210.交渉成立。そして一件落着――の、その後に。②
「――成程。そんなことが」
二人掛けのちいさなテーブルに並んだ二人分の定食を挟んで今回の経緯を話し終えたシドに、対面のサイラスは重々しく頷いた。
テーブルと椅子のサイズが小さめなせいで、席におさまったサイラスの巨躯はたいへん窮屈そうに見えた。
「シドさんらしいといえば、大変にらしい顛末ですが……その結果が冒険者宿のオーナーとは、なかなかあることではありませんね」
「いや――」
事の次第を聞き終えて、あらためて声を弾ませるサイラスに、シドはゆるゆるとかぶりを振った。
「サティアは『オーナー』なんて言ってくれてるけれど、実際は名ばかりのオーナーだよ。この先、宿を本当にどうしていくかは、あの子に任せきりになってしまうんだと思うしね」
そして――その方が、なまじ自分が下手な嘴を突っ込むよりよほど首尾よく事が運ぶであろうことも、シドは理解しているつもりだった。
《連盟》支部から少し歩いた先の路地にこぢんまりとおさまった、大衆食堂である。
サイラスに店選びを任せると、また以前のようなものすごくお高いレストランに連れていかれそうだったので、今回は先手を打ってシドの方で店を選ばせてもらった。ここ数日、宿探しで方々をうろついていた間に見つけていた、安くてたっぷり食べられる定食屋だ。
「ただ――もしこの先も《忘れじの我が家》亭を手に入れようという動きがあるのなら、その時に交渉の矢面に立つのは俺ということになる。どれくらい役に立てるかは分からないけれど、せめてあの子たちの『矢避け』になりたいと思っているんだ」
「そういうことでしたら、私からも協力できることがありそうですね」
「サイラスから?」
肉野菜炒め定食――甘辛いソースを絡めて炒めた肉と野菜の盛り合わせをパンにはさんでかぶりつきながら、シドは怪訝に首を傾げる。
口の中のものを咀嚼する間に少し黙考し、あらためて言い足す。
「……オルランド支部から、ということかい?」
「ご明察です。実はオルランド支部独自の制度として、冒険者宿への教導制度というものがありまして」
冒険者として財と名声をなした者の中には、引退後の第二の人生として、それらを元手に冒険者宿の経営に乗り出す者が往々にして存在した。
だが、いかに冒険者として名声を得た傑物であったとしても、『冒険者宿の経営者』としての手腕は、まったく別の問題である。
冒険者として得た名声と財産を元手に宿をはじめ、しかし己が経営者としては完全な初心者であることを失念したまま無為にその財と声望を擦り減らしてしまう冒険者の凋落が、過去には少なからずあったのだ。
そうした、見るに堪えない悲惨な事例を能うる限り未然に防ぐべく、《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部では引退後の冒険者を支援し、その名声と財産を有効に活用してゆくための支援プログラムを設けていた。
「冒険者宿の経営について初期教育を行う教導官制度は、それら制度のひとつです。これを利用し、シドさんを支援する《忘れじの我が家》亭の教導官として、セルマを充てることを考えています」
「セルマさんを?」
「ええ。彼女は引退冒険者支援プログラムの有資格者ですから。本来の教導においては言うまでもありませんが、当面は彼女に、経営の代行を担わせることもできるかと」
今更だが、彼女はただの受付嬢ではなかったということである。
いや――もとより彼女は、北辺の皇国にその端を発する機械仕掛けの人型人形、《
経営者としては完全に素人のシドは言うまでもなく、サティアも当面は交易商人として受けた取引が残っており、大なり小なりそちらへ手を取られる時間が続く。『支援』という立てつけで当面の状況を代行し、支えてもらえるのなら、これほどありがたいことはない。
「それはすごく助かるけど……でも、大丈夫なのかい? そういうのって、実際のところ」
「教導と言いつつ実地での教練という体裁になるのは、よくあることなので……当面の間であれば、立て付けはどうとでもなります」
それに、と。
サイラスは不意に、その声を潜めた。
「実を言えばこちらとしても、事情の分かる者をシドさんの傍へ置いておきたいという心算があります。教導官という形での職員の常駐派遣は、そのための名目でもあるのです」
「と、いうと……」
「シドさんは御存じないかもしれませんが、セルマは目と耳のいい娘です。周辺に寄りつく不審者の監視・警戒という意味において、私が知る限り、彼女以上の適任はおりません」
サイラスが言わんとするところを察し、シドは厳しい面持ちになる。
「あの時の連中――《淫魔の盃》亭の意を受けた誰ぞが、また何か仕掛けてくるかもしれないと?」
「《淫魔の盃》亭が直接、とは限りません。あの宿はもともと、北部の歓楽街に勢力を持つギャングの持ち物です――シドさんが仰っている宿の女主人というのは、そちらの雇われ者でしょう」
「ギャング?」
「反社会組織、ないし犯罪集団とご理解ください」
耳慣れない単語に眉をひそめるシドへ、サイラスは簡潔に答える。
「北部の歓楽街で、娼館や複数の酒場の権利を持つオーナー――かねてより市内の事業複数に対して出資を行い、市内では名士としても知られる家柄ですが。その裏では薬物や密造酒の取引で財を蓄える、裏社会の領袖といったところです」
――そんな厄介なしろものにつけ狙われていたのか。サティア達は。
シドはぞっと冷たいものを覚えて、重たい唾を飲む。その厳しい面持ちを見てか、サイラスは安心させるような笑みを広げた。
「昨今はオルランド執政府から、のみならずトラキア州法による締め付けも厳しい。根城としている歓楽街の一帯から出てしまえば、裏社会のギャングと言っても往時ほどの力はありません――むしろ、不用意な動きを見せれば執政府が介入しうる隙となる現状、連中が直接的な報復に乗り出してくるようなことは、まずないでしょうが」
サイラスは言う。
「つまり、今回のこれはそれ故の措置でもあるのです。オルランドにおける《連盟》は、オルランド戦士団と並んで治安維持の任を帯びた組織でもありますから」
「……ものすごく厄介なことに、首を突っ込んじゃった気がする」
ぴしゃりとてのひらで顔を叩き、シドは呻く。
サイラスははっはと声を立てて笑った。
「いずれにせよ、都市の胡散臭い揉め事は我々のような者の領分です。シドさんには喫緊の事態収拾に向け、《
そう、声を明るくして。サイラスは場の空気を仕切り直した。
「それは《連盟》の副支部長としても、元冒険者たるサイラス・ユーデッケン個人としても、です。貴方には、貴方に相応しい『冒険』の舞台に在っていただきたい――私がそう願い、その為なれば我が身の全霊を尽くす所存でいること、どうか心に留め置いていてくださいね。シドさん」
「うん……ありがとう。頼りにさせてもらうね、サイラス」
「ええ。万事どうぞお任せください!」
大きく育ったかつての『後輩』からの激励は、それでもやはり、ちっぽけな我が身と引き比べていたたまれなさを覚えずにはいられないものだったが。
対するサイラスは喜びに溢れた人懐っこい笑顔を広げると、その逞しい胸板をどんと力強く叩いてみせたのだった。
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