185.紹介状の効果が抜群だったことを報告しました。交易商人の女の子は嬉しそうでした。


 一夜明けて。


 翌日。正午の鐘が鳴って幾許かが過ぎた頃。

 懐中時計の文字盤を見ながら昨日と同じ水場までやってきたサティアは、そこで手持無沙汰にぼんやり佇んでいたシドの姿を見つけた。


 約束の時間まで、サティアの時計であと五分。

 律儀なおじさんだと、自然に口の端が緩みかけた。


(――っと)


 そうではない。それは油断だ。

 己を縛るように言い聞かせ、サティアは『生意気な小娘』らしい勝気な笑顔を作って、声を張り上げた。


「おーじさーん!」


 ひらひらと手を振りながら近づくサティア。

 振り返り、ほっと表情を緩めるシドへ、軽やかに駆け寄っていく。


「えらいえらい。ちゃんと待ち合わせの時間に来てるじゃん。冒険者ってそういうのいい加減なひとけっこういるんだけど……おじさん、もしかして懐中時計とか持ってるクチ?」


「生憎、時計は持ってないんだけど……広場の大時計でだいたいの時間は分かるから。あとは陽の角度で、これくらいの時間だったなって」


「それはそれは。今日も晴れててよかったねぇ」


 シドが見上げる視線を追う形で、左右の家並みに切り取られた狭い空を見上げる。


「で。昨日はあれからどうだった? ちゃんと宿には行ったんだよね?」


「行った。紹介状を見せて、まあその後もいろいろあったんだけど……とにかく、冒険者宿には入れてもらえることになったよ」


「やったじゃん、おめでとう!」


「ありがとう。サティアのおかげだよ」


 明るく言いながら、サティアがどんと胸を叩いてやると。シドは面映ゆげにはにかんだ。


「紹介状と……あとは、腕試しでもすればいいって言ってくれたろう? あれのおかげで上手くいったんだ」


「ほら、やっぱりあたしの言ったとおりじゃん! おじさん腕は立つんだから、嘗められさえしなきゃどうとでもなるんだって!」


「そうだね。本当にそうだった」


 そう言い合い、ひとしきり明るい笑いを弾けさせてから。サティアはあらためてシドを見上げた。


「ってことは、オルランドの冒険者宿は《灰犬グレイハウンド》で本決まり? もしかして、もうそっちに移った感じだったり?」


「連盟への申請とかいろいろ手続きもあるから、まだ宿には移ってないんだけど……そうだね。たぶん、近いうちにそういう事になると思う」


「そっかそっか。んじゃあ、今度何かお仕事あったら《灰犬グレイハウンド》に持ってってあげるから。ちゃーんと稼ぎになるやつね?」


 ぺしぺしと、気さくな所作で高い位置の肩を叩いて。

 にんまりと笑うサティアに、シドも面映ゆげな笑みを深くする。


「……本当にありがとう。とても助かったよ」


「どういたしまして。でもさ、どうせ恩に着てくれるんならだよ? 次に持ってく仕事の報酬、いくらかまけてくれると嬉しいなぁー?」


「いいよ、わかった――と言っても、パーティの仲間の都合もあるし、そんなにたくさんは無理かもしれないけど」


 あまりに素直なシドの返答に、絶句する。

 却ってサティアの方が、戸惑う羽目になった。


「ばっ……か。何言ってんのかなぁー、このおじさんは!」


 ぺしぺしと腕やら肩やら叩いてやりながら、可愛い素振りを装って、厳しく唇を尖らせる。


「ただの軽口じゃん。そんな本気に構えないでよ、バカだなぁ」


「そうなの?」


「そうだよ。当たり前でしょ?」


 サティアは、厳しくシドを見上げる。


「これからは、オルランドの《箱舟》に挑むんでしょ? 入場料とかそのほか色々、これからたーんまり稼いでかなきゃなんだから。そういうの、気軽に言っちゃだめ」


 これだけは厳しく言っておかなくてはいけない――可愛い女の子の素振りだってしない。

 本気の忠告だった。


「気をつけなよ。おじさん、ただでさえ騙されやすそうな顔してんだから……そういう甘い顔してるとさ、他人を搾取したいばっかの寄生虫みたいなのに、引っつかれちゃう」


「……ええと」


「だから、他人にそんな甘い顔ばっかしてちゃだめ。これから、ここで冒険者としてやってくんなら――人助けなんかより先に、自分を助けることを考えるの。いい?」


「…………うん」


 思いがけず厳しい言葉を向けられたせいか、シドは困惑しているように見えた。

 まあ、いい。サティアは自分の中で、そう踏ん切りをつける。


 手は貸してやったし、忠告もしてやった。これでもなお、お人よし全開の失敗を繰り返すというのなら、そんなものはもうサティアの知ったことではない。

