190.おっさん冒険者の知らないところで、いつかに彼女はこう言ったのです――「家族を失うのが恐ろしいのが。自分一人だけだとでも思ってんの?」【前編】


 半白頭の医師が《忘れじの我が家》亭の玄関から表へ出た時、陽はほとんど暮れかけていた。

 ルチアの様子が落ち着いたのを見届けた後――後事の指示を記したメモをサティアに預けて、ようやく医師は家路についた。


 泥の塊でも詰めたかのように、肩も足もでろりとねばつく疲労で重い。

 今日の発作は、いつになく酷かった――そうした病であることは医師も承知していたが、ヘルマン氏病には事実上、特効薬と呼べるものがない。

 完治を患者の体力気力に委ねる以外に術を持たず、一進一退の病状を見守るばかりの状況は、神経をやすりにかけるような、息詰まる無力感を抱かずにいられなかった。


 家族であれば、なおのことだろう。


 まして、サティアは妹の病状だけを気にかけていられる訳ではない。

 日銭を稼ぎ、妹と自身を食べさせ、のみならずルチアには療養のための栄養をつけてやる――そのための、のみならずそれ以上のものを守り続けるための金策に、彼女はずっと追われていた。


「……………………」


 下町の街路に、夜を照らす街路灯はない。

 長居する予定ではなかったとはいえ、灯りを持ってこなかった己の油断へ無性に苛立ちを覚えながら、医師はずかずかと乱暴な大股の足取りで、家路を急ぐ。

 と――



「少し、よろしいですか」



 横合いからふいにかけられた声に足を止め、振り返ってしまう。

 細い路地にいたのは、最前の冒険者だった。確か――


「シド・バレンスだったか。あんた、まだこんなところにいたのか」


「こうして恥を上塗りするばかりで、お恥ずかしい限りです。ですが、それでも今のままでは、帰るに帰れません」


 医師は溜息をつく。


「……冒険者という連中は、好奇心旺盛の詮索屋ばかりというのが世の習いだが。もういい歳だろうに、あんたもその類ということかね」


 冒険者からの応えはなかった。

 苛立ち任せの露骨な揶揄に項垂れるでもなく、強い目で医師を見ていた。


 医師は再び溜息をつく。真っ向から跳ね返されたその揶揄は、煎じ詰めれば自分のやつあたりに過ぎない。

 強情に見据える目を前にして、その事実を顧みざるを得なくなったせいだった。


「……もしかして、あんたなのか? サティアにあの宝石を渡したのは」


「宝石? というと――」


 ぴくん、と冒険者の片眉が跳ねあがる。

 訝るような反応だったが、それは何も知らない無関係のそれではない。


「あんたなのか? あの子に、運び屋なんて胡乱な仕事をさせたのは」


「待ってください、それは違います。俺は、ただ」


「だとしても、事情は知っているらしいな。どうやら――」


 医師は不機嫌に鼻を鳴らす。冒険者――シド・バレンスは継ぐべき言葉に迷ったように、唇を曲げていた。

 ――だが、


「まあ、いい。だがここでは難だ。宿に近すぎる」


 医師は深く息をつき、《忘れ地の我が家》亭から離れる方へと歩き出す。

 にもかかわらず、冒険者は当惑したように動かない。物分かりの悪さにイラッとしながら、医師は振り返って言葉を継ぎ足す。


「あんたの話を聞いてやると言っているんだ。何か私に聞きたいことがあるというなら、答えてやらないこともない――私が話せる範囲でなら、ということになるがね」


「本当ですか!?」


「無論、ただで話すつもりはないよ。あんたにも、私の質問に答えてもらう」


 眉間にきついしわを寄せながら。医師はじろりとシドを睨みつける。


「どうやらあんたは――私が知らないサティアの事情を、知っているようだからな」



 ――人同士は、助け合うもの。


 サティアがちいさい頃から、父は事あるごとにそんな風に聞かされて育った。

 母はそんな父の言葉に大きく頷き、いつもニコニコと温かく微笑んでいた。



『――人を助けるのは、ただ、目の前のその人のためだけじゃないんだ』


『――それは巡り巡って、大きな輪を描いて、いつか自分を助けるために戻ってくるものなんだ』



 だから、人は助け合って生きるのだと。両親は言った。


 ただ、人のためだけではなく。

 遠い未来の自分のために、人は助け合って生きるのだ、と。


 父と母は幼いサティアや、もっと幼い妹に、そう教えて聞かせた。


 とはいえ、生憎サティアはそこそこすれた賢い子供で――なので子供なりに分別がついて、少しは世間のものごとが見えるようになってくる頃になると、世の中というのは必ずしもそんな分かりやすくできてなんかいないのだということくらいは、そのうち自分で気づけてしまったのだけれど。


