203.ここから先になすべきは、多分、『おひとよしおっさん冒険者』がほんとうにやらなくてはいけないこと②


 ――《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》。

 長くつけ続けたがためにくすんで汚れ、往時の輝きを失った銀階位シルバーの紋章。


 それは、冒険者の中でようやく『一人前』と認められる銀階位シルバーからさらに上へ昇ることがかなわなかった、そのくせ冒険者から離れてべつの生き方を始めることもできず、後生大事に『冒険者』の肩書を抱えて燻り続けた――やる気も能力もない、哀れな半端者を嘲弄するための蔑称である。


「自業自得と言われれば、これはもう返す言葉がない。事実、俺には冒険者として、上の階位クラスへのぼれるだけの実績を残せていないからね。銀階位シルバー・クラスに昇級してからの二十年――俺はずっと、そんな風だったんだ」


「……二十」


 さすがに言葉を失い、サティアは引き気味に呻く。

 二十年――自分が生まれるより前の、サティアからすれば途方もなく古い話だ。


「上手い具合に実力を見てもらえるチャンスができて、おかげで《灰犬グレイハウンド》に置いてもらえそうな目処めどは立った。けど、それだって、きみからの紹介状なしじゃできなかったと思う。……事実、一度目のときは駄目だった訳だし」


 その、《灰犬グレイハウンド》の亭主――最初はシドを厄介者扱いであしらったウェスでさえ、他の宿に比べれば、よほどシドに親身になってくれた相手だ。

 ほとんどの宿では、階位クラスを聞いた時点で話にならないと追い返された。


「実力があるとかないとか、そういう話じゃないんだ。その実力を、周囲に保証するための『実績』が、俺にはない――それはつまり、どれほど実力があったとしても、それでも、そんなやつなんだってことになる」


 自分で言っていて、息が詰まるようだった。

 胸の内側をざらつかせる棘の存在を、否応なく意識させられながら。シドは腹の底に力を込めて、自身を刺すことばを継いでいく。


「とどのつまり、《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》っていうのは、そういうものなんだ。俺はそれを――たぶん、今回はじめて、はっきり目に見える形で思い知ったんだと思う」


 もちろん、《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》だからという理由で疎まれたり胡散臭い目で見られたりという経験が、これまでになかった訳ではない。実のところ、アレンやミリー、バートラド達、それにサイラスだって、最初に出会ったばかりの頃はシドの実力や来歴に疑念の目を向け、胡散臭がっていた頃があった。


 ただ、彼ら彼女らに対しては、ともに冒険し、時間をかけてきちんと接していく中で、少しずつでも信用を勝ち得ることができた。最初はそうでなかったとしても、最後にはきちんとした形で、『仲間』になれたと思っている。


 少なくとも、何とかできることではあったのだ。

 シドの側にも、そうできるだけの余裕があった。


「……でも、今は行くところがあるんじゃないの?」


「そうだ。きみのおかげでね」


 ――《Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド》。


 サティアの紹介状を契機に実力を誇示する機会を得て、それを認められた。

 今からあらためて門を叩けば、宿の亭主は約束通り、シドを迎えてくれるだろう。


「でも、所属の宿が決まったからって何もかもにケリがつく訳じゃない。事実として《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》の冒険者は外聞がよくないし、そんな冒険者を置いておくのは、宿にとって益がない」


 それどころか、下手をすれば宿の評判にまで関わりかねない。

 『そんなのまでかき集めなきゃやってらんない宿なのか』、と――ウェスが危惧していたのは、つまるところそうした事態だ。


 それを押してなお、シドを宿に置くこととなれば――その先の展開も、おおよそは読めてくる。


「『宿に籍を置くのは認める、けれど、早急に階位クラスを上げられる実績を持ってこい』――まず間違いなく、そういうことになる。もしかしたら、そのための仕事を斡旋してもらう形になるのかもしれない」


 冒険者宿と冒険者の力関係は、決して対等のものではない。

 それは実感としても、そうだろうと頷けるものではある。宿の方が敬意を以て迎えなければならないような、穎達えいだつした高みの存在でもない限り、そこには雇用者と被雇用者に準ずるであろう力関係の不均衡がある。


「それは冒険者宿の都合を考えれば当然の要請だし、これが普通の状況なら、むしろこっちがありがたく思うくらいの心遣いだ。そして世話になる側である以上、本来なら俺はそれに沿うべきなんだ――御亭主の温情で、冒険者宿に置いてもらうなら。でも」


