184.間章:ところ変わって、《淫魔の盃》亭にて。とある冒険者パーティにまつわる一幕【後編】


 ケイシー・ノレスタ、ジェンセン・ヒッグ――そしてルネ・モーフェウスの三人にとって、《ヒョルの長靴》は都合のいいパーティだった。そしてユーグ・フェットは彼らにとって、頼りになるリーダーだった。


 目端が利いて、頭が切れる。馬鹿騒ぎにも寛容で、いくらか羽目を外した程度なら何も言わずに見逃してくれる。時には矢面にすら立ってくれる。自分達はユーグの言う通りにしていれば、一端の冒険者としておいしい目を見ることができる。


 ユーグ・フェットの寛容は、どちらかと言わずとも無関心ゆえの寛容ではあったが。しかし寛容であることには変わりなく、彼らにとっては同じことだった。各々の仕事さえきっちりやっていれば、ユーグ・フェットはそれ以上を求めはしない。


 また、ユーグ・フェットは寛容なリーダーだった。

 酒にも。博打にも。色恋沙汰にも。それ以外の大抵のことに対しても。


 パーティ内の人間関係のいざこざにさえ、ユーグは総じて不干渉だった。これまでずっと、無関心だったと言っていい。


 気に入らないパーティメンバーをいびり倒して追放してやったのだって、一度や二度のことではない――だが、そんな風にして不愉快な間抜けがパーティから消えたところで、ユーグは眉ひとつ動かさなかった。

 だから、


「――何だ、その顔は。そんなに意外か?」


 だから、こんな風にそれを突きつけられるなど、今まで考えたこともなかった。


 白状すれば、ルネは今に至るまで、それら過去の追放をほとんど忘れかかっていたくらいだった。ケイシーやジェンセンと組んで虐め抜き、追い出してやった――目障りで不愉快な、間抜けどものことなど。


「お前らが追い出した一人を慰留したところで、問題の先延ばしにしかならねぇからな。一人と三人、集め直す手間を考えれば、どちらを取るかは考えるまでもない。当座の金を持たせて快く送り出してやるのが、せめてもの心配りというやつさ」


「っ――だ、だったらさぁ」


「――だが、それはあくまでが成立する限りにおいて、の話だ」


 一転して狼狽するルネを、ユーグは冷ややかに見据える。


「《ヒョルの長靴》は今後も変わらず、《箱舟アーク》の探索を続行する。《ヒョルの長靴》は俺のパーティだからな。異論は認めん」


「そういうとこがつきあいきれねーって言ってんだろうがよ! 何のつもりか知んないけどさぁ、そのあんたの妙なこだわりで命かけさせられる方の身にもなれってハナシしてんだよなぁ!?」


「なら、これ以上つきあう必要はない。どこへなりと好きなところへ行けばいい」


 ユーグ・フェットは頼りになるリーダーであり、また寛容なリーダーだった。

 ケイシー・ノレスタとジェンセン・ヒッグ、そしてルネ・モーフェウスは、そんなユーグの下でうまくやってきた三人だった。



 ――これまでは。



 だが、今この時において。

 寛いだ様子でルネ達を見遣るユーグの表情は、『本気』だった。


 これは、駆け引きの類などではない。、と。ユーグは何らの譲歩もなく、ただ、その選択だけを突きつけている。


「あ、ぁああたしらがいなくなって……あんた一人でやってけんのかよ、ええ!? 斥候スカウトも魔術士もいなくなってさぁ! そんでどうやって遺跡の探索するつもりでいんのさ、バカじゃねーの!?」


「もちろん、どこぞで新しい冒険者を見繕うさ。幸いここはオルランドだ、《箱舟アーク》に潜りたいって冒険者なら、街のどこにだって、束にして売れるほどいるんだからな」


「っ――ざっっけんじゃねぇぞ、てめぇ!!」


 ずだん!

 靴底でローテーブルを踏みつけて。ルネは身を乗り出して凄む。


「安く見やがって……このあたしをさぁ! そーいうとこがつきあいきれねぇってんだよなぁぁ、ユーグはさぁー!」


「つきあいきれないならつきあう必要はないと、そう言ったはずだが――なあルネ。俺は同じことを、あと何回お前に言ってやればいいんだ?」


「こ、っ……の……てめ……!」


 ルネの口の端は、激しく戦慄いていた。


 屈辱に。

 突き放したユーグの言葉は、つまりはという――その宣言に等しいものだった。


「る、ルネ……なあ、おい」


「……行くよ、ジェンセン」


 恋人でもある女の冷え切った声に、「へっ?」と間の抜けた呻きを零すジェンセン。


「こいつクソだわ。前から薄々分かっちゃいたけどけど、これ以上はマジつきあいきれねー……やってらんないよ。ケイシーもそう思うでしょ?」


「え、ええ……もちろん。うん」


 振り向きもせず唸る女冒険者へ、がくがくと頷くケイシー。

 二人の返事を聞いて。ルネは最後に、じろりとロキオムを睨んだ。


「ロキオム、あんたも来るよね? この男マジモンのイカレだわ。てか、あんなキモオジやエルフ女ばっか贔屓しやがって、仲間をないがしろにするとかさ。イカレがどうとか以前にリーダー失格でしょ、こいつ」


