208.ここから先になすべきは、多分、『おひとよしおっさん冒険者』がほんとうにやらなくてはいけないこと⑦


「何それ……どうかしてるよ」


 ぴしゃりとてのひらで顔を覆って。サティアは呻く。


「やっぱ、どうかしてるって……お人よしにしたって度が過ぎてるよ。おじさん、ずっとそんな調子でやってたから、二十年も《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》とやらでくすぶってんじゃないの……?」


「それは……たぶん、そんな、そこまでではないと思うんだけど」


 あはは、と笑いながら、そっと目を逸らす。

 ふと、指の隙間からその様を見上げて、サティアは確信する。間違いなく、ひとつふたつみっつ思い当たるところがあったのだ、このおじさんは。


「……わかった」


 サティアは頷いた。


「そこまで言うなら……もう、仕方ない。おじさんの好きにしたらいいよ。どのみち腕ずく力ずくってなったら、あたしに勝ち目なんてないし。拒否権ないなら、あたしは止めない。ありがたくいただくことにする」


「サティア――」


「でも、そのかわり。いっこだけ答えて」


 拗ねたような言い草に安堵しかけた、男の喉元へ。一転して、問いの切っ先を突きつける。


「おじさんの『目的』は何? 自分が自由に動くために都合のいい、それだけの理由で宿を買い付けて、何をしたいのか――それだけ教えて」


「……それは」


 シドはたじろいだ。

 手を緩めず、サティアはずいと前のめりに身を乗り出す。


「おじさんの言うとおりなら、この宿を引き渡した後も、あたしとルチアはここに残るんだよ? 仮に宿の管理を他の誰かに任せたとしたって、無関係でなんかいられないもの」


 視線を逸らそうとする男を、下から見上げて。サティアは訴える。


「だったら――売り手のあたしくらいには、教えてくれてもいいんじゃないのかな」


「…………………」


 落ちてしまった沈黙に気まずさを覚えたように――シドはしばしの間、居心地悪げに身じろぎしていたが。

 やがて、踏ん切りをつけるようにひとつ息をつくと、あらためて言葉を切り出した。


「……少し前にね。『英雄』じゃなく、『』になるべきだと言ったひとがいるんだ」


「英雄譚……?」


「そう」


 何の話だ、と眉をひそめるサティアに、シドは頷く。


「俺達は冒険者だから。冒険者っていう……『仕事』だから。隠された英雄で終わるのではなく、広く世に謳われる『英雄譚』になるべきなんだ、と。そういう話をされて……そういう話だったんだと、俺は受け取ったんだけど」


 歴史の影に埋もれた、隠されし『英雄』ではなく。

 諸人すべてがその物語を知り、喝采と共にその輝きを仰ぐような、英雄の物語――『英雄譚』。

 吟遊詩人たちが語る、数多なる冒険者達の物語。うたとして、あるいは物語として歌い語り継がれる、多くの英雄たちの叙事詩サーガ


「英雄――なんて言い方だと、俺の身の丈には合わなくて恥ずかしいんだけどね。『冒険者』として何かをなすなら、その結果として得られるものを、きちんと考えなきゃいけないってことだと受け取った。銀階位シルバー・クラスでくすぶりながら自分に言い訳なんてしてないで、きちんとした形で、もっと上を目指すべきなんだと」


「それが……『目的』?」


「いいや」


 シドは首を横に振る。

 そうだろう。それだけの理由なら、宿を買い取ることにサティアを直接の危険から引き離す以上の意味はない。そも、それだけが目的だというなら、所属先の宿探しを焦る必要もなく、問題は彼一人の事情に帰結する。辻褄が合わない。


「ただ、きちんとした形で『目的』を果たすことができれば、俺は誰に恥じることもなく、上を目指せるかもしれない。冒険者として、はじめて『英雄譚』になれるかもしれない。今、俺が見据えているものは……そうしたものなんだ」


 誰かのためだけではなく。

 ただただ自分のためだけの冒険を――『冒険者』としての冒険を、果たせるかもしれない。


 そのことばの意味するところを、胸の内側で転がして。

 サティアはやがて、ちいさく溜息をつく。


「……肝心なところは、何も話せないって訳だ」


「すまない……」


「いいよ、べつに。おじさんにもおじさんの都合ってやつがあるでしょ」


 詫びるシドへかぶりを振って、サティアは詰問の手を引く。

 もとより、確かめたいのは『事実』ではない。たぶん、もっと別のものだ。


「でも、今のことばはすべて本心だ。俺は、みんなの前で胸を張れる冒険者になりたい。もう誰にも心配させたり、気遣ってもらったりなんてしなくていい――ひとかどの冒険者になりたいと、思ってる」


