214.ひとときの閉幕:されど、其は終演の幕引きには非ずして【後編】


「……………………!」


 女は震えあがった。酸欠を起こしたように荒い呼吸を繰り返しながら、引き攣った顔を伏せて必死に床へひれ伏し続けていた。


 もはや、目も合わせられなかった。

 花のように可憐な美貌が、ただただ恐ろしかった。


「戦士団の聴取には、どうか嘘偽りなく、誠実にお答えくださいね」

 

 繰り返される命令に対し、もはや否やはなかった。もしこれ以上『ボス』からの不興を買えば、オーナーは間違いなく愛人である女を切り捨てて、自分一人の保身に走るだろう。

 身一つで放り出される程度なら、まだしもの幸運だ。後ろ盾をなくしたギャングに待つ未来など、到底まともなものではあり得なかった。


「そうすれば、後のことはわたくし達が引き受けましょう。ファミリーの名に懸けてそれを果たすと、硬くお約束します。決して悪いようにはいたしません」


「ほ……本当でございますか? ご当主様……」


「ええ! 何ならこの場に弁護士を呼んで、証書でも作りましょうか? 家族ファミリーの間のこととはいえ、そうした手続きはきちんとするべきことですもの」


「い、いいえ! そのような、畏れ多い……あなた様のような御方にそこまでのお手間を取らせるだなんて、あたしのような下賤の者にはとてもとても!」


 恐縮しきって身を縮める女に、少女は「そうですか?」と小鳥のように小首を傾げた。


「では、このお話はここまでです。今後、件の冒険者宿――《忘れじの我が家》亭、でしたか? そこからは手を引き、身を慎んでご自分の宿の経営に専念なさい。それがロナンドおじ様の意にも、もっともかなう振舞いでしょう」


「は、はい。確かに仰るとおりで――ですが、あの、ご当主様?」


「何でしょう?」


 ニコリと笑みを深くして問い返す少女へ、女主人は卑屈な笑みを浮かべて問いかけた。


「あ、あの連中……何とかいう名前のうさんくさい中年と、あたしを裏切った冒険者ども。あいつらは、ファミリーに恥をかかせました……奴らにその落とし前をつけさせてやらないことには、街のみなへの示しというものが」


「恥をかいたのはファミリーではありません。


 媚びた笑みは、玲瓏な一声を前に凍り付いた。


「最前にも申し上げたばかりでしょう? 問題の件については、わたくし達も粗方の調べをつけているのです。ロナンドおじ様も今回の始末には、大変に困っておいでのご様子でした」


 自分が無用の欲をかき、挙句に失言したことを、女は遅まきながらに痛感した。そして後悔した。


 もはや事態は彼女の手には、それどころか、彼女の後ろ盾たるオーナーの手にさえない。

 自分はこの屋敷へ呼び出された時点でそれを理解し、下手な報復の欲などかかず、おのがが首が繋がっている事実だけで喜ぶべきだったのだ――


「果たして、ファミリーはそれらに関与すべきか否か。関与すべきとして、いかにしてそれをなすか。すべてはそれらを踏まえたうえで、総意として方針を定めること――今日のところは、もうお帰りなさい」


「は……はい……」


 のろのろと立ち上がって深く一礼した女は、背を向けて歩き出す。

 まだ自分の首がきちんと繋がっている――その事実にすら確信を持てず、幽鬼のように頼りない足取りで部屋を出ようとする、その背中に向けて、


「ああ、そうだ。もうひとつだけよろしいかしら」


 ひっ――と溢れかけた悲鳴を抑えるのに、女は総身の力を振り絞る羽目になった。


「は……はい。まだ、あたしに何か……」


「貴女が御自慢にしていた用心棒――グンヅさん? もし、この先不要ということでしたら、わたくしに譲っていただくことはできませんか?」


「グ、グンヅのやつをですか? 貴女様が……?」


「いけませんか?」


「い、いいえいいえ、とんでもない! あのような役立たずでよろしければ、喜んでお譲りいたしますわ。どうぞ、下働きでも獣の餌でも、ご当主様のお好きに使ってやってくださいませ……!!」


 小首を傾げただけの少女へ、揉み手しながら追従を送り。

 満足げにニコリと微笑む少女の笑顔に見送られて、女主人はようやく当主の書斎を後にした。



「――リュドミラお嬢様」


「いいわ、別に。もとより今回の件は、彼女らが独断で始めたこと。不首尾に終わったところで、総体としては大した問題にならなかったはずのことです」


 むしろ、買収を焦って力ずくに走ったことで、問題が厄介な形に膨れ上がった。目先の成功に目を奪われ強硬手段に訴えた女の浅薄さに対してばかりは、少女も嘆息を禁じえなかった。


