181.なんやかや、紆余曲折ありましたが。どうやら実力に関しては、十分と認めてもらえたみたいです。


 曰く、近代剣レイピアであるという。


 それは都市の社交界で華やぐ貴公子達が護身のために下げる剣であり、彼らが決闘において携える剣――裏を返せばそれは、ではないのだと。


 実情を言うなれば、その評はいくつかの誤謬を含むものだ。文字通り『都市の剣』である都市小剣タウンソードとの混同や、ある種のやっかみに基づく揶揄でもって、実像がゆがめられている。


近代剣レイピアと立ち会うのは初めてか?」


「そうだね。の貴族剣と立ち会うのは、これが初めてだ」

 

 細身の刀身は優美で、長剣ロングソードのような剣に比べ華奢で儚く見える。

 だが、それは決して脆くはない。薄く鋭い切っ先であればいざ知らず、頑丈なリカッソの部分で受けさえすれば、近代剣レイピアは両手剣の振り下ろしにすら耐える。


 片手で振るう刀身の長さは、長剣ロングソード並か、それを上回る程度。重心が手元に位置するために、手首を使った操作がダイレクトに切っ先まで伝わる。変幻自在の剣だ。


 刀身そのものは比較的軽量であり、金属鎧を断ち割るような荒っぽい使い方はできないが――肉ごと骨を断つ刃は、十分に戦場でも通用する。


 だが、それでもシドが実際に近代剣レイピアを扱う冒険者を見たのは、二十二年の冒険者生活でこれが初めてだ。いわゆる冒険者の中で近代剣レイピアを得物とする戦士は、きわめて稀なる限られた一握りである。


 理由は単純。つまりは近代剣レイピアが、であるからだ。優美な意匠の護拳付き柄スウェプト・ヒルトで飾った剣は美術品としての側面を有し、他の武器よりも概して高価だ。

 扱う者がいないがために、その術理もまた、庶民の市井へ出回ることがない。


「そうか。俺はこの剣で、両手剣使いとも戦ったことがある」


 ルシウスは右足を前に出して横向きに構えると、軽く肘を曲げながら刀身を前へ倒し、シドの喉元へその切っ先を突きつける。

 おそらくは、これが近代剣レイピアの正統剣術。その構えだ。


「負け知らずだ。つまり、これは公平な立ち合いとは言い難いが――まあ、戦いというのはおおむねそうしたものだ。許せよ」


「そう思うなら、今日のところはやめってことにしてもらえないか? この期に及んで、怪我でもしたらつまらないだろう」


「俺が戦いたいのさ。腕前を見せつけたあんたが悪い」


「……そんな無茶な」


「なに、体には当てないようにしてやるさ。そういうことで勘弁してくれ」


 どうあっても、退いてはくれないようだった。


 やむなく、シドは剣を構える。ルシウスはこの立ち合いの理由を、自分が戦いたいからだと言っているが――だが、おそらくは。そう見込んだからだった。


 そして、仮にそうであるとしたならば。

 シドもここで手を抜く訳にはいかない。少なくとも、格好のつかない無様な負け方をする訳にはいかなくなった。


「いくぞ」


 一声。前置きして。

 一拍――否、半拍の遅れで、ルシウスの切っ先が蛇のように喉元へと伸びてきた。


「――――っ」


 リカッソの部分で受け。手首と肘の動きで、近代剣レイピアの切っ先を絡めとるように剣の軌跡をひねる。ルシウスは手首の返しひとつでするりと剣を引くと、立て続けの突きを繰り出した。


 一突き。

 二突き。


 切っ先を弾いていなし、三度目の突きと交差するようにして前へ飛び出す。


「――ふっ!」


 ルシウスは手首を返し、突きから横薙ぎへと軌道を切り替える。

 膝を深く沈めてその切っ先に空を切らせると同時に、シドは両手剣を逆袈裟に斬り上げた。狙いは剣を降り抜いた直後の、がら空きとなった右脇の下。


 斬り上げる刃は、近代剣レイピアのリカッソ――もっとも頑丈な刀身の根元と、火花を散らして激突する。

 ルシウスは手首の返しひとつ剣先をひるがえし、振り抜いた直後の剣を防御の位置まで戻したのだ。さらに剣を斜めに傾けて衝撃を逃がしつつ、柄本へと両手剣の刃を滑らせ、護剣ナックルガードの表面で弾き上げる。


 武器を跳ね上げられ、今度はシドの正面ががら空きとなる。だが――弾かれた剣の軌道を、腕力と膂力 の力ずくで捻じ伏せて。


 シドは返す刀で、真っ向から斬り落とす。


「はぁっ!」


「む――」


 サイドステップで剣閃の軌道から逃れたルシウスは、シドの刃が中空で停止したのを――仮にルシウスが回避できなければ、髪に触れる寸前の位置で止まっていた様を見た。


 直後、地面を蹴って大きく後退する。

 正眼に構え直すシドと向かい合い――やがて、その切っ先を下ろした。


「――立ち合いに感謝を。勝手を言うが、今日はここまでということにさせてくれ」


「いいのか?」


「ああ」


 ルシウスは頷く。


「あんたの体に当てないつもりで立ち会っていたが――それがだったとあってはな。此度は俺も、大口が過ぎた」


 そう言うと、ルシウスはレイピアを鞘へおさめる。

 立ち合いはこれで終わり、という、明確な意思表示だった。


 誰かが、深く息を吐く音を聞く。

 しんと静まり返った裏庭で、見守る冒険者達は完全に息を止めて、事のなりゆきを見守っていたようだった。

 あのギーヴという名の、若い冒険者すらも。


 ――ルシウスの決闘は、プライドをへし折られた彼に見せるためのものだった。


 そう見込みをつけたから、シドは彼の申し出に応じた。


 《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》と蔑んだ冒険者に土をつけられたのは、決して自分ギーヴが弱かったからではなく――ルシウス・アウレリウスとも斯様に立ち会える、そんな戦士が相手であったからなのだと。これは、彼に見せるための戦いだった。


(そういうことで……いいんだよな……?)