 シドは訴える。胸の内を、あらいざらいぶちまけるようにして。


「そう決めた。だから約束する。俺はこの街で『』になる。

 そうして、この宿を一端の冒険者宿に盛り立てて――俺みたいなやつなんかもう必要がないってくらいにして、きみ達へこの場所を返す。必ずだ」


 ひとたび、財貨と引き換えに手にしたものを。

 その財貨と引き換えに、本来の正しい持ち主へと返却する。


「……確かにこれは、『商談』なんてものじゃなかったかもしれないね。何せ俺はこのテーブルに並んだ何ひとつ、んだ。霊薬アニマひとつを除いては……その霊薬アニマだって、俺の意思で使い切ると決めた」


 ようやく、胸のうちに蟠ったすべてを吐き出して。

 シドは大きく息をついた。

 背を伸ばして、高い天井を仰ぐ。それから居並ぶ三人を見渡して、へにゃりと力なく笑った。


「そしたら、そのうち戻ってくるお金で、一端の冒険者として手に入れたもので……また、その分だけのことができる。今のサティアと同じ理由で困ってる『誰か』にも、また同じだけのことができるようになるんだ」


 ならば、あとは一日でも早く、『その日』を手繰り寄せてゆくだけのこと。


 決してゼロにはならなくても、諦めなければならないことは、そのぶんだけなくすことができる。

 きっとその時には、手にしたもののぶんだけ、できることが増えている。


「だから――その、駄目なら駄目なりにもう一度考えるけど。できれば、きみにもこれで納得してもらえると、嬉しい」


「…………そっか」


 がっくりと項垂れて。サティアは笑った。

 じっとこちらの反応を伺う、気弱な大型犬みたいな冒険者を一瞥して。肩を落として力を欠いた、本当にただ笑うしかないというだけの――胸の底からこみあげる衝動のままに、笑った。


「うん……納得した。そういうことか。つまり、あたしはその『立派な冒険者宿』を受け取るために、このバカみたいに底抜けのおじさんを、『英雄譚』とやらに仕立ててやらなきゃいけなくなるってハナシなんだね」


「……サティア?」


 ふい、と。少女は面を上げた。

 挑むようにその目を輝かせて、シドを見上げる――それは、外輪船の船上で初めて出会った時を思わせる、強い瞳の輝きだった。


「なんかさ。それって、てんで先が見える気がしないよね。しょいこむ面倒ごとがひとつ、変わるってだけのことじゃない?」


「え。いや、別にそういうつもりは……それは、確かにそうかもしれないけど。霊薬の件は別として、宿の話は無理にとは」


「わかった」


 狼狽するシドの言い訳を、ばっさりと断ち斬って。

 サティアは力なく、肩を落とした。


「――わかった。そういうことなら……その話、受ける。あたしは、そうするよ」


 こくり、と。一度だけ。

 それでも確かに、首を縦に振って。


「おじさんを『』にする。そのために、力を尽くす――この宿は好きに使ってくれていいし、あたしにできることなら何でもやる」


「……サティア」


 急に叱る調子になって、シドは唸った。

 まるで、娘の素行を咎める父親みたいな口ぶりだった。


「何でもやる、なんて言い方。そんな簡単に」


「べつに簡単じゃないでしょ。おじさんがあたしの面倒ごとをしょってくれるっていうから、代わりにあたしもおじさんの面倒ごとを引き受けようってだけ。これでようやく、真っ当な『取引』の話ってやつだよ」


 その鼻先を、ぴしゃりと打つように。指先を突きつけて、サティアは言う。


「……これは、あたしが引いた最後の一線。。おじさんがくれるっていうなら、それはもう受け取らせてもらうけど……でも、おじさんみたいなの相手にただで貰って終わらせるのは、嫌なんだ」


 強く言い放ち――不意に、サティアは恥じ入るように唇を噛んだ。


「放っておいたら、また今までと同じ具合にしかねないしね。あたしは、おじさんみたいな『お人よし』じゃないから、お人よしにできない仕事はあたしがやる」


 ――返せるものなんて、それくらいしかない。

 受け取る対価にどれほど見合わなくても、釣り合わなくとも。能うる限りのために、足掻くくらいしか。


 そうするだけの価値あるものが、にはあると、信じられたから。


 だから、精一杯の虚勢をかき集めて。挑むように睨み上げるサティアを――シドは戸惑ったように目をしばたたかせて、見下ろしていたが。

 やがてその瞳に、理解の色が灯った。


「――なら、『商談』成立だ」


 やわらかい笑顔を広げ、握手を求めて右手を差し出す。

 いたたまれないような、まるで自分が、ちいさい子供にでも戻ったような心地に襲われながら――サティアは憮然と、その手を取った。


「……ルチアを、助けてくれる?」


「もちろん」


 シドは心から嬉しそうに、ニッと歯を見せて笑った。


「ありがとう、サティア」


 その言葉に、衝動的に言い返しかけて、言葉に詰まり。もう一度別のことを言おうとして、それも躊躇い。


 結局、何も言葉にできないまま――サティアは一度だけ、コクリとぎこちなく頷いた。


 

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