裏切り
『与吉さんの旅の無事を祈っています。この赤いかんざしは私だと思って大事に持っていてください。サト』
藤次郎もその手紙を見て、そしてこう言った。
「与吉さんの女房はやさしいですね。私にも家族がいましてね。今回はしっかり稼いだので、早く会って喜ばせてあげたいですよ」
「そうですか。藤次郎さんはもう、売り終わったのですね。俺はこれから頑張らないと」
俺は、旅立つときに感じたサトへの違和感の正体に気がついた。
サトはいつも付けている赤いかんざしを、付けていなかったのだ。
それで、いつもと違って見えたのだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、藤次郎はこんな話をしてきた。
「この先の道では、時々、旅人が姿を消してしまうらしいです。いわゆる、神隠しってやつです。でもですね、私は神隠しなんてあり得ないと思っています」
「それはどういうわけですか?」
「人が自然に消える訳がない。これはきっと、人間がやっているんですよ。京への道は、
「なるほど。山賊に襲われて殺されてしまう。それで、神隠しに遭ったように思えてしまうのですね」
藤次郎の言うことはもっともだった。
俺も山賊に襲われないようにしないと。
藤次郎は話を続けた。
「売上金は大事に持っていないといけないです。もし襲われたら、おとなしく財布を差し出して逃げた方がいい。だから、財布は二つ持っておくといいですよ」
そう言うと、藤次郎はもう一つの財布の隠し場所を教えてくれた。
「いいんですか、そんなことまで俺に教えてしまって」
「ああ、与吉さんは同じ行商仲間ですからね。旅の知恵は分かち合いましょう」
この藤次郎という男は人が良すぎるのではないか。
俺が悪人だったら今、襲いかかって金を奪っていたかもしれないというのに。
いや、俺にはそんな腕力はない。俺に強盗は無理だ。
それを見透かして、こんな話をしてきたのかもしれない。
もっとも、藤次郎の方も痩せており、力は弱そうだ。
俺たちは山賊に襲われたら、二人とも間違いなく負けてしまうだろう。
* * * * *
夕刻が近づいてきた。
道は二つに分かれている。
藤次郎は、京から離れる道の方に行こうとする。
俺は尋ねた。
「あれ、京に帰るのではなかったのですか?」
藤次郎は答える。
「そっちの道は、山賊が出るんですよ。だから、私は遠回りでもこちらの道を使っているんです」
俺は迷った。
日も暮れかかっているので、早く京に行きたい。
それに、人の良さそうなこの藤次郎という男も、どこまで信用していいのか分からない。
しばらく考え、俺はこう答えた。
「俺はこちらの道から行くことにします。早く京に行きたいので」
藤次郎は残念そうな顔をして、こう言った。
「……そうですか。まぁ、無理強いはできませんね。ここまでご一緒できて楽しかったです。与吉さんの道中の安全を祈っております」
「藤次郎さんこそ、お気をつけて。いつか、京の都で会いましょう」
「そうですね。では、京でまたお会いしましょう」
俺は藤次郎と別れ、一人で京を目指した。
* * * * *
しばらく進んだところで、左の茂みからガサガサと音が聞こえてきた。
イタチか?
そう思ったが、出てきたのはイタチではなかった。
刀を持った屈強な男たちに取り囲まれた。
俺は観念した。
山賊だ……
「おい、その
脅された俺は行李に手を入れ、中身を一つ取り出した。
俺の手の中にあったものは、サトの赤いかんざしだった。
山賊たちは、それを見るとニヤニヤ笑い始めた。
「なんだ、そんな物を売っているのか。そのかんざし、傷がついているじゃないか」
確かにそうだった。
これは元々、売り物ではない。
サトが使っていたものなので、傷んでいた。
「古道具屋か? こんな物を奪っても金にならんな……」
すると、別の山賊がこう言った。
「ガラクタでもいいから奪いましょうぜ」
まずい。
このままでは売り物を取られる!
俺はとっさに言った。
「こ、この先の分かれ道をあっちに行ってみてください。今行けば、ある男に追いつくはずです。その男は商売を終えて、金を持っています」
「そんなことを言って、俺たちを騙そうとしても無駄だ」
「いや、本当です。その男は財布を二つ持っています。隠している場所は……」
山賊たちは、俺の話を信じたようだった。
商品を持っている俺よりも、金を持っている旅人を狙った方がいいと判断したようだ。
山賊たちは、藤次郎を襲いに行ってしまった。
すまない、藤次郎……
背に腹は代えられない。
俺は山賊たちから逃げるために、そして、藤次郎を裏切った罪悪感から逃げるために、全力で山道を走り続けた。
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