249.戦士は夜の湖畔で己の意思とこれからの先行きを語り。その最中においてひとつの可能性に気づき、大いなる衝撃に襲われた。


 場は、自然と散会になった。

 重苦しくいたたまれない空気が充満した、それでなくとももとより居心地がいいとは言い難いぼろけた庵で、それ以上の話を続けられる者はいなかった。


 ――厳密に言えば、飽きもせずみっつめの梨にかぶりつきはじめた部外者も同然の一人だけは、その限りではなかったかもしれないが。

 ただ、その女もそれ以上を続けるつもりはなかったらしく、動揺を露わに絶句するラズカイエンにも、ほかの水竜人ハイドラフォーク達に対しても、それ以上、話の続きを求めようとはしなかった。


「…………………………」


 ラズカイエンは庵を離れ、里の外れの湖まで来ていた。

 鬱蒼とした木々の梢が大きく開け、深く差し込む月の光を受けて銀に輝く湖。《翡翠の鱗》の里における水源のひとつだ。


 一人になりたいとき、ラズカイエンは大抵ここへ来ていた。

 親しい者はとうにそれを知っていて、頃合いを見て迎えに来るのが常態だった――そんな風に慰められているのを理解してからは、足を運ぶこともなくなっていた、そんな場所だった。


「ラズカイエン」


 呼びかけに振り返った先にいたのは、痩身の水竜人ハイドラフォークだった。


「セルディードか。まだ帰っていなかったのか」


「我々もこれから帰るところです。ただその前に、自分一人くらいは家主へおいとまを言っておこうかと」


 律儀なことである。ラズカイエンは好ましく失笑しながら「ああ」と返したが。

 だが、セルディードは去らなかった。


「――これから、どうされるおつもりなのです」


 水を打ったような、沈黙が流れた。とどのつまり、セルディードはそのために、わざわざここまで足を運んだのだ。


「オレの意思は変わらん」


 オレンティカの言葉が、はからずも俎上そじょうに上がってしまったリオプレシアの思慕を呼び水にした、ラズカイエンに対する翻意の促しであることは分かっていた。

 だが、それは到底容れられるものではなかった。たとえば、この場で決心を翻し、リオプレシアとつがいになる自分を想像して――奥歯を浸す苦みのような感覚と共にこみ上げたのは、まさしく反吐が出るようなどす黒い思いだった。


「オレは《来訪者ノッカー》を屠り、奴がしでかした悪逆の報いを受けさせる。それを果たさずして――オレはこの先、何ひとつまともには向き合えない」


「ですが、手がかりはあるのですか? 件の《来訪者ノッカー》なる輩を探し出すための……当て所なく、闇雲に里の外を彷徨さまようばかりであるならば、それは里の誇りたる戦士として、あまりに無様なことではないのですか」


「……ないことはない。どこまで頼みとできるかは分からんがな」


 ――第一に、《来訪者ノッカー》と手を結び、里の神殿から《箱》を強奪した冒険者ども。どこまで真実かなど知れたものではないが、今や奴らにとっても《来訪者ノッカー》は同胞の仇と目す存在であり、討つべき敵だ。


 曰く、人間の声が伝える噂話は竜の翼よりも早く千里の道を駆けるという。

 さして期待できるものではないが、連中が何かを掴んでいる可能性は――ある。


 そして、それ以上に。

 《来訪者ノッカー》がを知る小娘の存在と、その小娘を庇護のもとに置いている人間の戦士――シド・バレンスの存在。

 件の小娘――クロとかいう女を傍に置いた、戦士として高みに在る人間おとこ


 或いは、あの男ならば。《来訪者ノッカー》に迫る手がかりを、誰より早く掴んでみせるのではないか。根拠を問われればそこには何の理屈もなかったが、ラズカイエンにはそんな予感があった。


