第8話

「いたぞ!あっちだ!」

「駄目だ、動きが捕えられん!」


 とある企業の軍事基地。銃を手にした兵士達が周囲を慌ただしく警戒していた。夜闇に紛れて動く影こそ認識できるものの、すぐに見失っては報告が上がる。基地に複数設置されている監視塔から基地を照らす照明は何とか侵入者の姿を捉えようと忙しなくあちらこちらと動いているが、一向に照明の下に姿が映ることは無かった。

 その時、コンテナの影から一人の影が飛び出す。音に気が付いた兵士達がそちらを見たと同時に意識は途絶えた。


『αチーム!応答せよ!αチーム!」

「………鈍すぎ」


 突如通信が途絶えたチームに呼びかけを行う監視塔の職員。通信機から響く声に悪態を付く白の少女。

 応答が消えたチームのいた場所へと照明が集まる。しかし、そこには血を流した隊員達が倒れているのみであり、肝心の声の主は存在しない。しかし、ここにいる誰もがその声の正体を知っていた。

 彼女が表舞台から姿を消しても未だにその動向を追うメディアや企業は絶えないが、一切その足取りを掴むことは出来ていない。しかし、間違いなくその爪牙に掛かる者は増えていた。

 彼女は今までと変わらなかった。亡霊の恐怖は終わっていなかったのだ。寧ろ、彼女はまるで檻から解き放たれたかのように暴れ始めていた。彼女の情報は、その能力の詳細にまで晒されていた。

 どのような能力であり、それがどんな意味を持つのか。そして虚数式の自己崩壊の事も。だが、あの事件があってから二ヶ月が経った今も、彼女は健在なのだ。


「くそっ………どこだ………!」


 あの一件の後、当然のようにソフィラスには多くの者がそれを追及した。しかし、現責任者となっているケレベルは一切の黙秘を貫いていた。

 更にソフィラスは人体置換が普及した社会では大きな力を持つ。下手な事を言ってサポートを断たれてしまえば、すぐに死活問題へと発展してしまうためにそれ以上は何も言うことが出来なかった。

 しかし彼女のマンションには何も残っていなかった事、街で彼女を見たという話がない事から恐らくソフィラスには戻っていないのだろうという事になっていた。

 勿論、ケレベルが裏で彼女の身柄を隠している可能性はある。しかし、それにしては活動が活発すぎるのだ。最早、隠れる気など無いと言わんばかりに。


「ここだけど?」

「なっ………」


 突然背後から声が聞こえ、驚いて振り向いたと同時に額へ冷たい銃口が突きつけられた。少なくとも、男の記憶の中には一切ないモデルのアサルトライフルだった。黒のボディと緑の蛍光色で装飾されたそれは、コアのような部品が光を発しながら駆動していた。


「………何が望みだ」

「言わないと分からない?そんな無能なら言っても無駄だし、この場で始末したほうがいいかしら」

「待て………お前の後ろにあるパソコンに欲しい情報はある。パスワードは3509だ」

「ふん」


 鼻を鳴らした少女は額に突きつけていた銃を離し、背後にあるパソコンを操作し始める。顔を隠すこともなく、男が後ろにいることも気にせずに端末を接続する。

 しかし、その背中を狙うことは出来なかった。監視員である男は武装していなかったのだ。武器自体はこの塔に設置されているものの、それを彼女の前で取りに行くなど自殺と同じだ。

 体術も習ってはいたが、銃と剣を手にした相手に通用するような達人でもない。男は何も言わず、抵抗をしないことを示すように手を頭の後ろで組み、その場に伏せた。


「………」


 無言でパソコンを操作している少女………誰もがその名を知る絶世の美少女と言われるバイス・メディウムは、噂に違わぬ容姿をしていた。男は初めて見るが、なるほど、と頷ける。

 しかし、この可憐な少女がαチームをたった数秒で全滅させ、気付かれずにここまで来る怪物だとは思えなかった。事実は受け止めなければならないのだが。

 数十秒程が経ったとき、バイスは端末を抜き取る。そのままちらりと男を一瞥すると不意にその姿が揺らぎ、突如として姿が消えた。


「………」


 まるで夢を見ていたようだ。その時、監視員の通信機から大きな声が聞こえた。


『おい、サウスタワー!応答しろ!』

「………あぁ、そうか。なるほどな」

『何を言っている!?何故応答しなかったんだ!』


 彼女の力を甘く見ていたようだ。本当に規格外だ………そう思いながら返事を返す。


「サウスタワー。現状を報告する。目標は既にここにはいない」

『いない………?どういうことだ?』

「そのままの意味だ」


 その言葉を最後に、男は通信機を切った。次の仕事を探さねばならないだろう。ため息を付いて、仕事用の椅子に深く腰を掛けた。















 数日後。朝のニュースでは、一つの事件が取り上げられていた。とある企業の軍事基地が襲撃され、更にその後本社を含む全てのコンピューターがハッキングを受け、破壊されたと。

