くすんだ銀の英雄譚~おひとよしおっさん冒険者のセカンドライフは、最大最難の大迷宮で~
192.おっさん冒険者の知らないところで、いつかに彼女はこう言ったのです――「家族を失うのが恐ろしいのが。自分一人だけだとでも思ってんの?」【後編】
192.おっさん冒険者の知らないところで、いつかに彼女はこう言ったのです――「家族を失うのが恐ろしいのが。自分一人だけだとでも思ってんの?」【後編】
学校を出た後、サティアが交易商人なんて仕事を始めたことに、
どうやらふたりとも、サティアは家業を継いで冒険者宿をやるものだとばかり思っていたらしい。
本当は家の手伝いが嫌だったのかと、割と本気で心配されたりもした。あの時は、誤解を解くのがなかなか難儀だった。
別に、そんな理由で交易商人になった訳じゃない。家業である宿の手伝いはまあまあ大変だったし、あんまり身体が丈夫じゃない妹の面倒だってみなくちゃいけなかったけれど――そういうのは、端からそういうものなんだと思っていた。
実際、将来のどこかの時点でなら、サティアも家業を継ぐつもりでいたのだ。その時そうしなかったのは、とうさんもかあさんもまだまだ普通に元気だったから。
そんな二人が宿を切り盛りしている限り、サティアにできる仕事なんてふたりの手伝いくらい――せいぜいが、かあさん譲りのきれいな顔を活かした『宿の看板娘』くらいのものだったからだ。
そもそも、うちの宿でそういう類のは、
サティアが相手だとすぐしおしおに萎れてしまうみっともない大人の冒険者達も、ルチアみたいに素直な子供の前ではいい顔しようと見栄も張るし、こっそりお菓子なんかをくれたりもしていたみたいだった。
ルチアは『やさしい冒険者さんたち』から貰ったお菓子をいつも半分分けてくれたので、彼らのそういうところはぜんぶサティアに筒抜けだったし、だから――まあ、そういう『看板娘』みたいなのは、妹の方が向いているんだろうと思っていた。
家業の手伝いを辞めて交易商人になった理由の半分は、人並みくらいの贅沢をしてみたい自分のためだった。
せっかく、華のオルランドで生まれ育った生粋の『オルっ子』なのだから――家族みんなでおいしいものを食べたり、大きな劇場へ観劇に行ったり、ちょっとくらいは、そういうこともしてみたかったのだ。
もう半分は、相も変わらずお人よしな両親の――家族のためだった。
だって、お金儲けにはどう考えても向いていない、そんな性格の
そのせいでうちにあんまりお金がない分は、もうちょっとくらい現実的な性格に育ったサティアが埋めてあげればいいと思った。
生憎とサティアは、手足が伸びて一人前に働けるくらいになったころには、自分は両親みたいに底抜けの『お人よし』にはなれそうもないと、気づいてしまったから。
なので、両親みたいには育てそうにない、人並みにこすくて自分本位な性分のサティアは、人並みかそれ以上くらいに稼いで、みんなに贅沢をさせてあげるのがいい。
だって、自分は人並みにこすくて自分本位で、世の中は両親が必ずしも言うみたいに綺麗にはできていないんだと、気づいてしまっているから。
そのぶん、『おひとよし』の両親よりは、上手に賢くお金が稼げるはずだから。
それなら、二人の『おひとよし』でうちが苦労する分は、他ならぬ自分が稼いであげればいい。それで物事の帳尻は綺麗に取れるのだし、ならばきっと自分はそういう風にするためにこの家で生まれついたに違いないのだ。
そういう面倒くさい金勘定はサティアが何とかできるんだと、そう思ってもらえるようになったなら――両親は難の憂いもなく『おひとよし』に邁進出来て、そんな二人の『お人よし』に救われる誰かだって、もっともっと増えるはずで。
そう――なら、それはきわめて合理的な役割分担だ。
幸福な人間の数と、幸福の量を増やせる、賢明にして最適の選択だ。
――家族だったから。
――大好きだったから。
そんな両親に救われているひとがいて、そんな両親がいろんなひとに慕われていたのだって、知っていたから。
でも、それで宿の経営が大変なのも自覚していて、サティア達に苦労させているんだと――ふたりがそんな風に悩んでいたのも、知っていたから。
だから、大丈夫なんだと言ってあげたかった。支えてあげたかった。
とはいえ。
実のところ、現実はそんなにはうまくいかなくて。