「何でオレにまで言うんだよ」


「厚意で誘ってやってんじゃないのさ。あんた、そいつと一緒にいたら厄ネタまみれの迷宮で磨り潰されんのがオチだよ?」


 揶揄する調子の猫なで声で。ルネはロキオムの察しの悪さを鼻で笑う。


「そんなの、見捨ててったら可哀想じゃん? だから一緒に来なよってお情けで言ってやってんの。あんた、そんなこともわかんないバカな訳?」


「……オレは行かねぇ」


 ロキオムは、首を横に振った。

 厭わしいものを見遣るようにいかつい顔をしかめながら、きっぱりと言い放つ。


「オレは《ヒョルの長靴》の前衛フロントだ。だから、お前らとは行かねぇ」


「先輩に口答えしてんじゃねーよ、ハゲの分際がよぉ!!」


「ルネ、ルネもうよせって!」


 さらに身を乗り出し、今にも殴りかからんとするルネを、ジェンセンが後ろから羽交い絞めにして必死に宥める。


「あたしに逆らうんじゃねーよ、どいつもこいつも安く見やがって!! 一番新入りの下っ端だった分際が、あたしに向かって調子くれてんじゃねーぞコラ、あぁ!?」


「お前の言うとおりだよ。オレらが正しい! この期に及んでユーグについてくなんて、バカのやることさ……だ、だからさ、もう行こうぜ。な!?」


 ルネはなおも、威嚇の咆哮と人語の中間のような、潰れた悪罵を喚き散らしていたが。

 やがてその怒りも尽きたのか、ぜいぜいと肩で息をしながら言葉を途切れさせた。


「……山分けにした報酬、あたしらの分はきっちり持ってくからね!?」


「好きにしろ。言われなくとも、それはお前らの取り分だ――今までご苦労だった」


 あっさりとあしらわれる屈辱に、口の端を限界まで引き攣らせて――ルネは自分の分け前が入った革袋を引っ掴むと、乱暴な足取りで宿から出ていった。

 ジェンセンとケイシーが、あたふたと彼女の後を追う。


 玄関の扉が閉まるのと同時に、宿の中は、嵐が去った後のような乾いた沈黙が満ちて。

 やがて、それまで時ならぬ騒動に注目していた物見高い連中が、見世物が終わりと悟って気の抜けた様子で、めいめいそれぞれの予定へと立ち戻っていったようだった。



 嵐が去った後のような乾いた静けさの中、力が抜けてしまったのはロキオムも同じだった。

 ユーグには聞こえないようにひっそりと殺した溜息をつき、重たくなった肩をがっくりと落とす。


「なあ、ユーグ……ほんとによかったのか?」


「何がだ?」


「何がって……」


「嫌がるところにわざわざ頭を下げてまで、つきあいきれんと言っているやつを引き留めようとは思わんよ。俺とて、そこまで人非人って訳じゃない」


 あっさりとそう言うと、ユーグは首をねじってロキオムを見上げた。


「それに、確かに前回のアレはろくでもない厄ネタだった。あれだけのシロモノに出くわした後で、こうして命知らずが一人残っただけでも儲けものさ」


「お、おお。そりゃあ……まあ、オレは」


「少なくとも《ヒョルの長靴》は、前衛フロントには恵まれたってことだ。あてにしてるぜ、ロキオム」


 ユーグから全面的に認められて面映ゆいのと、これで完全に退路がなくなったという冷たい実感とで、曖昧な顔つきをしていたロキオムだったが。

 とはいえ――三人の離脱は、パーティとしてはかなり手痛い。


 前衛フロントには恵まれたとユーグは言ったが、裏を返せばそれ以外は今からあらためて調達しなければならないということだ。当然ではあるが。

 前衛フロントを張る戦士だけでは、《真人》の迷宮に挑むのは危険すぎる。


「すごい騒ぎだったわねぇ?」 


 そこへ、背中越しの声がかかった。

 振り返ると――そこにいたのは、この《淫魔の盃》亭を預る女主人だった。

 実情を言うなら、彼女はこの界隈で一番大きな娼館を経営するオーナーの愛人――オルランドの色町で長く生きてきた、年嵩の娼婦である。


「うちで一番の腕っこきだったパーティが、急にバラバラになっちゃうだなんて――これから大変ねぇ、貴方達」


「用件があるなら、早いとこ本題に入っちゃもらえないかね?」


 クスクスと含むような猫なで声で笑う女に、ユーグは揶揄する調子で言い放つ。

 女はたっぷりした唇の両端を持ち上げ、にんまりと笑った。


「仕事の依頼があるわ。用心棒をお願いしたいの」


「用心棒?」


「たいせつな商談があるんだけど……先方がわからずやな女の子でねぇ。なかなかテーブルについてもらえなくって。」


 女は細いつくりの煙管キセルに口づけ、そして深く吸った紫煙を吐く。


「――だから、ができるように。何人か、腕っぷしのいい用心棒を連れていきたいのよ」


「報酬次第ってとこだな」


 ユーグは素っ気なく言い、肩越しに首をねじって女を見上げる。


「俺達は冒険者だ。あんたが日頃使いっ走りにしてる、場末のチンピラじゃあない」


「それはもちろん分かっているわ。あなた達はうちで一番の腕利きよ」


 女はたっぷりした唇を吊り上げるように緩め、にんまりと笑う。


「次の冒険に連れていける冒険者、何人か見繕ってあげるってことでどうかしら」


 ユーグは微かに目を細め、黙考したようだった。

 やがて、あらためて女を見上げて、


「――分かった。その条件で引き受けよう」


「ありがとう。礼を言うわ?」


 ――商談成立。

 女主人は、満足げに笑ったようだった。

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