最終話 ~未来を見て生きていく~
卒業生が集まる学園の本堂。
私は在校生として、後方からギルを眺める。
独特のオーラを纏った、サラサラのアッシュブラウンの髪は、こんなに大勢の中でもすぐに見つけてしまう。
彼とダンスを踊ったあの華やかな後夜祭が嘘の様に、今は本堂全体が厳かな雰囲気に包まれている。
────あと数時間で、彼と離ればなれになる。
擦れ違っていた日々を埋める様に、沢山話をして、散歩をして、初めてのデートもした。
準備は万端。だから……今日は絶対に泣かない。笑顔で彼を送り出そう。
あ……
彼がこちらを振り向き、優しく微笑んでくれる。
私も頑張って微笑み返すけど、泣きそうになり、すぐに下を向いてしまった。
今からこんなことで大丈夫かな……
式が終わると、彼は真っ直ぐ私の元へやって来る。
成人の儀の時と同じ、黒い礼服に私が贈ったグレーのアスコットタイを着けた彼は、見惚れる程に美しい。
ぼんやりしていると、彼は屈んで私の瞳を下から覗き込む。
「……何?」
「いや、さっき泣いていたのかと思って」
「泣いてなんかいないわ! 今日は絶対泣かないんだから。ほら、私にはこれもあるし」
左手の甲を彼の前に突き出す。
「そうか……これがあれば俺は要らないか。自分で贈っておきながら、なんか妬けるな」
意地悪な顔でそう言うと、私の手を取り、薬指に唇を落とした。
熱くなる身体を彼が引き寄せようとした時、
「ギルバート!」
向こうからワイアット先生がやってくる。
「首席で卒業、おめでとう」
「ありがとうございます」
「君のおかげで、魔術科にまた新たな功績が残ったよ。このまま引き止めて、研究者にしたいくらいだがね」
「その道も考えましたが……やはり幼い頃からの、“夢”は捨てられませんでした」
先生はそうかと頷き、彼の肩を優しく叩く。
「他の教師も、君と最後に話したいと言っていてね。ユリナ、悪いが彼を少しだけ借りてもいいかい?」
「はい、勿論です」
「ここで待ってて、迷子にならないように」
念を押す彼に、私は膨れる。
「もう、子供じゃないんだから」
遠ざかる二人の背中を見ながら思う。
やっぱりギルはすごい人なんだな……
彼の足手まといにならないように。
後ろを付いていくのではなく、並んで歩けるように、しっかりと自分の足で立ちたい。
「ユリナ」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはコレットが立っていた。
「ルブラン卿、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます、皇女殿下」
畏まった挨拶をし、ふふっと笑い合う。
「コレットも首都のご実家に帰るのよね」
「うん、結局こっちでは花嫁は見つからなかったから、首都で婚活に勤しむよ。向こうでやりたいこともあるしね」
「そう……みんな居なくなってしまって、寂しくなるわ」
「ユリナ、首都に来たら是非我が家に遊びに来て欲しい。夫婦の縁はなくなってしまったけれど、僕達は親戚同士なのだから」
「ありがとう、是非お邪魔させていただくわ。私もコレットのご両親にお会いしたかったの」
「まあ……もしギルバートのヤツが煩かったら、一緒に連れて来てもいいよ。仕方ない」
「仕方ないって……」
ギルが文句を言いながら付いて来る姿が目に浮かび、ぷっと笑ってしまう。
「じゃあ、僕はもう行くよ。先生や友人達との挨拶も済んだし」
コレットは大きな手を私へ差し出す。
「ありがとう、ユリナ」
「私こそ……本当に、本当にありがとう」
握ろうと手を伸ばすと────後ろから何かに、がしっと抱き寄せられた。
「ギル!」
「公務以外は禁止と言っただろ」
振り返って見上げたその顔は、不機嫌極まりない。
「なに? まさか握手も駄目なの? 皇女なのにどうすんのさ」
「うるさい。お前は特に駄目だ」
コレットはやれやれと首を振ると、呆れた様に笑う。
「ユリナ……これから大変だね。少し距離を置けて良かったのかもよ」
「何だと?」
今にも噛みつきそうなギルを適当にあしらい、ははっと笑うとコレットは手を振る。
「じゃあ、ユリナ。いつか、またね」
◇
コレットは馬車に乗ると、背もたれにうーんと寄り掛かった。
ふと袖を見ると、細い糸がキラキラと輝いている。
違う……糸じゃない。これは、ユリナの……
指でつまみ、それに目を凝らせば、彼女との色々な思い出が甦る。
青春……だったのかな。
手をかざし風の魔力で煽ると、銀色のそれはふわっと宙を舞う。
開け放った馬車の窓から、高い高い青空へ自由に舞って行った。
◇
ユリナとギルバートは、共に皇室の馬車へ乗り込む。市境まで見送り、そこで別れる予定だ。
「ふふっ、馬車でデートね」
「そうだな」
もう暫く会えないのだから、出来るだけ明るく過ごしたい。互いに同じ気持ちが伝わる。
ぐううう……
またもや細い腹の辺りからあの音が。
「皇女様のその爆音は、いつも私を驚かせてくださいますね」
「もう!」
くくっと笑うギルバートにむくれるユリナ。
「お弁当を作って来たの。一緒に食べない?」
「勿論。君のお腹が煩くて、話に集中出来ないからね」
ギルバートの希望通りに、弁当を食べさせ合う。胃袋が満たされると、手を繋ぎながら色々な話をした。
首都でのこれから、ユリナの進級のこと、家族しか知らないカイレン皇子の秘密、子供時代のことなど。
もう散々話したことから、初めて耳にすることまで。出来るだけ話が途切れない様に、明るく、楽しく。
だが、市境が近付くに連れて、次第に互いの口数が減っていく。握る手にはぎゅっと力が籠った。
とうとうガタンと停車した馬車で、二人は向き合う。
「……二年後、必ず迎えに来る。それまで互いに頑張ろう」
「うん」
「元気で」
「うん、ギルも」
ギルバートはユリナの唇を、長い指でつっとなぞるも、そのまま手を下ろす。
「今日は止めておく……離せなくなりそうだから」
「……うん」
「じゃあ、行くよ」
小さな手をすっと離すと、馬車から降りる。続いて降りようとするユリナを止めて言った。
「ここでいい」
銀髪にポンと手を乗せると、もう何も言わずに馬車の扉を閉めた。そのまま背を向けると、横に付けた貸馬車に乗り込む。
馬車の窓から互いに目配せをすると、ギルバートの乗る馬車は市外へ向けて走り出す。
まだ泣いたら駄目……まだ……完全に見えなくなるまで。
彼を乗せた馬車が小さくなるにつれて、ユリナの瞳に涙が滲んでいく。
もう泣いてもいいかな……
下を向き、嗚咽を漏らしていた時だった。
ドンドン!
