186.けれど、その彼女が何かたいせつな事実を伏せているのではないかと。おっさん冒険者は気がかりでならないのです。


 《忘れじの我が家》亭は、オルランド中央市街の下町でも東寄りに位置する、三階建ての建屋だった。


「……ここ、か」


 《連盟》から貰っていた地図を頼りに歩いてきたシドは、屋号を掲げた鉄製の袖看板を見上げ、ぽつりと零した。


 玄関には『Closed』の看板がかかり、酒場兼食堂であるのだろう一階は、硝子を嵌めた表の格子窓から伺う限り、机と椅子が隅に寄せて片付けられている。


 ただ、そのうえで。

 この宿には一見してそうと見て取れる、生活の気配があった。

 玄関脇の鉢植えは土が水を吸って黒々とし、壁も屋根も荒れたところがない。鉄製の袖看板は多少古びてこそいたが、錆が浮いたまま放置されたような『荒廃』の臭いはなかった。


 ひとがいなくなった建屋は、急速に荒れる。

 裏を返せば、それがないこの宿には、誰かが住んでいるということ――誰かが住み、手入れをしている。その雰囲気があった。


「……………………」


 宿を閉めている、という言葉に嘘はないのだろう。

 ただ、ここは空き家でも、廃屋でもない。


 ここま未だ、『宿』のまま保たれている。

 そう、シドは感じた。



「……サティアちゃんは、昔オレが世話になってた冒険者宿の娘さんだよ」


 シドの詰問に対し。

 《Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド》の痩せた亭主は、力なく肩を落としながら、諦観の口ぶりで語り始めた。


「《忘れじの我が家》亭って屋号の宿でね……オレは元々、そこの冒険者だったんだ」


「元冒険者の方、だったんですね」


 冒険者の一線から退いた元冒険者が、引退後も冒険者に関わる職につくというのは、実のところよく聞く話ではあった。


 ドルセンやサイラスのように実績のある冒険者は、《連盟》にスカウトされて役員待遇で迎えられることもあるし、そうでなくとも一般職員として《連盟》で働き始める者は多くある。そうした『宮仕え』が性に合わないものは、冒険者向けの武具や道具を扱う店を開いたり、冒険者向けの酒場を持ったりする。


 オルランドは他の都市と異なり、冒険者の管理を市内の冒険者宿が担っている。他の土地では冒険者を一括管理している《諸王立冒険者連盟機構》は、これら冒険者宿を管理下に置くことで、市内の冒険者に対し間接的な管理を行っている。

 つまりはそうした『冒険者宿』も、この街では冒険者の『セカンドライフ』たりうるのだ。

 ただ――


「ああ、そうだよ。元冒険者さ……万年銀階位シルバー・クラスのね」


 腑に落ちたというだけの理由で何の気なく零した一言に対し、宿の亭主はひどく恨みがましい目をして、じろりとシドを見上げてきた。


銀階位シルバー・クラスさ。生憎オレは、あんたみたいな才能も実力も、これっぽっちも持ち合わせちゃいなかったからね」


「そんな……」


 ――こっちだって、才能だのなんだのなんて持ち合わせた覚えはない。


 そう抗弁しかけて、シドはやめた。

 言ったところで、揶揄に揺らがされた自分の気持ちを軽くする以上の意味はない。そんなつまらない言い合いで時間を磨り潰すくらいなら、話を先へ進めるべきだ。


「つまり、冒険者としての限界が見えたから……冒険者宿を開いて、そこの亭主になった。そういうことなんですね?」


 単純な経緯として、おかしなところはない。

 だが、そこにはひとつ、たいらかならざる大きな『引っかかり』がある。


「オルランドは他所と比べて、土地と家がとても高価たかい街なのだと聞いています。こう言っては失礼ですが、口ぶりからして冒険者として成功したとは言い難いであろうあなたが、どうやってこの宿と敷地を買えるだけの資産を手に入れたのですか?」


「ここはもともと、ペイサムって偏屈爺さんが冒険者宿をしてたところなんだ。その爺さんが、『歳だから宿をたたんで隠居する』って言い出してたから……それを、格安で譲ってもらったのさ」


 男はひどく後ろめたげな、吐き捨てるような口ぶりで言った。


「偏屈で、仕事関係以外はろくろく人付き合いもないような爺さんだったけど、レックスさんとミアラさん――サティアちゃんの両親とは、ずっと親しくしてたみたいでね。

 同じ冒険者宿をやってる同輩だからってのもあったんだろうが……とにかくその二人に口添えしてもらえたおかげで、この宿を中の設備ごと、安く譲ってもらえたのさ」


 ――もっとも、と。

 男はいっそう卑屈に、唇を曲げた。


「それだって、オレみたいな三流冒険者に手の届く額じゃなかったからね。銀行に借金しても足りなくて、足りない分は二人に貸してもらって、それでようやく――この宿を手に入れたんだ」


「……冒険者宿というのは」


 シドは驚きと共に、男が語る一連の内容を聞いていた。


「そこまで……冒険者のために手を尽くすもの、なんですか? 引退する冒険者にまで」


「まさか。そんな訳ないでしょ」


 男は鼻で笑った。

 そこにはやすりのようにざらつく、揶揄の含みがあった。


「あのひと達が、特別だっただけだよ。あの二人に世話になったのだって、オレ一人だけじゃなかったしね――宿にいた他のやつも、冒険者を辞めた後の仕事や住処すみか、あの人たちに面倒見てもらってたよ」



 ――『気をつけなよ』


 ――『おじさん、ただでさえ騙されやすそうな顔してんだから』



 まるで、浮かび上がる泡のように。鼓膜の内側で響くことばを聞いた気がした。


「いい宿だったよ。オレみたいな三流冒険者でも、嫌な顔ひとつせず受け入れてくれた……ツケ払いを溜めてたやつも一人や二人じゃなかったのに、そんな連中だって追い出したりなんかしないひとたちだった。だから――」


 懐かしむように語ることばは、しかし後ろめたさが縫い付けられた、ひどくざらつく感情の棘が生えていたようだった。


「――だから。二人ともいい人で、居心地のいい宿だったけど。あそこへ転がり込む冒険者はさ、ほとんどが他所じゃ相手にもされなかったような、三流の落ちぶれ冒険者ばっかりだったよ」


 ――『そういう甘い顔してるとさ』

 ――『他人を搾取したいばっかの寄生虫みたいなのに、引っつかれちゃう』


 ――『だから』


「……彼女がどういう立場で、あなたとどういう関係だったかは、分かったと思います。おおよそですが」


 ほとんど愚痴のような響きを帯び始めた男の独白を断つ形で、シドはことばをさしはさんだ。


「《忘れじの我が家》亭について教えてください。俺が《連盟》から貰った冒険者宿のリストでは、あの宿についてこんなことが書いてあって」



 ――三年前より、在籍する冒険者なし。



 備考欄に、セルマが几帳面な字で記した一文。

 実のところこの記載だけならば、さしておかしなものではない。


 何故なら冒険者宿とは『冒険者のための宿』ではなく、『冒険者を管理する資格を有する宿』であるからだ。

 仮に宿へ籍を置く冒険者がゼロだとしても、依然としてそこは『宿屋』である。他の宿屋がそうしているのと同じように、冒険者ならざる旅人を宿泊させる形で営業することは可能だ。


 だが――男の語ることばを真実であるとして加味すれば、この一文が示す状況には、看過しがたい齟齬がある。



「これがどういう意味を持つものか。あなたは……知っていますか」



 ……………………。

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