 我ながら何とも烏滸がましい解釈だと分かってはいるが。負け続けでぼろぼろに落ち込んだ彼を勇気づけるには、いい契機になるだろう。

 だからこそ、シドは最低限、無様な負けを晒す真似だけはできなかった。


「さて……亭主オヤジ。腕試しとしては、もうとっくに十分だろう」


「へっ?」


 声をかけられた宿の亭主が、びくりと身を強張らせる。


「俺達、《双獅子レオスの旗》はこの宿の看板だ。彼はその看板の、前衛フロント二人と立ち会って――ギーヴを一蹴し、俺とも互角に渡り合った」


 灰を思わせて低い掠れ声で、ルシウスは言う。


前衛フロントとしては間違いなく一級品だ。たいした掘り出し物だよ」


「あ……ああ。そうか、そうだな……」


 ルシウスの評に、男はぎこちなく頷く。


「分かった。その、シド・バレンス……だったよな? あんた」


「え? ええ、はい……」


 戸惑うシドに、ひどく不器用な笑みを向けながら。宿の亭主は節くれだった手を、握手を求めて差し出した。


「今更と言われれば、なにひとつ返せる言葉もないが――あんたの実力は見せて貰った。《Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド》は、冒険者シド・バレンスを歓迎するよ」


「ありがとうございます。その……」


 差し出されたその手を、友好の証として取りながら。

 だが――この期に及んで、シドは迷っていた。


 魚の骨のように喉元で引っかかる何かを、無視できずにいた。


「こんな俺への受け入れの申し出、心よりありがたく思います。ただ――もう少しだけ、考える時間をいただいてもいいでしょうか」


「え? あ、ああ、それはもちろんだ」


 首振り人形のように、男はこくこくと何度も頷く。


「オレは一度、あんたを追い返した人間だからね。すぐには信用ならんというならそうだろうし、何より、あんたにまだ他の心当たりがあるというなら構わないよ。それは待たせてもらうとも」


「すみません」


 深くこうべを垂れるシドに。

 宿の亭主は「やめてくれよ」と焦り、あたふた手を振った。



 陽が西へ大きく傾き、空が藍に染まり始めた頃。

 シドは《Leaf Stone》へ帰りついた。


 早くも夕食時の客が入り始めている一階を通り過ぎ、階段から二階へ上がると、ラウンジでめいめいクッションに腰を沈めていたフィオレとクロが、ぱっと同時に振り返った。


「おかえりなさい、シド」


「おかえりなのです。シド・バレンス」


「……ただいま」


 へにゃりと笑うシドへ、軽やかな一挙動で立ち上がったフィオレが駆け寄る。


「お疲れさま。今日はどうだった?」


「うん……」


 シドは言葉を選んで考え込み、やがて答えた。


「……一応だけど、入れてもらえそうな宿の心当たりが見つかったよ」


「ほんとに!?」


 シドの報告に、フィオレは頬を上気させ、はしゃいだ声を弾ませる。


「よかったじゃない、シド! おめでとう!――あ、でもそういうことなら、明日からはそっちの宿に移るのよね。《Leaf Stone》のお部屋やご飯とも、これでお別れかぁ」


「ああ、いや。そうじゃないんだ。それはまだちょっと待ってほしくて」


 うきうきと目を輝かせるフィオレを、シドは慌てて止める。


「そこの他にも、心当たり……というか、あって。だから、きちんと行先が定まるまでは、もう少しだけ待ってもらいたいんだ」


 そう言ってフィオレを落ち着かせると、シドの視線は自然とクロへ流れた。


「……クロには、ずっと探索を待ってもらってばかりで。申し訳ないんだけど……」


「クーはいっこうにかまいませんよ。早いに越したことではありませんが、さりとて一刻を争うようなことではないのですし」


「……ありがとう」


 悄然と礼を述べ。

 シドはそのまま、じっとクロを見てしまう。


「何か?」


「いや――」


 シドは、振り切るように首を横に振る。

 こちらの心を見るクロに対しては、既に完全な手遅れではあるだろうが。


「何でもない。忘れてくれ」


「そうですか」


「うん」


 ――あるいは彼女は、既にそのすべてを知っているのかもしれない。

 事の全容と、求められる答えを。

 だが、


「まだ、もう少しだけ、俺一人でやってみるよ」


「わかりました。では、あなたが必要と判断したなら、その時には」


 そう言って、クロはもう一度頷き、それ以上を口にしなかった。


 一人、蚊帳の外となったフィオレだけが、ほっそりと形のいい眉を、怪訝にひそめていた。

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