202.対話と商談/ここから先になすべきは、多分、『おひとよしおっさん冒険者』がほんとうにやらなくてはいけないこと①


「この宿を売る気はないよ」


 サティアの答えはにべもなかった。

 最前に瞳へ灯ったばかりだった興味の灯も、そう答えた時には風の前の蝋燭の火のように、あっさりと消え失せていた。


「……ああ、べつに商談相手がおじさんだからじゃないよ? 誰にも売るつもりなんかないの。昨日のオバサンとだって、それで揉めちゃったんだよね」


「そうらしいね」


 それは、シドも聞いていた。娼婦風のドレスの上にコートを引っかけた女――《淫魔の盃》亭の女主人の口から、である。


「そもそもさ、仮に――仮にだよ? あたしがその気になったとしたって、おじさんに買えんの? この宿を。集合住宅アパルトメントの部屋を借りよう、みたいなハナシじゃないんだよ?」


 サティアは鼻で笑った。突き放すように。


「それとも、オルランドがどういう街か知らない感じ? 故郷の田舎で家を買うくらいの気分で言ってるの? この街は――」


「知ってるよ。この街オルランドはいつだって人余りで、土地も家も足りてない。そのせいで、土地も家も、他所よりひどく値が張るところなんだろう?」


 明瞭なシドの応答を聞き、サティアは口の端に笑みを刻む。


「なら、さっきの霊薬が代金がわりってことかな? おとぎ話に出てくるくらいのシロモノだっていうなら、確かにそれくらいの価値があるのかもしれないけどさ――」


 なおも突っぱねる口ぶりで言い放つ、サティアの言葉を待たずに。

 シドはすっと腰を上げると、つかつかとカウンターの方へ向かっていった。


 カウンターの反対側――厨房へ入ると、その足元へ置いてあったものを手にして戻る。


 底が重たげな涙滴型に垂れ下がった、それはみっつの革袋だった。

 戻ってきたシドは、それらをずしりとテーブルに置く。


「……何これ」


「まず、ここに沿海州の共通銀貨で七万クロラ」


 紐を解き、ひとつめの袋の口を開ける。

 厚手の革袋いっぱいにみっちりと詰まった銀貨に、サティアはぎょっとして身を引きかけた。


「次に、オルランド大銀貨が千枚――共通銀貨換算で二十万クロラ。だいたいそれくらいになるはずだ」


 そして、みっつめの革袋――方形の板か何かを底に敷いた袋の口を大きく開いて降ろし、その中身を明らかとする。


 傷を避けるため、ひとつひとつを布でくるんだそれらは、どれもこれも精緻な意匠で作られた装飾品だった。

 宝石と、細工物――その価値や値段まで一目で見て取れるようなものではなかったが。それでも、なお目を引かずにはおれないその美しさばかりは、疑念に苛立つサティアですら、思わず息を飲むほどのものだった。


森妖精エルフの装飾品と、宝石が幾つか――どれも刻印魔術で印を刻んだ附術工芸品アーティファクトだ。正確な値段は俺にも分からないけれど、その辺の魔法屋で売ってくるだけでも、相応の値がつくと思う」


 謙遜もいいところだ。

 宝石と装飾品、合わせて十を越えるそれら、すべてが附術工芸品アーティファクトだとしたら――この机上に載せられたぶんだけでも、じゅうぶん一財産になるだろう。


「ここにあるのは、当座の換金用により分けて貰ったぶんだけだ。宿に帰ればまだいくつかあるし、たぶんそちらに残したものの方が、附術工芸品アーティファクトとしては価値が高いはずだ――それでも足りなければ、他にも換金できるもののあてはあるし」


 さすがに、舌先に躊躇の苦みを覚え始めて。シドの眉間に、苦しげな皴が寄る。


「……《連盟》にかけあって、当座の資金を借りることもできる。完全な借金になるから、あまり気は進まないけれど――それでも、《連盟》へ融資をお願いすること自体はできると思う」


 金銭という形で対価を受け取ってはいるが、《キュマイラ・Ⅳ》の一件は《連盟》に対し『貸し』を作った格好だ。まして、クロの探索――《キュマイラ・Ⅳ》の完全な『無害化』は、オルランドの平穏に寄与するものでもある。


 あまりいい顔はされないかもしれないし、程度が過ぎればあちらも相応の対処に乗り出してくることになるだろう。だが、そこはミッドレイのようなちいさな町の支部ではなく、《箱舟アーク》の膝元たる遺跡都市オルランドである。

 もとより、自由商業都市メルビルの大陸総本部や、ウェステルセンの支部がそうであるように、冒険者の向けの融資や貸付の制度が整っている可能性が十分に見込める土地だ。


「いずれにせよ、霊薬アニマを宿の代金にするつもりはないんだ。一部は附術工芸品アーティファクトでの現物払いになるかもしれないけれど――きちんと額面が残る形で、代金を支払うつもりだ」


「……正気の沙汰じゃないね」


 はは、と乾いた笑いを零すサティアの相貌は、驚愕にこわばり、引き攣っていた。


「でも駄目。無理。わざわざこんな大枚見せてもらっといて悪いんだけどさ。今のはあくまで、『仮の話』だから」


 頭痛を堪えるように眉をしかめ、こめかみに手のひらを当てるサティア。

 ふるふると強くかぶりを振って、交易商人の少女は吐き捨てる。


「……てかさ、勘弁してほしいんだよね、そういうの。《忘れじの我が家この宿》亭はあたし達の家だからさ。ここ取られたら、行くとこなくなっちゃうんだよ」


「そのことなら先刻承知だ。心配はいらない」


「何それ。もしかして、おじさんもあの女みたいなこと言うつもり? 医師せんせいに他所の街の療養先を世話してもらえ――とかさ」


「そうじゃない。というより、その逆だ――きみ達には、んだ」


「……はい?」


 サティアは眉をひそめた。

 シドの言わんとするところを掴み損ね、不意を打たれたその困惑を露わにしていた。


「順を追って話をさせてほしい。まず、俺は今このオルランドで、どうしてもやらなくちゃいけないことがある」


 居住まいを正し、シドは話を仕切り直した。


「詳細は話せないけど、大枠としては《箱舟アーク》の探索だ。ただ、それは俺が冒険者として、絶対にやらなきゃいけないことだ――けれど、この街で『冒険者として』仕事をするには、どこかの冒険者宿に登録して、籍を置かなくちゃいけない」


 一度、言葉を切って目を伏せ。

 シドはあらためてサティアを見た。「分かるだろう?」というように。


 交易商人の少女は、今度はすぐに、シドが言わんとするところを察したようだった。

 少女の瞳には、理解の光がある。それはほんの二日前、どこの宿からも追い返されて行き詰っていたシドが、たまたま出くわした彼女に対し話して聞かせたことだ。


「俺は《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》だ。冒険者宿で真っ当に扱ってもらえる、まともな冒険者じゃないんだよ」


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