183.間章:ところ変わって、《淫魔の盃》亭にて。とある冒険者パーティにまつわる一幕【前編】


 《淫魔の盃》亭は、オルランドの中央市街でも北壁に程近いはずれに位置する歓楽街と接した、いわゆる『治安の悪い』宿のひとつであった。


 歓楽街と言えばまだ聞こえはいいが、その実態は、娼館と連れ込み宿の並ぶ『色町』である。


 美女を、あるいは美男を囲って酒を飲み、賭博場カジノで博打を打ち、そして一晩の恋人を連れて淫靡なるしとねへ潜る。

 通りを歩けば、路上であやしい薬物クスリを商う露天商の姿もある。興奮剤、あるいは媚薬という名目で売買されているが、より直截に言えば麻薬の類だ。


 《淫魔の盃》亭は、そんな色町に勢力を持つ、とある娼館のオーナーが所有する冒険者宿だった。書類上は別人の名義だが、実態はそうしたものだ。


 酒も。薬物クスリも。博打も。女も。

 およそ色町で買えるものなら、何でもここで手に入る。命懸けの冒険から帰った冒険者達は、その憂さを晴らすように飲み、打ち、買う。《淫魔の盃》亭は、そうした宿だった。


 そんな宿の一階。窓のカーテンを閉じ、代わりに魔光灯の光をともした、ほの暗いラウンジにて。

 背の低いテーブルを囲むソファセットひとつを占有して、ひとつの冒険者パーティが席を囲んでいた。


 話し合いの席だ。



「要するに――もう俺とはやっていけない、という訳だ。お前らは」



 昼に程近い、かろうじて午前と呼びうる頃合い。

 彼と向かい合う形でソファに座った三人の仲間が口々に並べた長広舌を、ユーグは――冒険者パーティ、《ヒョルの長靴》のリーダーであるユーグ・フェットは、その一言で要約した。

 その素っ気なさに苛立ったように、三人の中の一人――痩せた男が、ちっと舌打ちした。


「誤解すんなって。何も、ユーグとやっていけないとまでは言わねぇよ。あんたはいいリーダーだし、できることならこれからも、うまくやっていきたいくらいに思ってるさ」


 だが――と威嚇のように唸ったその男は、《ヒョルの長靴》の斥候スカウト、ジェンセン・ヒッグである。


「だが……オレ達はもう、《箱舟アーク》に潜るつもりはねえってだけだ。今日まで何度か潜った割に大した成果もなかったし、挙句にあんな厄ネタまで出てくる始末じゃな」


「ジェンセン」


 釘を刺すように、ユーグ。ジェンセンは「わかってるさ」と了解を口にする代わりに、軽薄な口笛を吹いた。

 《キュマイラ・Ⅳ》にまつわる件は口外無用。それは彼とて承知していることだ。


「冒険者は命懸けの商売だ。んなこたオレだって百も承知さ――けどな、ものには限度ってもんがある。

 冒険者は命を『安売り』する商売じゃねえってことだ。分かるだろ?」


「……………………」


「こないだの一件で、オレ達はたんまり稼いだだろ。こんだけありゃしばらくは遊んで暮らせるし、何ならこいつを元手に真っ当な暮らしへ戻るのもいい。

 どのみち、これ以上あんな厄ネタの住処なんぞに飛び込まなくてもよ……ここいらでちょっくら他所へ河岸を変えるってのも、アリなんじゃねえか?」


 猫なで声で言うジェンセン。

 ユーグは細く絞った息をつく。


「運が向いてたんまり稼げたから、あとの人生は守りに入りたいってハナシか」


「悪いか?」


 悪びれもせず、ジェンセンは問い返した。

 その隣で、魔術士のケイシーがうんうんと頷く。


「考えてみてよユーグ。同じ名を上げるのでも、絶対ここじゃなきゃダメだなんてことないでしょ? 同じ命をチップにするにも、もっと……勝率も実入りもいいところなら、ほかにいくらでもあるじゃない」


