195.幕間:ある少女の独白
『大人』が誰も居なくなると、やらなきゃいけないことがいっぺんに増えるものなのだと。
あたしは両親がいなくなったあの頃に、はじめてそれを知った。
役所への届け出。戦士団からの聴取。二人が行方不明になったのに伴う、財産――主に、宿とその備品だ――の管理引き継ぎ。
何より、家族。
ルチアは難しい病気で、治す薬もないのだと、
根治のためには栄養をつけて静養し、心を強く持って、
途方もない話だった。
ただでさえ、ルチアは季節の変わり目ごとに風邪をひいたり熱を出したりするような、体の弱い子だったから。
ルチアをきちんと食べさせて、栄養をつけてあげなきゃいけない。
特効薬はなかったけれど、発作を抑えたり、熱や咳を抑える薬は必要だった。
住民税をはじめとするいくつかの税金。
さらに、宿を維持するためには土地と家にかかる税金、それから営業資格を保持するためのお金も必要だった。オルランドが土地や家の値段が高い街なのは知っていたつもりだったけど、はじめて税金の総額を目にした時は、一瞬目の前が暗くなったのを覚えている。
これ全部を、これからはあたしがやらなきゃいけないんだと知った。一人で。
助けてくれるひとも、支えてくれるひともいたけど。それでもこれらすべては、あたしがやっていかなきゃいけないんだって、思い知った。
――何て馬鹿だったんだろう。
とうさんとかあさんがお金儲けが苦手な分は、あたしが稼いできてあげたらいいんだ、なんて。
どうして、そんな風に思いあがっていられたんだろう。あたしは。一人で。
それでも、急に背負わされてしまったすべては、もちろんキツかったけれど――正直に言うと、いちばんつらかったのは、もっと別のことだった。
とうさんとかあさんがいなくなって。
宿がこの先どうなるか、先行きが分からなくなって。
そしたら――それまでとうさんとかあさんの世話になっていた宿の冒険者達は。
まるで潮が引くみたいに一斉に、どこかへ消えて、いなくなってしまった。
一番ショックだったのは、ウェスさんのときだったかな。
まあ、別にそれはウェスさんがどうとかじゃなくて、単にあれが最初に、『お人よし』じゃない誰かをあてにしようとした結果だったから、ってだけなんだけど。
『いい加減にしてくれよ……!』
――せめて、とうさんから借りたお金だけでも返して、って。
そう食らいついたあたしを振り払ったウェスさんの手が、たまたまあたしの顔にぶつかって。
殴られたのだってふつうに痛かったけど、それ以上に衝撃だったのは――ほんとうにただそれだけで、自分の身体が軽々と払いのけられて、倒れてしまったこと。
『暴力』ってこんなに怖いものなんだって、芯から思い知った。情けなくって頼りない大人だと、そんな風に――たぶん、ずっとずっと甘く見ていた『大人』からの暴力が。怖くて、怖くて、生まれて初めて、心の底からそれを恐れた。
ウェスさんは最初、倒れたあたしを見て、ものすごくショックを受けたみたいだったけど、でも――あたしがウェスさんの暴力を怖がってるのに、すぐに気づいたんだろうね。
『うちだって、余裕なんかないんだ……第一、お父さんからの借金には、期限なんか切られてないんだからね! それを急に返せなんて、サティアちゃんの言い分の方が道理に合わないんだから……!』
そう言って。無理矢理みたいな怖い顔を作って、
『これ以上しつこくするなら、次は容赦しないからなっ……!』
そう言い捨てて、あたしの目の前で宿の裏口の扉を乱暴に閉めて。
そしたら、それ以上何かをお願いする気力なんて、あたしの中にはひとかけらも残らなかった。
……まあ、ね。思い知ったよ、そういうもんだって。
おかげで他のひとたちのとこへ頼みに行く時は、もう少し心構えができたし。断られて逃げられても、あんまり落ち込まなくて済むようになったしね。
おかげで身にしみてわかったことも、あったし。
ねえ。とうさん、かあさん。
あの頃、あたしはとうさんとかあさんが大好きで。
今でも、やっぱり好きなんだけどさ。
でも――でもさ、とうさん。あれだけはやっぱり嘘だよ。
人は助け合うもの、だとか。
それは巡り巡って、大きな輪を描いて、いつか自分を助けるために戻ってくるものなんだ、とか。
そういうの。
きっとそんなふうにできるのは――そんなふうに思えるのは、とうさんやかあさん達みたいな、『お人よし』だからで。
そうでない他の連中は、助けてもらえる時だけすり寄ってきて、都合が悪くなったときにはそそくさとどっかに消えちゃう。
助けてくれる『誰か』が、大変になって、困って、もう自分達を助けてなんかくれないんだと分かったら――それまでのことなんか綺麗さっぱり放り出して、お返しなんかちっとも考えないで、どっか消えちゃう。そういうのが、世の中ってものなんだよ。
――わかってるよ。仕方ないんだよ。
当然だよね。誰もが身を削ってまで、人助けなんかできやしないってさ。
みんな自分や自分の身内がかわいくて、一番たいせつ。背負いきれるかさえ分からない他人事の荷物なんて、背負いたくないよね。だって、あたしがそうだもの。わかるよ。
うん。でもさ。
でも、あたし思っちゃったんだ。
とうさんとかあさんが『お人よし』なんかじゃなくて、人並みにこすくてお金儲けのできるひとだったら。
うちはあんまりお金がなかったから、ルチアのためのお金はあたしが稼ぐしかなかったけれど、でも――もし、とうさんとかあさんがもっと自分達のためのお金を、貯めておいてくれたらさ。
きっとあたし、もう少しくらいは楽に、息ができたんじゃないのかな?
