204.ここから先になすべきは、多分、『おひとよしおっさん冒険者』がほんとうにやらなくてはいけないこと③


「……そうだ」


 シドは頷く。


「この話、受けてはもらえないだろうか。今の俺には、自由に動ける冒険者宿が必要だ」


 サティアに交渉の席を作ってもらい、この宿を『買い求める』にあたっての。それが、シドの立てた理路だ。


「本来この宿は君達家族のものだし、だから、ずっとだなんて言うつもりはもちろんないんだけど。ええと、つまり……名義上ここを俺の持ち物にするという形で、この宿を俺に貸してもらうことは」


「大丈夫。言いたいことはちゃんと伝わってるよ、おじさん」


 けどさ、と。

 今にも上滑りしそうになりながら訴えるシドの言葉を、サティアは制した。うっすらと微笑んで。


「けどさ――おじさんの目的がそういうことなら、何もこの宿を買わなきゃってことはないと思うんだよね。あたし」


「サティア」


 どきりとして血の気が引くシドに代わって、掣肘する声を上げたのは、半白頭の医師だったが。

 サティアはその呼びかけを無視して、シドを見上げる。


「それに今の話だと、肝心の霊薬アニマが宙に浮いちゃうね? この宿と、おじさんが用意したお金との交換ってことなら。この場合、その霊薬はどういう位置づけになるのかな」


「それは――」


「やっぱりさ。『お人よし』なんだよね、おじさんは」


 見上げる瞳は、刃のようだった。

 シドの隙へ、刃のように言葉の切っ先を突きつける。憐れむように、眦を細めながら、


「どうしておじさんが『商談』なんて立てつけを作ったのか。まあ、あたしも察しがつかないでもないんだけれど。でも――あんまりやらない方が、人生ソツがなくていいと思うよ? そういう、性格が向いてないことするのはさ」



 シドは苦い心地で、奥歯を噛む。

 こちらの半分くらいしか生きていないだろう女の子相手に、今のシドは完全に気圧されていた。


「話が二つに散っちゃったね。だからまずは、そうだね――おじさんがこの宿を欲しい理由からにしようか。《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》だからどうこうってハナシのほうから」


 ゆるりと足を組んで。サティアはあらためてシドを見据える。


「おじさんの言ってるそれはさ、選んだ先が《灰犬グレイハウンド》なのが足枷あしかせになってるんだよ。周囲の評判で簡単に足を引っ張られちゃう、それくらいの権力しかない『中堅』相手に都合をごり押そうとしてるから、状況が軋轢コンフリクトを起こしてるだけ」


「そうは言うけど、他に当てなんて」


「そもそもだよ? おじさん、あたしの紹介状だけでウェスさん納得させられた訳じゃないはずだよね」


 サティアは問いの形でシドの抗弁を遮り、逆にぴしゃりと撥ねつけた。


「これ、ほんとはここで言っちゃうの、よくないんだろうけどさ――ウェスさんはどっちかっていうと、あたしの紹介状を迷惑がってたよ。それでも、おじさんにきちんと。否応なく、おじさんを置くのを認めるしかなくなった」


 ウェス――《Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド》の、亭主の様子を思い出す。彼の一連の態度が『そう』だったのだと断定されれば、シドの側にはこれに対し、強く抗弁しうる材料がない。


「同じことをやればいいんだよ。もっと大きな――評判や噂なんて歯牙にもかけない、この街で指折りの宿に殴り込みすればいいの。そこの一流どころを蹴散らして、おじさんがどれくらい『できる』か教えてあげたらいい」


 飴玉を転がすような甘い声で、サティアは囁く。


「……めちゃくちゃだ、そんなの。だいたい、殴り込みしたなんかところで、目論見通り勝てる保証なんて」


よ、保証なら。おじさん、《灰犬グレイハウンド》のルシウスさんと互角に渡り合ったんでしょ? ウェスさんが恨めしげに唸ってたから知ってるよ」


 サティアはあっさりと答えを返す。


「《灰犬グレイハウンド》のルシウス・アウレリウスは、琥珀階位アンバー・クラスの剣士――おじさんとおんなじで、中堅どころの宿にいるのが不思議なくらいの腕利きだよ」


 冒険者の力と練度を印として示す階位クラスは、見習いの青銅ブロンズをその始まりとして、カッパーシルバー水銀マーキュリーゴールド、多くの冒険者にとっては目指すいただきと言うべき白金階位プラチナ・クラス


 そのさらに上に――白金プラチナの紋章ですら不足するほどの大いなる事績を残した英雄・英傑のみに与えられる、琥珀アンバー翡翠ジェイド――そして、冒険者として最上さいじょうを示す証たる精霊銀ミスリル


