217.遠方より手紙が届きました。拝啓、あれからお元気でお過ごしでしょうか


 《十字路の国》クロンツァルト西方の新領土。かつては《火竜の狩場》の名を冠した新興開拓地フロンティアの東端に広がる、メンベンドール男爵領。


 その統治の中枢たる、領都ミッドレイ――領都と呼びうる下限すれすれの小都市に、《湖畔の宿り木》亭の名を冠する宿がある。

 ミッドレイの中心からすこし西へと外れたそのちいさな宿は、この街では一番古くから営業している歴史ある宿だった。

 客室を二階に設え、一階は酒場兼食堂として営業している。《大陸》ではよくある形式の宿だ。


「ミレイナさーん、郵便でーす!」


「はあい」


 その、《湖畔の宿り木》亭を切り盛りする女将――ミレイナのもとへ、この街では滅多に届くことのない遠方からの郵便が届いたのは、その年の夏を控えて深緑がますますその濃さを深める、六月も終わりが近づくある日のことであった。


 お互い顔見知り同士ばかりが集まった、ちいさな田舎町の住人同士の気安さで玄関から酒場へ入ってきた郵便配達員が、封筒を高々と掲げて示すのを、厨房で昼に向けた仕込みを始めていたミレイナはぱたぱたと早足で出迎えた。


「ミレイナさん宛の手紙です。シドさんからですよ」


「まあ……」


 ――シド・バレンス。

 ミレイナにとっては一人娘であるターニャと、娘の幼馴染であり、彼女にとっても幼い頃からよく知った少年であったヨハンの結婚を見届けてこの街を去った、一人のベテラン冒険者。

 封筒の消印を見ると、見慣れない消印――よくよく見れば、『オルランド』の名を読み取れる印が、判で押されていた。


「ありがとうございます。いつもお疲れさまです――よろしければ、少し休憩していかれます?」


「いえ、自分はまだ配達が残ってるんで。今日はお気持ちだけ」


「あら、そうですか……?」


 珍しい、と。ミレイナは真っ先に思った。

 というより、昼食の仕込みをしているような早い時間に郵便配達が訪った時点で、既に同じ感想を抱いていた。


 若い郵便配達員の配達ルートはおおよそ一定していて、《湖畔の宿り木》亭はその終点近く。つまるところ、彼は一日の配達仕事を終えた後、一階の酒場兼食堂で休憩や昼食を取った後、郵便局での内勤仕事に戻るのだ。


 ミレイナのそんな内心を察してか。青年はニッと歯を見せて笑った。


「シドさんからの手紙でしょう? 早く見せてあげたかったんです」


「まあ……それでだったんですか? わざわざありがとうございます」


 恐縮してしまうミレイナに、青年は「いえ」と首を横に振る。


「実を言うと、シドさんがどうしてるかって、自分も気になってたんですよ。よければ後で、手紙の内容を教えてください。話していいとこだけで構いませんから」


「そうですね……それでしたら、今日のお夕飯のときにでも、いらしてくださったら。その時に是非」


 ミレイナの申し出に、郵便配達の青年は「やった」と快哉を上げる。


「約束しましたからね。忘れないで下さいよ? それでは、自分はこれで!」


「本当にありがとうございます。お仕事がんばってくださいね」


 微笑んで見送るミレイナに、「はい!」と張りのある声で答えて。若い郵便配達員は、元気に飛び出していった。

 それと前後して、


「おかあさん、今のって郵便屋さん?」


 二階で客室の掃除をしていた娘のターニャが、手すり越しに身を乗り出してミレイナを見下ろしていた。


 栗色の髪を結わえた三つ編みが、だらんと二階から下がっている。早くに亡くした夫譲りのどんぐりまなこは長いまつげがぱちぱちしていて、母であるミレイナから見ても、愛くるしい栗鼠りすを思わせる愛嬌がある――十八歳という年頃の割に印象の幼い、ターニャはそんな娘だった。


「ターニャ、危ないからやめなさい。あなた、もう子供じゃないんだから」


「はぁい……ねえ、そんなことよりおかあさん。それ手紙だよね? 誰から? シドさんから?」


 短く唇を尖らせたきりあっさりと表情を切り替え、まったく反省の色のない――いくつになっても幼さが抜けない娘の振舞いに、こっそり苦笑交じりのため息をついて。

 手すりから離れて廊下を走り、ぱたぱたと忙しなく階段を下ってくる娘に、ミレイナはこくりと首を縦に振った。


「ほんとに? ほんとにシドさんから!? あ、じゃあそのお手紙、オルランドからなんだよね!? シドさんからお手紙なんて珍しいなぁ……ねえ、なんて書いてあったの?」


「まだ封も切ってないわ。お昼の時間が終わってから、ゆっくり読むつもり」


「えー!?」


 途端、ターニャはふくれっ面で声を上げる。 


「そんなのシドさんがかわいそうだよぉ! きっと、あっちでと――――っても忙しくしてるのに、わざわざお母さん宛に手紙なんて書いてくれたんだよ? なのに、おしごとの後回しにして読んであげないなんてかわいそうじゃない? すっごくかわいそう!」


「ターニャ……」


 いつになく押しの強い娘の態度に戸惑いながら、たじろぐミレイナ。

 思わず下がってしまったぶんだけずいと前に進み出て、娘はさらに訴えた。


「それに! おひるになったらヨハにいがご飯食べに来るんだよ? ヨハ兄にもシドさんのお手紙の話してあげたいもん!」


「……もう」


 未だに、夫に対して結婚前からの呼び名が抜けきらない娘の子供っぽさに、困り果てたようなため息をついて。

 ただ――本心を言えばミレイナも、シドからの手紙に書かれていることが気になるのは同じだった。


「……………………」


 ターニャはふんすと唇を尖らせて、一歩も引く様子のない構え。


 ――これはもう、仕方なし。根負けする形でそう踏ん切りをつけ、ミレイナはこくりと首を縦に振った。


「わかったわ。それじゃあ──今、開けてしまいましょうか」


「やーった!」


 声を弾ませ、軽やかに両手を打ち合わせるターニャ。

 そんな娘のはしゃぎっぷりに苦笑の色を深くしながら、ミレイナは封を切るナイフを取りに、宿の奥へと踵を返した。

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