250.そして、かの《来訪者》のおぞましきを否応なく知ったが故に。戦士は此処に、旅立ちの意思を定めた。



「ラズカイエン?」


 自失したラズカイエンに気づき、セルディードが怪訝に眉をひそめる。


「……セルディード。やはりオレは《来訪者ノッカー》を追う。追わねばならん。彼奴の先行きを捉え――必ず、報いをくれてやらねばならない」


 人間どもの街で聞き知った《箱》と《鍵》の来歴にまつわる仮説。そこに思い至ると同時にセルディードへ向けそうになった問いを、ラズカイエンは寸前で磨り潰していた。

 仮にその問いへ肯定が返れば――セルディードは聡明な水竜人ハイドラフォークだ、ラズカイエンの辿り着いた答えにすぐさま辿り着いてしまうだろう。むしろ今の時点ですら、いつその答えに至ってしまってもおかしくはない。


 だから、それ以上を問わなかった。

 こんなおぞましい可能性を、誰とも共有するつもりはない。


(《鍵》は……あの遺跡とやらの『鍵』だった。山を越えて《月夜の森》へ至った部族、御使い、《龍種リヴァイアサン》、未来を見る竜……未来を選ぶ岐路を選定する)



 ――神殿に祭られた、里の秘宝は。


 ――《御使いリヴァイアサン》から、授かったものではないのか――?



(くそったれが……!)


 だとしたら、最初からすべてが茶番も同然だ。仮に未来を知ったうえでそれが行われたというのなら、《箱》も《鍵》も、今この時のを前提に織り込んで、なされたことではないのか。

 《翡翠の鱗》部族は、尊ぶべき戦士達は、を『秘宝』などと呼んで崇め奉ってきたというのか。


 たかだか小娘一人を呼び起こすための。

 恐らくは、渡された――ただ、それだけの、《鍵》を。


「……プレシオーリアのこと、責めないのですね。ラズカイエン」


「ああ?」


 我知らず、苛立った唸り声が溢れた。ただでさえ余裕がなかったところに、セルディードの言わんとするところがまったく分からなかったせいだ。


「自分が殿しんがりとなって彼女を逃がさなければ、プレシオーリアは自分やオレンティカ同様、イルダーナフ殿に敗れるだけで済んだはずでした。貴方が言っていた『呪詛』で、死ぬこともなく……今も、無事でいられたかもしれない」


「おい、バカを言うな」


 弱々しい懺悔を、ラズカイエンは一蹴した。


「お前とて、自分一人が生き延びるために殿を買って出たんじゃないだろうが。そいつは仲間を、雌竜おんなを逃がすためだったはずだ。違うのか?」


「ええ――仰るとおりです。オレンティカが瞬く間に倒され、もはや《箱》の奪還は叶わぬものと、自分は状況に見切りをつけました。ならば、せめてプレシオーリア一人くらいは、自分が無事に帰さねばと」


 ウォーターフォウル号の船内で、船の護衛を務めていたイルダーナフと相対し。

 真っ先に挑みかかったオレンティカが為すすべなく倒され、正面から相対した時点で、セルディードは彼我の間に横たわる『格』の違いを思い知った。


 到底、勝ち目はない。

 セルディードはおろか、プレシオーリアと二人がかりでも、数合のうちに倒されてしまうだろう――と。


 ならば、せめて任務の失敗を他の戦士へ伝え、撤退させなくてはいけない。そして、そのために生き延びる者がいるとすれば、男の自分ではなく女の――それ以上に、愛する恋人ラズカイエンが帰りを待つ、プレシオーリアであるべきだ、と。


 そのために、セルディードは死を覚悟して殿に残り、戦士達への伝令を委ねてプレシオーリアを逃がした。


 そのはずだった。


「ところが、現実はこのざまです。イルダーナフ殿に倒された自分は彼女の慈悲と温情で助命され、その自分が命を賭して逃がしたはずのプレシオーリアは、訳の分からない呪詛とやらで命を落とした」


「お前のせいじゃない。あんな、『呪詛』なんてものの存在は、誰も知らなかったんだ。オレも、戦士達も……イクスさえもだ。オレだって……」


 ――自分だって、そうだ。あの時、イクスやプレシオーリアと諸共に死んでいて、何もおかしくはなかった。


 くだらない、つまらない偶然が――人間への憤激と侮蔑を隠さないラズカイエンはもはや人間との対話において邪魔にしかならないと、そう見限ったイクスリュードによって交渉の場から遠ざけられた、ただそれだけのことが。


