選手が『レンガ』置き場の近くに作られた表彰台に近づいて行く。僕は、E国選手の作った『レンガ塀』に近づいた。その『レンガ塀』は積み方に曲がったところが一切無く、『モルタル』の厚みも完全に均一に見える。工場で大量生産されたもののように整然としていて完璧に見えた。それどころか、あれほどの速いペースで積んでいたのに、モルタルを下に
労働大臣のホログラムがグランドに出現し、上空から数台のカメラが接近してきた。E国国歌が流れる中、E国選手に金メダルが授与された。続いて、D国、J国にメダルが授与された。労働大臣がつまらないスピーチを長々としている。僕は、『レンガ』置き場に近寄り、『レンガ』を一個手に取った。ズシリと重く感じる。そして、スピーチが終わろうとする間際に、僕は全速力で表彰台に走り出し、力一杯『レンガ』を投げつけた。
ガシャンという音がして、『レンガ』はE国選手の背中にめり込み、中の配線から火花が吹き出した。悲鳴と怒号が飛び交った。
「全部、インチキだー!」
僕は、そう叫んで怒りに震えていたが、直ぐに警備ロボに捕まり、拘束されてしまった。カメラが一斉に遠ざかっていく。それからの出来事は余り良く覚えてない。
僕は個室に長時間閉じ込められて、警察の取り調べを受けた。それから、政府の役人なのかAIなのか見分けの付かない映像と何度も何度も話をしたような気がする。最後はメディアの取材があり、誰かに「国民給付金についてどう思うか?」と聞かれたので、「家畜の餌」だと僕は答えた。
政府がどういう判断で僕の処遇を決めたのか、僕には判らないのだけれど、僕は今、火星へ向かう宇宙船の中にいる。そう、エリートしか就けない筈の火星開発の仕事が待っているのだ。たぶん、火星では毎日が『過酷な労働』になると思う。僕は自分の仕事を手に入れたのだ。
さっき地球から届いた噂では、『労働マラソン』はあれから中止になったらしい。
レンガを積む @kibun3
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