 それを報じているニュースを無言で見ていたのはケレベルだった。少し険しいとも言える真剣な表情であるケレベルに、執事は声を掛けることが出来なかった。


「ケレベル様。お時間でございます」

「………えぇ、分かっているわ」


 その時、口を出すことが出来なかった執事の隣にオーランが立ち、ケレベルへ声を掛けた。ケレベルはその言葉に頷き、ゆっくりと立ち上がる。

 バイスが居なくなった今、ソフィラスのCEOの仕事はケレベルが行っている。引継ぎなどもなかったために混乱するかと思われたが、ケレベルは驚くほどの手腕で表面上には経営に一切変わりが無いと思わせるほどに上手く業務を引き継ぐことが出来ていた。

 ケレベルが屋敷の玄関へ向かう途中で、一匹の猫がケレベルをじっと見つめていることに気が付いた。真っ黒な猫だった。


「………」

「………」


 目があった途端、そそくさと何処かへ行ってしまう。この猫はバイスが居なくなった後、ケージに入れられて屋敷の玄関に置かれていた猫だった。

 ケレベルは彼女が猫を飼っていた事を知っていた。故にここで面倒を見る事にしたのだが、暴れたり反抗したりこそしないものの、一切懐くような様子はなかった。

 いくつになっても可愛げのなかった娘の事を思い出して小さくため息を付き、ケレベルは再び歩き出すのだった。






 小さくため息を付いて、光が差し込むガラスの壁に寄りかかる。ここは街の中………の、既に放棄されたオフィス。今の隠れ家的な場所だった。どうせまたすぐに移住するけど。

 あれから二ヶ月経ったけど、私はまだ生きてる。腕輪のディスプレイを見る。そこには5%と言う表記があった。私はそれを見て目を閉じる。

 その時、全身に痛みが走った。もう慣れ始めた痛みではあるけど、それでも苦悶の声を漏らさずにはいられなかった。

 数秒程で痛みは止まり、息を整える。私の自己崩壊はこれで対処していた。そして、私はこの二ヶ月間何も口にしてない。能力を使って身体を維持しているから。

 能力をほぼ無制限に使えるからこそ出来る芸当だった。定期的な苦痛に目を瞑れば便利ね。


「………ふぅ」


 痛みが完全に抜けて息を吐き、膝を抱えた。この装置が何なのかは結局分かってない。けど、一つ分かったのは二度と外れないという事だった。私の神経に直接接続しているみたいだから、下手な事をしたら右手を動かせなくなる可能性もあるし。

 まぁ、別に外す必要もないけど。水で壊れる訳でもないみたいだし、特に重くもないし。それよりも、今の生活の方が不満だった。

 私も今までは不自由ない暮らしをしていたし、今も大半の問題は能力で解決できる。けど、柔らかいベッドで眠りたいとか、温かいお風呂に入りたいとか、一人の人間としての欲求はある。

 エルモはどうしてるかな。母さんの事だし、きっと捨てるなんてことはしないだろうけど。ちょっと気になる。


「………」


 失ってから気付いたけど、私は案外沢山の物を持っていたみたいだった。あれだけ悪態を付いていた男も、今となっては大事な友達だったんだなと思ってしまう程には。

 自分の中では踏ん切りを付けている。私が持っていた物はもう何も残ってないし、取り戻すことが出来ないことも。でも、たまにこうして思い出してしまうのは、私が弱いからなのだろうか。

 出来る事は増えた。今なら能力を誰に縛られることもなく、制約もなく行使することが出来る。


「………今日も外れか」


 結局、あの男に関する情報は一切掴めなかった。私から全てを奪った男。この二ヶ月間、ずっとプライムに関する情報を集めていたというのに、何一つとして手がかりが無かった。

 一度情報屋を使おうと思ってみたけど、今の私は渡せるような物なんて持っていない。労働で返すわけにもいかないし、身体で払うなんてのも絶対に御免だった。


「………」


 母さんは、私の事を言及していないらしい。はっきりと捨ててしまえば良かったのに………そう思っていたけど、母さんが私を愛する娘だと思ってくれていたのだと分かって喜びを感じている私もいた。

 迷惑をかけてごめんと、一言でも言ったことはあっただろうか。覚悟はあっても、後悔が無い訳じゃない。何度あの日に戻れたら、そう思ったのは一度や二度じゃなかった。

 私はまた昔を思い出しながら目を閉じた。



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亡霊の数式 白亜皐月 @Hakua_Stuki

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