 同意を求めるケイシー。腕組みしたジェンセンが、余裕ぶって大仰に頷く。

 ユーグの側で、ソファの後ろに立っていたロキオムは、二人の言い分に形容しがたい渋面になっていたようだった。


「ここで粘ったって、またこの前みたいになるかもしれないワケじゃない? そんなんだったら、命かけたって割に合わないわよ」


「そうそう。だいたい、オレの仕事は斥候スカウトだ。この前みたいに戦いにまで駆り出されるなんてのは、オレの領分じゃねえんだよなぁ」


 腕組みしながら、口々に言う二人の言葉を聞いていたユーグだったが。

 ひとつため息をつくと、最後の一人へと目を向けた。


 『三人』が長広舌を並べた――というのは、実のところ正確さを欠く。

 最後の一人――ルネ・モーフェウスは、この話し合いの場においてほとんど口を開かず、ずっと自分の膝へ視線を落としたままだった。


「ルネ。お前もこいつらと同じ意見か?」


「あたしは……」


 膝においた両手が、きつく握りしめられた力に震える。


「あたしは……自分の命が惜しい」


「第四層で石化を喰らって、ビビっちまったか」


「……ああ、そうだよ。ビビったよ。なんか悪い?」


「いいや?」


 図星を突かれた体で、きつく眉を吊り上げ唸るルネに。ユーグはむしろ腑に落ちたとばかりの静かな面持ちで、ゆるゆると首を横に振った。


「ただ――後衛バックスのジェンセンやケイシーはともかく、お前までその結論に至ったのは少し意外だ。遊撃レイダーなんてを張って、俺達の一番前で危険をかいくぐってきたのがお前だったからな」


「……リーダーが信用できるやつだったら、あたしだって今まで通り、命張るくらいやるけどね」


「お、おい。ルネ?」


 ざらりと尖った揶揄を響かせるルネの物言いは、ジェンセンやケイシーにとっても 想定外のものであったらしい。

 目に見えて狼狽する二人には一瞥すらくれず、ルネは眉を吊り上げて唸る。


「……前の探索の時、アンタはあいつらの肩持ったよね。あのキモオジと、エルフ女のさぁ」


「それがどうした?」


 問い返すユーグは素っ気ない。ぎりっ――とルネの奥歯が軋る異音が、聞く者の肌を総毛立たせんばかりにひりつかせた。


「あたしら仲間だよね? 同じパーティの……なのに、そのリーダーのアンタが、仲間のあたし達じゃなくてキモオジやエルフ女の味方するんだね。そんな薄情なリーダーを、命かけて信用とかできるワケなくない?」


「ちょ、ちょっとルネ、落ち着きなよ。あんた何で急にキレてんのよ……!」


 ケイシーが慌てて袖を引くが、ルネはユーグを睨むのをやめない。

 ユーグはソファに背中を預け、長い脚を組みながらその様を見遣っていたが――ややあって、疑問を現す体で首を傾げた。


「なあ、ルネ。お前、何か勘違いしてんじゃないか?」


「ぁあ!?」


 歯を剥いて唸るルネ。ユーグは薄く笑った。


「俺達――《ヒョルの長靴》が、そんなあったかい友情の寄り合いパーティだったことがあったか? つまりお前は、ここなる仲間への友情だか信頼だかでパーティを組んでたって訳かい、今までよ」


「あたしらは仲間じゃねえってのかよ!?」


「仲間だが? ああ、もちろん仲間さ」


 あっさりと、ユーグは答える。


「お前達とは、紛れもない冒険の仲間さ。お前達はパーティに能力と技術を提供し、リーダーである俺はその対価に利益と分け前を用意する。俺達はずっと、その互恵関係でやってきたパーティだったじゃねえか」


「てめぇ――」


、俺は何も言わずにいてやっただんだぜ?――お前ら三人が、せっかくの『』をいびり倒して、《ヒョルの長靴》から追い出しやがった時にもな」


 切っ先を翻すようにして、ユーグから突きつけられたその言葉に。


 ルネは言葉を失い、青褪めた。

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