 ひとつ息をついて、サティアは厳しい表情を解いた。


「ま……上手くいったんなら何よりだよ。これから宿に乗り込む手間が省けたし」


「手間をかけずに済んでよかったと思ってる。サティアは、この後どうするんだい?」


「そりゃあもう商売、お仕事ですよ。お金はいくらあったって余ったりしないし、あればあるだけいいんだから」


「えらいね。仕事熱心で」


「子供扱いすんなし。てか、おじさんこそもっと熱心に働きなよ? 冒険者なんて体が資本の商売なんだから、どっか悪くする前に一生分きちんと稼がなきゃさ、将来が暗いよー?」


「そうだね。肝に銘じるよ」


 苦笑いするシドの複雑そうな顔を、けらけらと笑い飛ばして。

 すっかり胸が軽くなった心地で、サティアは軽やかに踵を返した。


「じゃ――あたしはこれで。またどっかで縁があったらその時は、サティア・イゼットちゃんをご贔屓にねー」


「そちらこそ。仕事の依頼、待ってるよ」


 ひらひらと小さく手を振って見送るシドへ、大きく手を振り返して。

 サティアはその場に背を向け、弾む足取りで駆けだした。



「……………………」


 ――そんな少女の背中を、見えなくなるまで手を振って見送った後。

 シドの顔に浮かんでいたのは、それまでの頼りなげな笑みでなく、気づかわしげに沈んだ面持ちだった。


 踵を返して、次の目的地へ足を向ける。

 今からひとつずつ、確かめていかなければならないことがある。


 最初に向かったのは、昨日の冒険者宿――《Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド》である。

 宿へ入ると、ひとけのない酒場兼食堂のカウンターで暇そうにしていた宿の亭主が、ぎょっとしたように振り返った。


「あ、ああ……なんだ、あんたか。今日はどうしたの? うちに籍を置くって決めてくれたのかい?」


「すみません。今日はまだその件ではなくて――」


 言いながら、シドは宿を見渡した。

 人の気配はない。一階の酒場兼食堂もそうだが、二階の客室も。


「昨日のパーティの冒険者さん達――《双獅子レオスの旗》のひとたち、いないんですね」


「ああ、仕事でね。あいつらうちの看板だから、忙しいんだよ」


「そうでしたか」


 それは都合がいい。

 話を聞くにあたって、邪魔が入らずに済みそうだった。


「もしかして、ルシウス達に用だったのかい? なら残念だったねえ。あいつら多分、三日くらいは戻ってこないと思――」


「いえ。そうではないんです。今日は御亭主に、少し伺いたいことがあって」


「オレに? 何だい、この宿のことかい? それなら何でも聞いてくれていいよ?」


「サティア・イゼットに関することなんですが」


 ――途端。

 ほんの一瞬だが、宿の亭主の表情がぎくりと強張る様を、シドは確かに見て取った。


「……サティアちゃん? あの子がどうかしたのかい」


「彼女がどうということではないです。ただ――彼女とあなたは、どういうお知り合いなのかというのが、気になって」


 宿の亭主は、早くも目が泳ぎ始めていた。

 隠し事の下手な、素直な男なのだろう。ふとその狼狽ぶりに同情を覚えそうになり、シドはそれを、強いて胸の奥底へと磨り潰した。


「あなたは、俺みたいな《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》の冒険者は、自分の宿へ置きたくなかったはずです。けれど、彼女の紹介状を見た後から、それが一変した」


「そりゃあ……紹介状に書いてあることを読んだからね。それに、ほら、ルシウスやギーヴと力試しもしただろう? あれを見た後じゃ、あんたをただの《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》みたいになんて扱えないよ、オレだって」


「その紹介状、よければ俺にも見せては貰えませんか? 今、この場で」


 宿の亭主は僅かの間、言葉を詰まらせたようだった。


「何だい急に……それ、あんたの宿決めに何か関係でもあんの?」


「わかりません。あるかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、これからのことを決める前に、できるだけのことを、きちんと知っておきたいんです」


 宿の亭主へ、シドはてのひらを向けた。「寄越せ」というように。



「――あなたと彼女は、一体、どういったお知り合いだったんですか?」


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