馬車が激しい物音と共に揺れる。
何事かと顔を上げると、ギルバートが息を切らせながら扉を叩いていた。
その只ならぬ様子に、ユリナは急ぎ扉を開け叫ぶ。
「どうしたの!?」
「言って……なかった気がする」
「何を?」
ギルバートはユリナをぐいっと引っ張ると、馬車の外へ立たせ、向かい合った。
「ユリナ・バロン嬢。私は貴女を心から愛しています」
「え……?」
「成人したら、私の妻になって下さい」
「…………」
「ああ、指輪を渡す時……いや、婚約届を出す前に言わなきゃいけなかったのに。俺としたことが」
額を押さえ嘆くギルバートに、沸々と怒りが込み上げるユリナ。抑えきれずに、小さな拳でぽかりと彼の胸を殴った。
「ユリナ?」
「……馬鹿っ!」
……バカ……
生まれて初めて言われた言葉に、ギルバートの思考が停止する。
「もう、そんなのわざわざ言わなくたって分かっているのに……どうして戻ってきちゃうのよ! 折角泣くのを我慢していたのに……せっかく……」
わあんと子供みたいな声で泣き出すユリナに、何事かと人が集まり出す。
「私だって愛しています! 馬車の屋根に乗って付いて行きたいくらい、愛しています! 貴方になんか絶対に負けません!!」
もはや何に怒っているのか分からない。
そんなぐちゃぐちゃのユリナを、ギルバートは抱き締める。
「ごめん……やっぱり無理だ」
熱く重ねられた唇。
その行方は、もう二人しか知らない。
◇◇◇
時は過ぎ、二年後────
卒業生代表として、私は壇上に上がる。
後方の席では、灰色の瞳がこちらを見つめている。
入学式の時とは違い、決して逸らされることなく、真っ直ぐに。
「本日はこの様な素晴らしい卒業式を開催いただきまして、誠にありがとうございます。
思えば二年前、新入生代表として此処に立ったことが、つい昨日のことの様に思い出されます。
このランネ高等学園で教わったことは、私の価値観に大きな影響を沢山与えてくださいました。
その一つに、男女差についての考えがございます。
私は幼い頃から、男性として生まれた兄のことを羨ましく思っておりました。ですがその考えは、女性という性に対する大きな冒涜だと気付いたのです。
皇室における男女の行動制限の差は多々あり、悔しく感じたこともあります。ですが、その殆どは女性の身の安全を守る為の、理にかなったものでした。
逆に慰問や慈善事業などの公務は、細かい心配りの得意な女性に向いている大切な役割なのだと、改めて気付かされました。
この世には、男女以外にも様々な
一方的に線を引き見上げたり見下すのではなく、互いを理解し上手く共存出来る様な、そんな平らな境であればと思うのです。
その縮図である、このランネの学園祭を、私の今後の道標にしていきたいと思います。
私の現在の夢は、まだ伝統的な身分制度が色濃く残る、首都の学校教育の改革。また、女性の社会進出が増加することを踏まえての、幼児教育の推進です。
私が結婚をした暁には、家庭を持つ女性の視点から得るものを、是非活かしたいと思っております。
最後になりますが、私の皇女という特殊な身分を理解し、平らに接して下さった先生方、そして友人に、心から感謝申し上げます。
この学園で学んだ誇りを胸に、これからの人生を歩んで参ります。
三年間、本当にありがとうございました」
◇
式が終わると、私は真っ直ぐ彼の元へ向かう。
皇族は何事にも取り乱さず、常に落ち着き、品位を保ち……
これは走っているのかしら……
もういいわ、何でも。
……本当に、皇女らしくないな。
胸にぼふっと飛び込む彼女を受け止めると、この世で一番愛しい笑顔に見上げられる。
「ギル様、私のスピーチ、いかがでしたか?」
~ 完 ~
愛しい許嫁様(仮)、私から貴方を解放します ~受け継がれたエメラルド~ 木山花名美 @eisi0922
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