 それだけの差が、ラズカイエンの命を長らえさせた。長らえさせてしまった。


「望んで生き延び、生き残ったんじゃないだろう。あいつらが望んで死んだのではないのと同じくらいに……お前もオレも、望んでこうなった訳じゃない」


「……自分は恐ろしくてなりません」


 水竜人ハイドラフォークの戦士は、なおも零す。雨垂れのように。


「恐ろしいんです、ラズカイエン。貴方が言う……《来訪者ノッカー》が、自分は心の底から恐ろしくて、仕方がない」


「お前――」


 ラズカイエンは言葉を失う。セルディードは強くかぶりを振った。


「自分とて戦士のはしくれです。栄えある里の戦士として選ばれた日から、戦いに命を落とすのは誇り高き使命のうち。その覚悟ならば、とうの昔に決めていました。

 ――ええ、戦いで死ぬのなら怖くありません。それは戦士のほまれです。

 ですが、ラズカイエン。貴方の語った言葉がすべて真実ならば、イクスリュード達はんだ」


 底冷えするような恐怖と嫌悪に、水竜人の戦士は震えていた。


「神殿で人間サルどもの卑劣に敗れた者達でさえ、それは夜襲と奇襲という『戦術』の結果――哀れな敗死といえど、紛れもない『戦士の死』でした。なのに、知勇兼備と讃えられ、百年に一度とまで謳われた素晴らしい戦士が……イクスリュードの死は、呪詛などという訳の分からないものにんです」


「…………………………」


「彼だけじゃありません。ヤズレン、パトロキオス――他の戦士達も。自分が死ぬ覚悟で逃がしたはずだったプレシオーリアも、みんな……戦士として名誉ある戦いに臨み、その精華を振るうことすらできず、何もできずに……戦いの誉れすら、彼らには」


 線の細いセルディードの相貌は硬く強張り、その拳は戦慄くように震えていた。


「笑ってくださいラズカイエン。自分は……イクスリュード達のようになるのが怖い。戦士として何もできずに死ぬのが、戦士として磨き上げた精華を無為に喪うばかりの死が、自分は恐ろしくて……仕方がないのです……!」


「……笑うものかよ」


 同胞の目尻に浮いた恐れの涙から。ラズカイエンは目を背け、見て見ぬふりを通した。

 勇敢な戦士の膝をこうも惨めに折らせた、その恐怖が――が。虚無のうろを覗き込むようなおぞましさが、痛いほどに分かってしまったせいだ。


 ああ、そうか――だから、だったのだ。オレは。


 朽ちるに任せるが作法とされる戦士達の亡骸を。

 埋葬し、墓を作って、弔わずにいられなかったのは。


「オレは里を出る。里長の許しが得られずとも、オレはオレの復讐を果たす」


「……………………」


「里を追放されたところで、どうせ元の外れ者に戻るだけだ。だが……真実そうなった時には、次の戦士長に選ばれるのは恐らくお前だ、セルディード。この難局に、後の面倒を押し付ける真似は気が引けるがな」


「自分は……そのような器では」


「イクスさえいなければ戦士長にもなれただろうと、惜しむ声を幾つも聞いたぞ。オレのように粗暴なだけの荒くれより、よほど戦士長に見合った器だよ、お前は」


 そう言って。ラズカイエンは湖に背を向けた。

 立ち尽くすセルディードをそのままに、月明かりの差す湖畔を後にする。


(――殺してやるぞ)


 死んだ戦士達だけではない。

 より多くの者達の心と尊厳が、取り返しのつかない傷を負った。


 必ず、報いをくれてやる。うさんくさい仮面に顔を隠し、上から目線で観客を気取り、ラズカイエンを――それ以外の多くの者達をもいいように引きずり回す、あの呪わしき糞野郎に。


「オレが、この手で殺してやる……《来訪者ノッカー》」


 否。それは奴が騙った名だ。

 復讐の業火へとくべる、その呪わしき者の名は、



「――《龍種リヴァイアサン》め……!」


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