222.お世話になりました! 《Leaf Stone》の『見送り会』――油! 脂! 酒! 油! 酒! 脂ぁ!!


 その日もとっぷりと陽が落ちて、夜と安息の女神ネフィリールしろしめす夜の時間である。


 魔光灯の街灯が輝くオルランドの大通りから外れて少し入った先にある、諸々の店が軒先を連ねる商店街。その並びの中に、瀟洒な金属製の看板に屋号を刻んだレストラン、《Leaf Stone》はあった。森妖精エルフ料理と山妖精ドワーフ料理を出す妖精種の夫婦の店として、近隣ではちょっと名を知られた店である。


 二階建ての建屋は一階が酒場兼レストランといった風のありふれたつくりで、二階は森妖精エルフの夫と山妖精ドワーフの妻が暮らす生活空間と一体化した宿泊施設。妖精種の里以外で妖精種の料理を口にできる数少ない店として、噂を聞いた旅行者が遠方から訪うことがあり、そうした客を迎えるための備えである。


 体裁としては、一般的なレストランというより、宿泊施設付レストランオーベルジュと呼ぶべきものであろう。にもかかわらず、《Leaf Stone》がオーベルジュの看板を掲げていないのは、



「何でってそりゃあ、その手の店ってのはアレだよ。もっと景色のいいとこが、地元の食材でメシ作ってナンボってやつだろう?」



 ――と語る妻の、山妖精ドワーフらしい頑固なこだわりによるところである。


 フィオレにとっては旧知である、妖精種の夫婦――森妖精エルフである夫エリクセルと、山妖精ドワーフの妻ナザリの夫婦が切り盛りするこの《Leaf Stone》の二階で、オルランドに来てからのシドは寝起きをさせてもらっていた。

 

 だが、此度こたびに晴れて所属先の冒険者宿が定まったことで、シドは《忘れじの我が家》亭へその寝起きの場を移すこととなった。


 併せて、フィオレとクロの二人も今後を見据えてシドについてゆくこととなったため――「そういうことなら」と思い立ったナザリの発案で、今夜は《Leaf Stone》を離れる三人のための、『見送り会』が開かれる運びとなったのだった。


「――さあさ、どんどん食べな! 今日は腹がはちきれるくらいまで食って飲んで、明日からの英気を養っていっとくれっ!」


 玄関に『Closed』の看板を下げた一階の灯りを、完全に落として。

 絨毯の上にクッションを並べた二階のラウンジには、昼から支度して厨房から運び込んだ大量の料理が、ずらりとその皿を並べていた。


「おお……」


 ふかふかのクッションを集めたところに胡坐をかいて座りながら。かぐわしい香りを鼻先まで届かせる料理の群れに、シドは圧倒されていた。


 ――とてもではないが、五人分の料理ではない。


 隣に座るフィオレも、シドと大差ない顔をしていた。クロは子供らしくはしゃいだ素振りを見せながら、圧巻の有様を前に目の光が消えているのが見て取れた。


(用心して、昼を抜いてきてよかった……本当によかった)


 だが、圧倒こそされていたが、今日はその量もまだ今までほど恐ろしくはない。何故ならこの場にいたのは、シドやフィオレ、クロだけではなかったからだ。


 クロの服を用立ててくれた仕立屋の女主人や、店で働くお針子達。

 シドが新しい靴をお願いしている靴職人。

 他にも、ナザリとエリクセルの馴染みである――シド達にとっても、《Leaf Stone》で寝起きする間に顔見知りになっていた商店街の人々が、ずらりと車座になって場を囲んでいたからである。


 だが――座に並ぶ料理は、それの人数を前にしても見劣りしないほどの量だった。


 グレービーソース肉汁ソースをひたひたになるほどたっぷりかけた、厚切りのステーキ肉。

 無造作に積まれた厚切り肉がうず高くなった大皿の隣には、陶製のスープボウルになみなみと満たされた、豆と野菜のスープ。


 一口するたび舌がひりひり熱くなるほど香辛料をふんだんにつぎ込んだ、山菜ときのこの炒め物。

 その炒め物をソース代わりにして、あるいは挽肉とトマトのソースを絡めて食べる、鷹の爪とオイルで炒めたスパゲッティ・パスタ。


 ざくざくと切ったバターの塊を乗せて溶かした、アツアツの蒸しじゃがいも。肉料理のつけ合わせに供された、ぎゅうぎゅうに皿を埋める蒸し野菜の群れと豚肉の蒸し物。それらに彩りを添えるスパイシーな三種のタレ。


 鶏の丸焼き。大ぶりのキャベツひとつを寸胴鍋でまるごと煮込んだ山羊乳のシチュー。豚肉とニラをふんだんにつぎ込んだパエリア。肉と卵の比率が異様に高い山盛りの焼き飯。等々。


 そして、これは《Leaf Stone》の食事ではシドがいっとうお気に入りの、兎の肉とチーズ、刻み野菜をたっぷり挟んで揚げた平パスタ餃子ラビオリ


 食べているうち今にも肌から脂が滴りそうな、油と脂に塗れた喉を潤し洗い流すのは、喉を焼くように熱い山妖精ドワーフ愛飲の火酒と、芳醇に香り高き麦酒エール

 子供や下戸のためにしぼりたての果汁を満たしたピッチャーも用意されてはいたが、場に居合わせる大半が酒飲みの大人――乾杯の音頭が響くたび酒瓶がカラとなり、そのたびに上機嫌で階下へ降りて追加の酒を補充していたナザリは、とうとう厨房から樽ごと麦酒エールを持ち出す蛮行に及ぶ始末であった。


 かくして――『見送り会』の名目がどこかに飛んで消えてしまいそうなほど、賑やかな宴会が続く中。

 食事の手が完全に止まったタイミングで踏ん切りをつけ、シドは隣のクッションにぺたりとお尻を沈めたフィオレに話しかけた。


「フィオレ、少しいいかな」


「ひゃっ」


 勧められるまま麦酒エールを煽り、すっかりとろとろに酔っていたフィオレが、はたと我に返った様子で居住まいを正す。


「あ、シド……なあに? どうかした?」


「いや、その。少し話したいことというか、相談があるんだけど……いいかな」


「相談?」


 小鳥のようにこきゅっと小首を傾げながら、態度で以て傾聴の姿勢を示すフィオレ。

 警戒心の欠片もない、ひどむ無垢な仕草に内心で少々気まずいものを覚えながら。シドは言葉を選びつつ、朝方にユーグから受けた『相談』の内容を切り出した。


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