第52話 ~魔法のような力で~

 

「ユリナ様!」


 公爵夫人はユリナを抱き締め、柔らかい手で銀髪を撫でた。


「暫くお会いしない内に、こんなにお綺麗になられて」


 ギルバートとよく似た灰色の瞳には、涙が浮かんでいる。


「リリアス様……」

「ギルバートを選んでくださり、ありがとうございます」

「そんな……私こそギル様に選んで頂けて」


 二人は再度抱き合うと、本当の母娘おやこの様にわんわん泣いた。



 母上には随分と心配をかけたな……


 そう省みるギルバートをはじめ、公爵や皇太子夫妻、その場に居る者皆が温かい目で二人の抱擁を見守っていた。




 窓から麗らかな陽が差す食堂では、和やかに会食が進んでいく。

 一口ごとに目を合わせ微笑み合う若い二人に、親たちは優しい視線を送っていた。


 食後の茶を飲みひと息ついた頃、ギルバートは居住まいを正し、穏やかなオーレンへ向かう。

「皇太子殿下、この場をお借りして、一言申し上げたいことがございます」


 公爵夫妻と大伯父のボイは内心ハラハラする。

 一体何を言い出すつもりだ……


 やめろと止める間もなく促されてしまい、ギルバートは口を開く。


「ランネ市をはじめ我がサレジア国は、ここ二十年余りで急成長しました。教育制度の充実による国民の所得増加、また金糸と銀糸の輸出により、サレジア経済は上昇の一途を辿っています。また他にも医療制度の改革、平民の徴税の見直しなどにより格差も縮まりました。これもひとえに皇太子殿下のご尽力の賜物だと考えています。

 ですが……皇太子殿下が全くお気付きになっていない、悪しき慣習が、まだこの国には残っています。何故殿下程の御方がお気付きにならないのかと、私は常日頃から不思議で仕方ありません」


 ボイは内心ひいっと悲鳴を上げる。

 これまで殿下の恩情により解雇を免れていたが、今回こそは本当に無理かもしれない。


「ギルバート!」

 たまらず息子を咎める公爵を、オーレンは制す。


「構わない。で……私の気付かぬ悪しき慣習とは?」


 オーレンとギルバートの間に、見えない火花がバチッと散る。


「ユリナ様のお誕生日です」


 ギルバートの思わぬ答えに、一同は目を丸くする。


「ユリナの……誕生日?」

「はい。出店でユリナ様の肖像画やコインを売るのはいかがなものかと」

「……何故だ?」

「私は嫌なのです。ユリナ様をかたどった物が、どこの誰とも分からない者達の手に触れられるのが。飾ったり、眺めたりされていると思うだけで苛々します」


「……ああ。それは考えが及ばなかった」

 オーレンは一本調子で返すと、何かをこらえ口を固く結んだ。


「17歳のお誕生日はもう来月ですので仕方ありませんが、次の年はご配慮を宜しくお願い致します」

 真面目な表情かおで頭を下げるギルバート。


 もう駄目だ……


 先日の一件以来笑いのツボが緩くなったオーレンは、サッと横を向くと、大きく肩を震わせ始めた。


 殿下が……

 爆笑されている……


 唖然とする公爵夫妻。ふと息子を見れば、ツボを刺激した張本人であるにも拘わらず、きょとんと首を傾げている。

 顔を真っ赤に染めたユリナは、婚約者を取り繕う様に言った。


「私も……肖像画はまだ良いのですが、横顔の記念コインは止めて欲しいです。顔の彫りが浅いのがバレるので」





 親達が応接室で歓談している間、ユリナとギルバートは中庭を散歩する。


「今日は暖かくてお散歩日和ね」

「そうだな……この庭には何回か来たことがあるのに、こんなに綺麗だったなんて知らなかった」

「もう少し経つと、もっと綺麗になるのよ。あの花壇も、あそこの雪柳の木も」


 でも……その頃にはもう、彼は居ない。

 ユリナは繋いでいた手をすっと離すと、両手を広げ深呼吸し、甘い庭の香りを吸い込んだ。


「ユリナ、これを」


 ギルバートは小さな手を掴むと、灰色の四角いベルベットのケースを乗せた。


「これは……」

「開けてみて」


 そこには銀色の対の指輪が、仲睦まじく並んでいる。

 ギルバートは小さい方をケースから取り出すと、よく見える様にユリナの目の前にかざす。

 眩しい陽を受けて、それはキラキラと輝いていた。


「婚約指輪。ユリナのイメージで、羽のデザインにしたんだ。内側には互いの紋章を入れた。君のには俺の、俺のには君のを」


 心此処にあらずといった表情で、何も発しないユリナ。


「やっぱり地味だったか……学生でも毎日着けられる様にと思って、あえて宝石は使わなかったんだが」


 彼女の左手を取ると、細い薬指に指輪を嵌める。

「うん、サイズは丁度良さそうだな」


 ユリナは薬指を目の前にかざし、角度を変えてはじっと眺める。暫くそうした後、無言のままケースからもう一つの指輪を出し、ギルバートの薬指に嵌めた。


「ユリナ……」


 指輪の上に、ぽたりと涙が落ちる。黒い瞳が、喜びにゆらゆらと揺れていた。


「ありがとう……ギル……ありがとう。凄く嬉しい。夢みたい」

「結婚指輪はもっとちゃんと作るから」


 ユリナは、もげそうな程激しく首を振る。


「本当にありがとう……寂しくなったら、これを見て頑張れる」


 くしゃっと笑い細くなった瞳からは、涙が洪水になって溢れ出た。


 ギルバートは熱情に弾かれ、ユリナを胸に掻き抱く。腕にぐっと力を入れるだけでは、持て余す彼女への想い。そのまま柔らかい唇へとぶつけ、ついまた、奥へ奥へと深くなってしまう。