「今後の安全を思うなら――ロナンドおじ様には少しばかり、強めの釘をさしておくべきでしょうけれど。愛人の振舞いに手綱ひとつつけられないというのでは、ファミリーの序列も考え直さざるを得なくなってしまうもの」


 ――近年、トラキア州政府ならびにオルランドの執政府は、市内における歓楽街の締め付けを強めていた。彼女達の『ファミリー』の傘下にあたる、裏社会に勢力を有するいくつかの組織ギャングの権勢を削ぎ、状態に置くための措置である。


 特に、現市長のホーウィックはしたたかな辣腕だ。

 前市長の側近だった十年以上の昔から、ファミリーの情報網にすらかからないほどひそかに準備を推し進め、自身の市長就任と前後して起きたティグレス・ファミリーの抗争につけいる形で、消耗し疲弊したギャング達の資金源を次々に摘発していった。

 今のところその網は、末端の組織を捕えるのみにとどまっているが、最終的な狙いがどこにあるかは推して知れる。 


 オルランド市内の急速な治安改善を齎した手腕でもって、選挙権を有する都市市民からの人気が高く、半年後に控えた次期市長選挙においても本命と見做されている。現状の流れはこの先さらに強まることこそあれ、緩むことはないだろう――今のまま、指をくわえて見ているだけならば。


 目先の買収の成否など、些事だ。

 現状においては、彼ら官憲に介入の口実を与える隙を作る方が、オルランドの裏社会すべてにとって、よほど頭の痛い問題だった。


「まあ――彼女のしでかしの後始末程度なら、わたくし達の差配でどうとでもなることよ。この件に関しては、それで十分でしょう」


 もっとも気がかりなのは、そこではない。

 気がかり――ということさえ、実のところ正確ではない。それは『興味』と呼ぶべき、少女の胸に灯った関心だった。


「彼女の用心棒を倒したという男性――何というお名前だったかしら」


「シド・バレンスですか」


「そう、その御方。冒険者ということだったけど、どういった方なのかしらね」


「さして名のある冒険者ではないようです。むしろ、《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》――実績を欠く冒険者として、周りの冒険者からは軽んじられているようで」


「まあ」


 ただただ疑問を現すように、少女――リュドミラは小首を傾げる。


「それは不思議なことね。グンヅ――彼女のご自慢だった用心棒は、タリミアの地下闘技場でチャンピオンだったという方よ。北方の雪獣、凶暴な北辺巨熊ミスヴァルズ・グレートベアを、素手で絞め殺したこともあるとか」


「ご認識に相違ないかと」


 淡々と肯定する男。少女は「ふぅ」と息をついた。


「――と、いうより、わたくしは彼の戦いぶりを拝見したことがあるはずなのよね。タリミアの尊い方々をお訪ねした時に……とても血腥ちなまぐさいしろものを、まるで宝物か何かのように見せびらかしていただいたわ」


 その時の光景を思い出し、少女は露骨に不快を示した。


 もっとも、タリミアの貴族達から実際に『それ』らを見せられた時は、そんな顔など微塵も見せはしなかったが。

 代わりに、血と臓物に怯える少女の素振りで瑞々しい美貌を青褪めさせ、はっはと得意げに笑う腹立たしい男へと、涙を浮かべながら縋りついてみせたものだった。


 その実、目の前の戦いを――冷たく見定める眼差しで、ひそやかに注視しながら。


「あれは紛れもなく、人外の戦いぶりだったわ。並の人間の手に負えるものでは、到底あり得ないもの……」


 ――少なくとも。

 実績を欠いた凡庸な冒険者くずれごときに一蹴されるような、安いしろものではない。猛獣の顎を素手で引き裂く、筋肉の化物共――その頂点に立つような、怪物は。


「だというのに、その彼を退けた御方は、一介の冒険者などに甘んじている。とても不思議なことだわ。夢みたいに不思議なこと」


「東方の冒険者には、階位クラス拘泥こうでいせぬ気風があると聞きます。あるいはその類かと」


「詳しいのね、ヴォイド」


 ぽつりと零し、少女は睫の長い眦を細めた。


「それはもしかして……貴方のゆえのことかしら?」


「いいえ、お嬢様。それらは全く無関係のものです」


「……そう」


 生真面目に応じる仮面の側仕えに、少女は興が削がれたとばかりにちいさく鼻を鳴らした。


「調べさせますか。お嬢様」


「そうね」


 少女は首肯する。


「どれくらいかかりそう?」


「概略程度であれば、既に」


「あら、そうなの……いつもながら、仕事が早いのね」


「恐縮です。しかし、そのまでを入念に洗うのであれば、あらためて相応のお時間をいただくこととなります」


「いいわ。やらせてちょうだい」


 犬でも追いやるようにその繊手を振って、素っ気なく命じる少女に。

 仮面の側仕えは粛然とこうべを垂れて、主よりのめいを拝するのだった。

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