「……少なくとも、今のオレでも分かっていることはないでもない。たとえば、ヤツが《龍種リヴァイアサン》とかいう、いにしえの旧種族らしいということや」


「――《龍種リヴァイアサン》?」


 ぎょっとして呻くセルディード。言葉を止めたラズカイエンは、その反応を訝しんだ。



「お前、何か知っているのか。《龍種リヴァイアサン》とかいうシロモノを」


「知っているも何も、ラズカイエン――」


 むしろ、「何故知らないのか」と言わんばかりに、大袈裟にかぶりを振って。セルディードは言う。


「それは、我らが奉ずる神竜が遣わした、《御使みつかい》の名ではないですか。我々、《翡翠の鱗》の部族を――のみならず、数多の竜人をこの豊かな森へと導いた、《御使いの竜》の名です」



「……何だと?」


 訳が分からず、呻く。《来訪者ノッカー》との繋がりがこんな形で――いや、幾らなんでも両者を結びつけるのはまだ早計だ。そもそも《御使い》とは何なのだ?


「その話、お前はどこで知った」


「どこと言われても……ラズカイエンこそ、ご存じなかったのですか? 部族の昔語りです。親や祖父母が寝物語に、あるいは村の大人が集会場で幼竜こどもらに語って聞かせるような」


 困惑が露わなその言葉で、一気に腑に落ちた。


「なら、オレには縁のないものだったな。オレには部族の歴史を寝物語に聞かせてくれる親はないし、幼竜こどもの集まりにも縁がなかった」


「……申し訳ありません。浅はかでした」


 セルディードは己の浅慮に恥じ入った。

 ラズカイエンに親はない。忌み子として孤独に幼少の頃を過ごした彼が幼竜こどもの集まりに行けたはずもなく、親代わりだった地竜人オルムフォークの占い師はもともとどこからともなく流れついた余所者だ。《翡翠の鱗》部族の昔語りなど、語られるはずもない。


「気にするな、昔の話だ。そんなことより、その昔語りというのはどんな話だ」


「……あなたの復讐に役立つ話とは、とても思えませんが」


 そう前置きしてから。セルディードは件の物語を諳んじ始めた。



 ――かつて、我々はこの森より西の山脈を越えた先、深く豊かなる森に住まう竜の部族であった。

 ――しかしある時、大いなる災いの塔より溢れ出たる、怒涛の如き魔物どもとの戦いが起きた。雲霞のごとく押し寄せる魔の怒涛を前に、数多の強き戦士が斃れ、また戦士ならざる竜も深く傷ついた。

 ――森も里も荒れ果てた。生き延びた竜達もまた、燃え落ちたる森を前に、絶望でその膝をついた。もはや我らに残されたる道は、燃え残りし恵みを巡って同胞相争い、互いの部族の肉を食むように奪い合うのみか、と。暗き天を仰いで嘆き、慟哭した。



「その時、竜人の嘆く声を悲しんだ御使いの竜が天より現れ、西の山を示して言った。『あの山を越えた先に新たなる恵みの地はあり。竜の子らよ、同胞をあやめるなかれ。その力は新たな地へ渡り、新たな恵みを手にするためにこそ振るうべし』――と」


「…………………………」


 セルディードの話はまだ続いていたが。この時のラズカイエンはその言葉を、半ば聞き流しつつあった。

 引っかかるものがあったせいだ。まるで、喉に刺さった魚の小骨のように。


 セルディードが語る昔語りと同じ内容を――ラズカイエンは既に、どこかで聞いたような気がしていたのだ。

 ラズカイエンはもどかしく胸のうちへと問いかけ、引っかかりの正体を懸命に探る。そして、


 ざあっ、


 と、血の気が引いた。その正体に、気づいた瞬間に。


(……そうだ)



 ――いかなる理由によってか、《箱舟アーク》北方の大森林より東へ移動した竜人種は、現在の《月夜の森》を新たな住処と定め――先住者たる獣人種との、抗争の歴史が始まりました――



 それは、あの――人間どもの街で。

 他ならぬ、《箱》を奪った冒険者どもの口から語られた、《箱》と《鍵》の来歴。その仮説だった。


 彼奴等に対し《来訪者ノッカー》が語ったという――その、仮説だった。

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