 現在の階位制度は、この九階位で構成されている。


「知ってる? このオルランドに集まってる冒険者ぜんぶを見渡したって、琥珀階位アンバー・クラス以上の冒険者なんて五十人もいないんだよ。前衛を担う戦士に限ったら、当然もっと少ない――十人かそこらってくらいじゃないかな。おじさんが互角に戦った相手は、そういうだったってこと」


 東方の《多島海アースシー》、クロンツァルト平原地方、そして《諸王立冒険者連盟機構》大陸総本部を擁する自由商業都市メルビルと並び立ち、冒険者の天地と高らかに歌われる――この、遺跡都市オルランドにおいてすら。


翡翠階位ジェイド・クラスは、三年前に引退した《永遠とわの翼》のサイラス・ユーデッケンを数に入れてもたった七人。精霊銀ミスリルに至っては過去にいたって記録があるだけで、今のオルランドにはゼロ。一人もいない」


 わかる? と。

 かわいく小首を傾げるような仕草を見せながら、サティアは眦を細める。


「このオルランドで――今やおじさんよりも明確に『格上』の戦士なんて、ほんの一握りしかいないんだ、ってことがさ」


 そして――あるいはそれら、ほんの一握りの中においてさえ。

 純粋な『戦士』の領域に限るならば、その数はさらに減ることとなるやもしれなかった。


 たとえば、白金階位プラチナ・クラスのパーティたる《軌道猟兵団》のジム・ドートレス――《箱舟アーク》の一件を経て琥珀階位アンバーへ昇格したかのパーティにおいて前衛フロントを担う戦士であった彼は、同時に詠唱魔術を修めた術者であり、施条長銃ライフルを扱う銃手であり、大いなるいにしえの歴史を探究する叡智と学究の徒でもあった。


 つまるところ、冒険者の『力』とは、そうした『総合力』の高さとして量られるものでもある。

 前衛フロントを担う冒険者が、正しく純粋な『戦士』であるとは限らないのだ。


「――うまいこと実力見せて、宿に認めてもらえたらさ。きっともう何もしなくてよくなるよ。宿の方が、勝手におじさんをプロモーションしてくれる。

 オルランドで一級の冒険者宿の、一流の冒険者達に比肩せし優れたる戦士が、なにゆえ在野において《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》なる不名誉に甘んじ続けたか――なんて具合でね」


 そうなれば、《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》などという不名誉は、その瞬間から綺麗に吹き飛ぶ。

 評判も噂も関係ない。一級の冒険者宿に在籍を認められたという事実そのものが、冒険者シド・バレンスの価値を保証してくれる。あるいはそこに、美しい過去の物語を添えすらして。


「そんな、都合のいい話――」


の。この街の冒険者宿は、それが通用する。実力があって、広く名を売れると見込まれた冒険者なら――どこの宿だって、手ぐすね引いて狙ってる。この街オルランドはそういうところなの」


 逆説的ではあるが、そうした意味において、シドの《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》という不名誉は、格好の『看板』にすらなり得るものだ。


 類稀たぐいまれなる力を持ちながら、不遇にしてその名声高らしめること能わずあった、不世出の冒険者――その英傑を見出した、一流の冒険者宿の『一流の目利き』という物語が、そこには成立する余地がある。


 完全な事実である必要はない。

 だとしても、名誉という形で屋号の輝きを高らしめる『物語』が成立可能であれば、それはシド・バレンスという冒険者を迎え入れる強力な理由となるのだ。


「それでも――それでも、自分の好きにできる冒険者宿の方がいいっていうなら、それはもう止めないけどね」


 やむなし、と話の落としどころをつける調子で、サティアは肩をすくめる。


「でもさ、一度きちんと試してみる、それくらいの価値はあるんじゃないのかな? おじさんの『やらなきゃいけないこと』の中身次第じゃ、向こうに譲歩してもらえる目だってあるだろうし」


「…………………」


 感情的に飛び出しそうになった反駁を、シドはぐっと飲み込む。

 一拍置いてその様を確かめてから、サティアはあらためて切り出した。


「そのうえで、ふたつめ。肝心の霊薬アニマの話――するけれど」


 内心で身構えるシドに、サティアは甘い猫なで声で問う。

 シドの反応を検分するような――あるいはそれは、掌中に収めた獲物を見下ろす、猫のそれを思わせる問いだった。


「繰り返しの確認だけど、さっきの『商談』だと、霊薬アニマの存在が商談から消えてたね? あたしや医師せんせいにとっては、宿の代金よりそっちの方が肝心なんだけど――それはおじさんの中で、どういう位置づけになってるのかな?」


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