248.戦士は少女を叱責し、重ねて友らの復讐を心に誓う。然して後に、少女の純情を知る。【後編】


「!」


 ――追放。


 呻くクリフリュードの言葉に。その深刻さに打たれたように、妹竜リオプレシアは、はっとその面を上げる。

 しかし、若い水竜人ハイドラフォークの深刻な危惧に相反して、当のラズカイエンはフンと鼻を鳴らしただけだった。


「もとよりオレは、《翡翠の鱗》の外れ者だ。それが、たまたま素晴らしい戦士達の大きな手に引かれ、その輪の中へと迎えられたにすぎん」


「ラズカイエン――」


「セルディード。オレは大概血の気の多いバカ者だが、物の道理の一切が分からんほどじゃないつもりだ。そこの人間も言ったことだが、長の仰ることはもっともなのだろうし、その意味するところも分かる――頭では、分かっているんだ」


 それすら己の思い上がりだと指弾されるなら、返す言葉もないが。

 だが、それでも、


「それでもダメだ。納得できん。親友イクス恋人プレシオーリアも殺されておきながら――」


 ――いや。

 ラズカイエンは強くかぶりを振った。


「死と呼ぶのも生温い……あんな惨たらしい肉塊に変えられておきながら。それを忘れてのうのうと妻を娶れ、子をなせと? できるものか。オレには無理だ」


 繰り返し。繰り返し。

 振り返り、思い返すたびに、心のもっとも深いところで泡を立てる、溶岩のような熱がある。目の前を塞ぎ、赤々と染め上げる、煮え滾る『憎悪』の熱だ。


「他ならぬあいつらの仇すら討てないというのなら……あの光景の、報いすらくれてやれないというのなら。オレは一体、何のための戦士なんだ。オレは……!」


「――ラズ兄様」


 不意に、遮る呼びかけがあった。


 リオプレシアだった。

 憎悪から引き戻されたラズカイエンが我に返った時、風に吹かれて熱が冷めるような感覚の中――深く頭を垂れる雌竜むすめの姿を見る。


「ラズ兄様の御心、確かに承知いたしました。里長のめいには、わたしからお断りを申し上げます。兄様を煩わせはいたしません」


 少女へ向けて咄嗟に反駁しかけ、ラズカイエンは寸前でその言葉を呑み込んだ。お前が何かをする必要はないのだと重ねて口にしかけ、端然として頭を垂れる少女の姿を前に、どうしてかそれを躊躇う。