 漸く離した時には、支えないと立って居られない程、その身体はぐったりとしていた。


 ギルバートはユリナの左手を取ると、指輪の光る薬指に唇を落とす。


「……もう一つ、渡したいものがあるんだ」


 そう言いながら、内ポケットから小さな包みを取り出し開けていく。

 まだ熱に浮かされているユリナは、ギルバートの胸にもたれ掛かりながらそれを見ていたが、見覚えのある物が現れると、「あっ」と声を上げ身体を起こした。


「それ……桜貝の」


 ギルバートの手にぶら下がっているのは、いつかの渡せなかった桜貝のネックレス。

 失恋に打ちひしがれ、一度はゴミ箱に投げた筈だが……

 誤って捨てられたのでは? と拾い上げたメイドにより母の手へ渡り、そのまま保管されていたのだ。


「うん。実はアイツと同じ物を買っていたんだ。ユリナが着けているのを見て、渡せなくなった。……嫉妬したんだ」


 苦笑するギルバート。



『外して下さい。今すぐに』


『安物を安易に身に着ける様な、品のない女性は嫌いです』



 ああ、だからあの時あんなことを────

 彼の不器用な愛情が、堪らなく愛おしい。


「同じ物じゃないわ……来て!」


 そう言うとユリナはギルバートの腕をぐいぐい引っ張り、自分の部屋へと連れて行く。

 そしてドレッサーの引き出しから、コレットから贈られたネックレスを取り出し、ギルバートに見せる。


「ほら、違うでしょう?」


 確かに、デザインは同じだが、桜貝の色が全然違う。

 コレットの方はオレンジがかったピンク色で、ギルバートの方は青みがかったピンク色だ。


「天然の物だから、一つ一つ色が違うのよ」

「そうか……そうだったのか」


 ユリナはにこりと笑うと、後ろを向き銀髪を掻き分ける。突如目の前に晒された白い項に、ギルバートは以前と同じく息を呑んだ。


「着けて?」


 高鳴る鼓動に指が震え、若干手間取るも無事に金具が嵌まった。分けられた銀髪を元通り背中に下ろしてやると、ユリナはくるっとギルバートを振り返る。


「どう?」


 白い肌に、桜貝のピンクが優しく映える。

 初めて自分で選んだ贈り物は、想像以上に彼女の愛らしい魅力を引き立てていた。


「……よく似合う。あのダイヤモンドよりもずっと」

「でしょう?」


 ユリナはふふんと得意気に笑うと、ギルバートの胸に飛び込んだ。


「ありがとう、ギル。大切にするわ。もう嫉妬しない様に、この色をよく覚えておいてね」



 ◇


「ユリナ様、ギルに会いに首都へ行かれる際は、是非家にお立ち寄り下さいね」

「はい、ありがとうございます」


 来た時と同じ様に、玄関前の広間で抱擁するユリナと公爵夫人。


「母上、あまりユリナを家で足止めしないで下さいね。只でさえ首都までは日数が掛かるのですから」

「はいはい、分かっていますよ」


 眉を寄せる息子に、公爵夫人はクスリと笑う。母親にまで嫉妬して、この先大丈夫なのだろうかと。



「あ、そうそう! ギル、この間新刊が出たの。私達はもう読んだから、貸してあげるわね」

 シェリナ皇太子妃はギルバートに平たい袋を渡す。


 これは……!

 中を覗いたギルバートは、ぱっと顔を輝かせた。


「ありがとうございます! 心して拝読致します」

「お母様、なんですか? それ」

「ふふっ。『ぶきむす』の最新刊よ」

「え……ぶきむすって、『不器用姫が王子の心を結ぶまで』!?」

「そうよ、ギルも愛読者なの。ね?」

「はい、この本のお陰で、ユリナ様と結ばれたと言っても過言ではないでしょう。これは私の指南書です」



 ちょっと……ちょっと待って……

 焼き菓子の差し入れ、ドレスの贈り物、互いの紋章入りの婚約指輪。

 全てこの本の中で、王子が姫に取った行動だ。


 ギル様が『ぶきむす』……ギル様が……愛読者……指南書……

 駄目。



 ユリナは、あははっと皇女らしからぬ声でお腹を抱えて笑い出した。

 オーレンも再び肩を震わせている。


 公爵夫妻は顔を見合わせた後、またもやきょとんとする息子を見ながら同じことを考えていた。

 皇太子妃とユリナ様は、私達でも越えられなかったギルバートの高い壁を、魔法のような力で壊してくださったのだと────。




 ◇◇◇


 ギルバートの出立の日が決まった。

 カイレン皇子のヘイル国訪問に同行する為、移動や準備期間などを考えると、卒業式を終え次第直ちにランネ市を発たなくてはならない。


 晴れがましい卒業式の日が、二人の別れの日となってしまった。


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