交易商人は交易商人で苦労もいっぱいあって、簡単には儲けたりなんかできなくて。
冒険者宿をやめて隠居暮らしを始めた、相変わらずちいさな子供相手みたいにサティアへお小遣いをくれるペイサムの爺ちゃんには、会うたびやっぱり呆れられて。
『――お前さんも、結局あの二人の娘なんだなぁ』
だなんて風に、溜息をつかれてばかりいたのだけれど。
べつに、それでよかった。そういうサティアや家族みんなを、毎回おいしいものを食べさせに連れて行ってくれるペイサムの爺ちゃんだって、大概お人よしもいいところだったし。
上手くいかないことなんていっぱいあったけど、サティアは充実していた。
やりたいことのために駆けまわる日々は、充実していて――心から、幸せだった。
◆
「…………………………」
妹の部屋で。
医師がそのままにしていった椅子に腰かけて、妹の痩せた寝顔を見下ろして。
レースのように薄い夜のとばりが、一枚一枚――少しずつ目の前を暗くしてゆくのを意識の片隅に感じながら、サティアはじっと唇を噛んでいた。
「……やってらんないよね、ほんと」
ルチアがはじめて血を吐いたのは、三年前の晩秋の頃。
ペイサムの爺ちゃんが急にぽっくり逝ってしまって、身寄りのなかった爺ちゃんの葬儀をサティア達のところであげた――それから、一月も経たない頃だった。
ひどく強い雨が降っていて、冬の盛りの頃みたいに寒い日だった。
馬車なんて持ち出して、二人で出ていったのは、その日の
ルチアと二人で両親の帰りを待つ間、時間の進みはまるで
陽が落ちてあたりがすっかり暗くなった頃、外から響く馬車の車輪の音と馬の嘶きを聞いたときは――まるで明けない夜に夜明けが来たかのように、目の前が明るくなったものだった。
車置き場がある宿の裏口へ走っていくと、裏口の扉は向こうから開いた。
ただ、その先にいたのは両親ではなく、ひどく深刻な顔をした
いや――何もおかしなことなんかない。ルチアが血を吐いたんだから。事情を両親から聞いていたのなら、深刻な顔をしているのは当然のことだった。
手を引いて中へ招こうとするサティアに、けれど
『――レックス達は帰っているか?』
何を訊かれたのか、分からなかった。
その、サティアの呆けた反応で、医師はすべてを理解したようだった。
『……帰っていないんだな』
それきり、二人は姿を消した。
ああ――そうだ。ぜんぶ、三年前だ。
爺ちゃんが死んで。その事実を飲み込んで。
ルチアが血を吐いて、なのにしてあげられることが何もなくて。
とうさんとかあさんがいなくなって。その事実に足を止める余裕もなくて。
そしたら、サティアがやらなきゃいけないことが山ほどたくさんあったから――時に胸の内側が引き千切れるような日々をやり過ごしながら、今日まで走ってきた。
自分を支えて、走っていられた。
そうしなきゃいけない理由が、まだサティアが護ってあげなきゃいけない家族がいたから。そのために立っていられた。立ってなきゃいけなかった。
――ああ。なのに、今度は、
今度は、
「もう、やめてよ……!」
暗い想像を払うように、激しくかぶりを振って。頭を抱えて、喚く。
湿りを帯びて震える叫びが、降るように重なる夜のとばりへ、溶ける。
――どんどん。
「………………………」
表の玄関を強く叩くノックを聞いたのは、そんな時だった。
のそりと面を上げる。
ぼんやりと表の方を見遣る間に、玄関の扉を叩く音が重なる。
舌打ちしたい気分を堪えて、のろのろと重い腰を上げる。
三度目。四度目。
間を置かず続く乱暴なノックに堪えがたい頭痛と苛立ちを覚えながら、重い脚を引きずって表の酒場兼食堂まで出ていった時。
とうとう我慢が限界になったのか、玄関の扉が蹴破られた。
麻痺したように何も感じない茫漠とした意識で、その先に立つ人影を見遣る。
「――あんたは」
「こんばんは、サティア・イゼットさん?――昨日の話の続き、させてもらいに来たのだけれど」
後背に屈強な男を三人従え、派手なドレスの上にコートを羽織った年嵩の女が一人。
忌々しく睨み上げるサティアの眼光に露ほども怯むことなく、ふんぞり返るように
冒険者宿、《淫魔の盃》亭の女主人だった。
サティアが今、一番会いたくない女だった。
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