200.テーブルを囲んで、大人の話し合いを始めます。果たしてうまくやれるものか、正直おっさん冒険者は自信がありません。


 朝食の席は、和やかに賑やかにその一時を過ごしていった。


 昨夜の一件や、それ以前からの諸々で同じ席を囲むのに不安があったサティアも、素っ気なさを装いながら何くれとルチアの面倒を見て、ニコニコしながら甘えてくる妹の子供っぽさに口の端を緩めていた。

 と言っても、シド達に対する口ぶりは未だ突き放すような不信の気配があって――ただ、それすらも年若い少女らしい跳ねっかえりの生意気さそのもので、食卓を囲む賑やかさに彩りを添えるものとなっていた。



「――さて」



 その、朝食の時間を終えて。

 使った食器を片付け終えた後。

 クロはぱちんと両手を打ち合わせ、くるりと振り返ってルチアを見た。


「クー達はそろそろお部屋へ戻りましょうか、ルチア。これより先は世にもつまらない大人同士のおはなしあいです。クー達みたいな子供が居合わせたところで、どちらにとっても百害あって一利もなしなのですからね」


「ん……」


 ルチアは躊躇いを見せて、食後のお茶を啜る姉をちらと伺った。

 その視線に気づいたサティアは妹を見下ろして、素っ気なさげな素振りでひらひらと手を振った。


「部屋に戻って、お友達と一緒してな。話が終わったらあたしも行くから」


「おねえちゃん――」


「てかさ、ルチア。まだ朝のぶんの薬、飲んでないんじゃないの? 今朝はもう一日分はしゃぎすぎってくらいだったし、薬飲んでしばらく大人しくしてなさいって」


「……うん」


 コクンと頷くと、ルチアはクロに手を引かれて宿の奥へ戻っていった。

 朝食を囲んだのと同じ丸テーブルを囲む、『大人』達――サティアとフィオレ、それに医師と共にその背中を見送って、シドはふと、ぽつりと零す。


「いい子だね、彼女は」


「そうだよ。あたしと違ってね」


 サティアがあっさりと言う。その響きに。

 不意に首筋を薄刃で撫でられたような感覚を覚えて、シドはぎょっとしたようにサティアへ振り返った。


 ルチアが戻っていった先を見遣る彼女の表情は、それまでとは一変していた。


 さっきまでの『若い娘』らしい生意気さが、一瞬のうちに流れ落ちてしまったかのような――まるでその後に残った、灰を固めて作った像のような。


 それは、あらゆる情動が擦り切れ削れ果てた、の表情だった。


 疲労を堪えるように眇め、澱んだ少女の目が、やがてゆるりとシドを見た。


「――で。話って、なに?」


「……ああ」


 その、豹変としか言いようのない変貌を、シドは痛ましく思った。そうして同情することさえ彼女に対しては侮辱なのであろうと、そう察しながら――感情に引きずられそうになる表情を、力を込めて引き締める。


「単刀直入に話をする。俺みたいなのを信じられないのは無理もないことだけど、それを承知のうえで――どうか最後まで席を立たず、俺の話を聞いていてほしい」


「だから、何の話?」


 サティアの面持ちは、情動をなくして凪いだままだったが。

 それでも、話を聞く姿勢は持ってもらえた。そう見做し、シドは安堵の息をつく。


「まず……これを見てほしい」


 そう前置きして、シドが腰のポーチ――フィオレとクロが持ってきてくれたそれから取り出したものを、机上へ置く。


 それは、小瓶だった。そのうちに何かの液体を満たして栓で閉じた、瓶の外側を、ガラスの呪文ルーンを刻んだ包帯状の呪布が厳重に包んでいる。


「それ――」


「《ビオトープのうつわ》――《真人》種族が遺したといわれる、いにしえの附術工芸品アーティファクトだ」


 その性質は封印――中へ注いだものと諸共に、小瓶。

 はるかいにしえに絢爛なる魔法文明を築き栄えた《真人》種族達は、ここならざる異世界の文物をため、この附術工芸品アーティファクトを作り上げたのだとされている。


「オルランドで交易商人をしているきみなら、もしかしたら、前から知っていたものかもしれないけれど。重要なのはこの瓶そのものじゃない。中身の方だ」


 一度、言葉を切って。

 シドはあらためて、サティアを見据える。 



「瓶の中身は、《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》の霊薬アニマ。その身に浴びればあらゆる傷と病苦を癒すといわれる――妖精種族の霊薬だ」




「――は?」


「おい、ちょっと待ってくれ――あんた、それは」


 ぽかんと目を丸くして、続く言葉を失ったサティアの代わりに。

 シドの言葉に色めきだったのは、彼女の隣に座る医師だった。


「そんなことが……あんたの言うそれは伝承にしか記録のない、文字通りに異世界の霊薬だぞ!? その話が本当だというなら、そんなものをあんたは一体、どこからどうやって」


「疑うお気持ちは分かります。ですが、実は――」


「それについては、どうか私の口から語ることをお許しいただけないでしょうか」


 そう、ことばをさしはさんだのは、医師の対面に座るフィオレだった。

 白い繊手をたおやかな胸元へと宛がいながら、凛と背筋を伸ばして。腰を浮かせかけた医師を真っ直ぐに見上げる。


森妖精エルフのお嬢さん――フィオレさん、だったか」


「《真銀の森》を預る一族のすえ、当代のおさなるフェルグス・セイフォングラムが二番目の娘――フィオレ・セイフォングラムと申します」


 思わず目を奪われてしまいそうな端正な所作で軽くこうべを垂れ、フィオレは名乗った。肩口まで真っ直ぐに伸びた金髪が繻子のようにしゃらりと揺れ、御簾のように垂れる。


「私は父より受けた使命のために故郷の森をで、その最中さなかに置いて我ら妖精種のはるかなる故郷、《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》へと至りました」


 フィオレは面を上げ、そしてシドを見た。


「その、探索の旅の最中――私と共に《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》へと赴くことをよしとしてくれた、勇敢なる五人の冒険者。その中のひとりが、此処なるシド・バレンスだったのです」


「……《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》へ行ったというのか。そんな、おとぎ話のようなことが」


「事実です。私達は《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》に広がる森の深奥――いにしえの妖精達がかの地へ残した神秘の泉より、泉に湛えられたる霊薬を持ち帰ったのです」


 厳密に言えば、フィオレの語りにはいくつかの省略と誤魔化しがある。まず、そもそも自分達は、霊薬アニマを持ち帰るために《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》へと渡った訳ではない。


 本来の目的はまったく別のところにあった。というより、シド達が《妖精郷ティル・ナ・ノーグ》へ渡ることとなった経緯は、《真銀の森》から奪われた秘宝、《ティル・ナ・ナノーグの杖》を追いかけての、ほとんどなりゆき同然の形である。


 ただ、それらの事実はこの場において、何ら意味をなすものではない。


「そして、この小瓶うつわへと封じた霊薬アニマを妖精郷ティル・ナ・ノーグから持ち帰った後――私達六人は各々に一本ずつ、霊薬の瓶を分けあいました。旧き異世界へ行きて帰りたる証、あるいは同じ冒険を共にした仲間のしるしとして」


 肝心なのは、正しい経緯ではない。

 ここに、確かに《霊薬アニマ》が存在する――その事実、あるいはそのである。


「此処なる小瓶は、そのひとつ――シド・バレンスの手が譲り受けた、霊薬の小瓶なのです」

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