 つまるところ、この宿を譲ってもらう前は冒険者だったという両親は、そんなサティアに言わせれば根っからの『お人よし』というやつだった。

 困ったひとを見るたびつい手を差し伸べてしまうような、そんな人たちだった。


 絵本に出てくる『正義の冒険者』みたいな。

 サティアのとうさんとかあさんは、そんな二人だった。


 そんなふたりは、どうにも商売がへたくそで。さらに言えば冒険者の苦労というものを身に染みて理解していて。だから、二人は宿に来る冒険者を拒まなかったし、彼らが何かに困っていれば、そんな彼らへの助力を惜しまない人たちだった。


 宿の冒険者さん達も、いつも何かに追い立てられて困っているようなひとたちばっかりで。何かと前のめりなふたりはいつだって、そんな彼らのために、あちこちを駆けまわっていた気がする。


 そこそこすれて賢いサティアは、それをそういうものなのだと理解していた。


 ――だって、そうだろう。ふたりは『正義の冒険者』なんだから。

 正義の冒険者は、困ってるひとを見捨てたりなんかしない。そこにそうした人々がいたら、手を差し伸べるものなのだ。


 だから――サティアの宿の冒険者さん達は、サティアから見ればどうにも要領が悪くて頼りない、子供の目から見てもたいへん情けない、そんな大人ばっかりだったのだけど。

 サティアの自慢の両親は、そんな人達を決して見捨てたり、放り出したりなんかしないのだ。


 ――時々、何だかなぁと思ったりすることだって、ない訳じゃなかったけれど。

 サティアは妹のルチアと二人、そんな両親の背中を見ながら育った姉妹だった。


 やっぱり近所で冒険者宿をしていたペイサムの爺ちゃんは、何かと理由をつけてサティアのうちを訪ねてくるたび、そんな両親にほとほと呆れきったみたいなため息をついては、


『……二親が揃ってあんな調子じゃ、サティアちゃんも大変だろ』


 ――だなんて風に、ぼやかれたりもした。


 正直、うちの宿があんまり儲かってないのはちいさなサティアも幼いなりに薄々察していた。

 家族でこれといって贅沢をした記憶がないのは、事実としてあんまり儲からない、貧乏な宿だったからだろう。


 ただ、サティアは冒険者宿というものを『そういうもの』なのだと思っていたし、決して単純ではないのだとしても、世の中というのはおおむねそんなものだと思っていた。


 だから。そんな自分の毎日に不満を抱いたこともなかった。


 だって、そう。

 ちいさいころからお世話になっているお医者の先生も、時々サティア達の家に遊びに来てはお小遣いをくれるペイサムの爺ちゃんも、忙しい両親の代わりに何かとサティア達の面倒を見てくれるご近所のモニクおばさんも。結局のところ、みんなみんな両親と似たり寄ったりの『お人よし』ばっかりだったから。


 だから、世の中というのはそういうものなんだと、ごく当たり前に信じていた。


 とうさんのこともかあさんのことも好きだった。

 二人が口にする優しいことばが好きだった。

 お医者の先生やペイサムの爺ちゃんや、モニクおばさんのことも好きだった。


 優しいみんなが大好きだったから。サティアはそれでよかった。


 だから、子供なりに分別がついて少しはものごとが見えてくるようになってからも――両親の在り方を不思議に思うどころか、疑問に躓くことさえなかった。


 ひとのために駆けまわって、助けられたひとたちから感謝されているとうさんとかあさんは、サティアの自慢の両親だった。


 ――あの頃。


 大きくて頼もしいとうさんが。

 きれいで優しいかあさんが。

 そのくせ、いつだってどうしようもなく『おひとよし』だったへたくそなふたりが。


 ――ちいさなサティアの、心からの自慢だったのだ。


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