「……お前は器量よしだ。家柄も……いや、なにより気立てがいい。つがいにと望む雄竜おとこは、いずれ滝壺の飛沫しぶきほどにも現れる。

 このオレとて、プレシオーリアのような雌竜おんなと出会っていなければ、いずれはその列の中に雁首を並べていたかもしれんくらいだ」


 ――結局。

 胸騒ぎのようなざわめきを覚えながら口にできたのは――そんな、ひどく空々しい慰撫だけだった。


「焦る必要などないんだ。お前に相応しい雄竜おとこを見つけ、つがい、幸せになれ。イクスが生きていたなら、やつもそれを望んだはずだ」


「はい」


 頷き、リオプレシアは腰を上げた。


「あの。わたし、明日も早いので……兄様がたに失礼と存じますが、お先に戻らせていただきます」


「ああ待て、リオプレシア。それなら送っていってやる。帰ると言っても、どうせ戦士見習いの宿舎だろう?」


 見習いの頃には、ラズカイエンも寝起きした場所だ。道もよく覚えている。


 だが、これにはリオプレシアの方がかぶりを振り、謝絶する。


「平気です。お気遣いなく」


「だが」


「兄様もご存じの通り、わたしも戦士の見習いです。兄様は大人ではないと申されましたが、わたしだってもう、夜道に怯えるような幼子こどもなんかじゃありまえん」


「僕が一緒に行きます。もとより僕は、妹と帰り道も同じです」


 重ねて、頑なにかぶりを振るリオプレシアに、クリフリュードが横から申し出る。

 行こう、と――どこか焦った様子で促す兄に従い、リオプレシアは踵を返した。


 そうして庵を去る二人を、腑に落ちない心地で見送って。

 いたたまれない思いに呻くラズカイエンの耳に、ぽつりと問いかける声が響いた。


「ちと、冷たくはないか?」


 イルダーナフだった。ふたつめの梨にかぶりつきながら、座る足を呑気に崩して、二人の去った先を眺めやっている。

 じろりと人間の女を睨みやり、ラズカイエンは唸った。


「何がだ」


「何がというが、ぬしよ」


 どちらかといえば不思議そうに眼をしばたたかせ、イルダーナフは言う。


「あの娘、どう見てもぬしに惚れておったであろうに。それをあのあしらい方というのは、いかなぬしの立場とはいえ、情を欠いたものではないのかや?」


「はああ?」


 心からの呆れ切った呻きと共に、きつく眉根をしかめる。

 一度は戦士と認めた人間ニンゲンの女を、ラズカイエンはこの時初めて心から軽蔑しかけた。


「オレは里の外れ者だがな、リオの長兄はその俺を『友』と呼んだ、俺にとってはただ一人の親友だった男だ。リオも、それにクリフも、その長兄イクスに倣ってオレの存在を厭わず、兄の親友として迎えてくれているというだけだ」


 今よりずっとちいさな、本当に幼竜こどもの頃から、兄と呼んで慕ってくれた。

 その真っすぐな信愛を受けていると、天涯孤独の自分が、本当に誰かの『兄』になれたようで嬉しかった――そう呼ばれるに相応しいものでありたいと、相応しいものになりたいと、心からそう思えた。


「その在り方に思いもよらず、何でもかんでもおとこおんなの間のことと見做すのは、実に人間サルメスらしい下世話な発想だな。キサマの剣腕は確かに戦士と呼ぶに値したが、心根の方は見誤ったということか」


「……ラズカイエン」


「何だ、オレンティカ。お前も何か言いたいことがありげだな」


 オレンティカ――その場に残った唯一の雌竜が、深々と溜息をつく。


「あんたが今も、これまでも、プレシオーリアしか見てないのはよく分かったし、それが悪いとは言わないわ。むしろ、ほっとしてる。私、あの子とは友達だったから……あんたがそういうやつでよかったと思ってるくらい。それは――本当」


 ――だが。そのうえで。

 苦り切った内心を隠すことも能わず、オレンティカは磨り潰すように呻いた。


「……イルダーナフ殿の言っていることは、本当よ」


「はあ?」


「だから、リオプレシアよ。あの子が、あんたに惚れてるってこと」


「……はあぁ!?」


 愕然と。衝撃に、ラズカイエンは思わず腰を浮かせた。


「なっ、そ……よりによってキサマまで戯言をほざくか! そんなはずが」


「ずっと遠慮してたのよ。そういうの自覚するようになった頃にはもう、プレシオーリアがいたし……あんたもあんたで、プレシオーリア以外の雌竜おんなには端から目もくれやしなかったでしょう?」


 もはや返す言葉も浮かばず、ぱくぱくと口吻を開閉させるばかりのラズカイエン。

 イルダーナフが「ほれみろ」と勝ち誇った顔をしていたのさえ、見遣る余裕もない。


「……私も戦士だから、あんたの言うことは分かる。里の戦士として、あんたの方が純粋で――きっと、正しい」


 ――けれど、と。

 狼狽するラズカイエンを、雌竜は真っ直ぐに見据えた。


「プレシオーリアはもういないわ。イクスリュードも」


「キサマ――」


「この際、もう一度だけきちんと考えてみない? あんたは本当に、彼らの仇討ちに向かうのか――こうしてリオの気持ちを知ったうえで、里に残って長の命に従うのは、あんたにとってそんなにもあり得ないことなのか、どうか」


「……この」


 その分別ぶった面に、思いつく限りの罵倒をあらん限り叩きつけてやろうとして。


 きつく奥歯を噛み締めたラズカイエンは、しかし――脳裏に浮かんだ最初のひとつさえ、その口の端へ載せられず。

 きつく奥歯を食いしばり、呻くしかできなかった。

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