 今は、他にやらなければならないことがある。

 《箱舟アーク》の探索――そして、かろうじて《塔》の奥底へと封じた《キュマイラ・Ⅳ》の完全なる


「それって……階位クラスを上げる実績にはならない類のことなの?」


「なる可能性は、十分に見込めると思う。けど……」


 シドはかぶりを振った。


「……でも、結局のところはなるかもしれないし、ならないかもしれない。

 いずれにせよ、仮にその冒険の中で、階位を上げられるだけの功績を得る機会があったとして――それが目的のために必要ということになったなら、俺はその機会チャンスを捨てざるを得ない。それ以外の選択は、できないと思う」


「おじさんさ」


 サティアが呻いた。慄くように引き攣った口の端から、息詰まるような声音で。


「おじさん、もしかして今まで……ずっと、そんなことばっかやってきたの?」


「さあ……どうだろう」


 眉をひそめて、シドは過去を振り返る。

 サティアが零した『そんなこと』が、どのようなことを指しているのか――あるいはそれすら、今の自分は正しく理解できていないのかもしれないが。


「俺自身はそんなことばかりだったなんて思わないし、自分がした仕事ぶんの報酬は受け取ってきたつもりでいる。だから、煎じ詰めれば――も、『俺の要領が悪かったから』ってことになると思うんだけど」


 くすんだ銀の紋章バッジを、指先で撫でる。


「でも、どのみち信じられないのはそうだと思うよ。そんなんでずっと――二十年もずっと足踏みしてたなんて、そんなバカみたいな話は」


「信じるよ」


 ――だが。

 サティアはふるふるとかぶりを振った。膝に置いた手をきつく握り――俯いて、唇を噛む。


「それは、信じる……でも、だからってさ。何で」


「叶うなら、一日でも早く冒険の目的を遂げたい。本心を言うなら、『所属する冒険者宿を決める』、だなんていう――冒険以前の初手も初手で何日もつまづいてたのだって、本当ならあっちゃいけないことだった」


 期限を切られたことではない。

 だが、だからと言って悠長に構えていいようなことでは、ない――断じてない。


「我儘なのはわかってる。けど、今の俺に必要なのは『俺の都合のため』の冒険者宿なんだ。所属を置いて、これから先は何一つ滞りなしに、目的の探索に邁進まいしんできる――そんな場所が、早急に必要なんだ」


「だから……うちの宿が欲しいって?」


「ああ」


 首肯する。

 そして、


「だからこそ、なんだ。きみにも、ルチアにも――もしこの商談が成立して、俺が《忘れじの我が家》亭のオーナーになったとしても。この宿には、いてもらわなくちゃいけないんだ」


 理由など、今更言うまでもないことだろう。

 完全に、自明のことだ。


「俺には冒険者宿を切り盛りするなんてできない。そのための時間も余力もないし、それ以前に商売の経験がない。ぜんぶゼロから積んでいかなきゃいけないことだ。人を雇ってお願いするにしたって、俺にはそのための伝手からしてひとつもない」


 諦観混じりに、シドはゆるゆるとかぶりを振る。


 そも、本格的に『冒険者宿の経営』という形で事を構えるなら――その労力は到底、どこぞの宿に籍を置く場合の比ではない。


 冒険者として探索に向かう余裕など、あらゆる意味で残るはずがない。

 本末転倒もいいところだ。


「それに、これ以外にもまだ問題があって――要するに、俺にとってこの宿が必要なのは、あくまで『オルランドでの目的を達成するまでの間』だけなんだ」


 当面は、クロの探索への同行――《キュマイラ・Ⅳ》を無害化するための探索。


 それを終えた後の自分は、あるいは《箱舟アーク》の完全踏破へ向けた新たな探索へ挑むこととなるのかもしれなかったが。そんな未来の保証など、もとよりあろうはずもない。


「そうなれば、この宿は持っているだけ重たいばかりのものになってしまう。、これほど楽なことはないだろうというくらいにね」


「――話は分かったよ」


 サティアは睫の長い目を伏せて、静かに息をついた。


「つまり、あたしとおじさんとの間で、『お金と宿を交換する』訳だ。

 形としては、あたしがこの宿を売って代金を受け取る取引だけど――その代金はそのまま、あたしの手元に残しておく。で、おじさんがオルランドを離れる時になったら、今度はあたしがそのお金で宿を買い戻す」


 サティアは頭の中の理路を書き表そうとするように、テーブルの上で指を滑らせる。二者の間で、何かを往復させる様をあらわすようにして。


「その、『交換』――これって、そういう『商談』なんだよね?」

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