ひどいよね。あたし、『お人よし』の二人が好きだったはずなのに。
なのに、あたしはそんな風に思っちゃったんだ。ほんと最低だね、ほんと。
身にしみてわかった。
困ったときに助けてくれるのは、『お人よし』だけだって。
それで、そういう『お人よし』はいつだって誰かのために身を削ってるから、もたれかかったり縋りついたり、そんなふうになんかできやしないってさ。
でも、あたしみたいなのが『お人よし』にもたれ掛かったら、きっと二人は潰れちゃう。
何かひどいことが起きたとき、自分で自分を助けられなくなっちゃう。そんなのさ、あんまりじゃない?
だったらさ、あたしはあたしで、頑張るしかないよね。あたしが縋りついたせいで誰かを駄目にしちゃうのって、自分が頑張るよりキツいもの。
だからさ。
できること。使えるもの。
何だって使いきって、稼いでくしかないじゃない?
幸い、あたしには使える『武器』がひとつあったんだ。
これは心底自慢で言うけど、あたしはかあさん譲りの、『綺麗でかわいい女の子』だったから。
『綺麗でかわいい女の子』には、男も女もいい顔したいものなんだって。あたしはそれを知ってる。
そう。自分に心を開いてくれる、自分のために進んで何かをしてくれる、そんな『かわいい女の子』が嫌いなひとなんて、そうそういないよね?
にっこり可愛く笑って手を握るだけで、ちょっとした頼み事くらいなら軽々に引き受けてもらえたりするんだよね。笑顔とお礼の言葉ひとつでお得な買い物ができるなら、それくらいのものはいくらだって振り撒いてあげる。
だから今は、手指の手入れには特に気を遣ってる。いつだって、『かわいい女の子らしい、やわらかくて壊れ物みたいなてのひら』であるように。
毎朝毎晩、丁寧に磨き上げている。むかしはかあさんのお手伝いでよくやってた水仕事なんかも、今はぜんぶ、モニクおばさんにお願いしちゃってるくらい。
期間限定の、けれどとても強力な、あたしが持ってる最強の『武器』。
だからあたしは、自分の『武器』の手入れを怠らない。古びて錆びて使い物にならなくなるまで、徹底的に使い抜くために。
そう決めたんだ。『女の子』であることそのものが世渡りの武器になるのなら、あたしはせいぜいその価値を、めいっぱいの高値で売りつけてまわってやるんだって。あたしは『お人よし』なんかじゃないから、そういうふうにできるんだ、って。
だって、あたし、わかってたもの。自分がとうさんやかあさんみたいな、爺ちゃんたちみたいな『お人よし』にはなれやしないってさ。
そういうふうになれるのは、ルチアだけなんだ、って。とっくに自分で知ってたもの。
だからさ、ルチアが元気になって、あたしのぶんまで『お人よし』になってくれたら、それでいいよ。
とうさんとかあさんがいなくなって、それでもあたし達の傍に残ったものを、ぜんぶあの子に残して、譲ってあげられたなら。
自分の価値を磨り潰して、ぼろ雑巾になったってかまわない。
自分のやったことに意味があったって思えたなら、あとは残りかすの人生をなんとかうまくやってくよ。
誰かの恨みを買ってることだってあるかもしれないけど、まあ、それは仕方ないよね。ぜんぶ自分で決めてやったことだもん。
どんな理由があったってさ、そんなのやられた側には関係ないもの。何を言ったって言い訳でしょう? だから、まあ……せめてあたし一人のことでおさまるように、何とかうまい具合にいなしていくよ。
――そうやって。
もし、何かうまい具合にいって、とうさんとかあさんが戻ってきたときのために。
ルチアも、二人がきちんと帰れる場所も――護って、残しといてあげるから。
だからさ、いつかは
それがどんな遠い未来になっても――あたし、怒ったりなんか、しないからさ。
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