178.紹介状は効果抜群でした。いいのか、こんな簡単に話が進んじゃって――と思っていたのですが。


 サティアに貰った紹介状を手に、その足で《Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド》へ向かい――正しく言えば、引き返して。


 再びその扉をくぐった時、シドを迎えたのは「何しに来たの」と言わんばかりにうんざりとした、宿の亭主の倦厭けんえんの眼差しだった。

 それだけで、シドはたいへん身の置き所がないというか、申し訳ない心地になる。


「……いや、何しに戻ってきたの、あんた」


 口でも言われた。いっそういたたまれない。


「うちじゃ無理だって、さっきさんざん言ったよね? それとも何? なんか忘れ物でもしたの?」


「仰ることは至極ごもっともなんですが、実はその……先ほど、こちら宛の紹介状を貰ったもので」


「紹介状って……」


 宿の亭主の顔には、「何だそりゃ」と訝る気配が露わだった。

 気持ちは分かる。シドも似たような心地ではあった。


 だが、カウンターへ歩いていったシドが紹介状を手渡して。封筒に記された名前を見た途端。


 ――男の顔色が一変した。


 うんざりとしかめていた顔が、まるで背筋に氷でも当てたようにすぅっと色をなくして、凍りいたように強張る。


「あんた……この子の何?」


「この子?」


「だから、この手紙の。サティアちゃ――サティア・イゼットだよ。あんた、この子とどういう関係なんだい」


 どう、と言われても。

 表情を引きつらせて問い詰める男の態度にいっそう困惑の度を深めながら、シドはたどたどしく答える。


「知り合い、ですけど……前にちょっと、オルランドまで来るときに同道したことがあって」


 経緯としてはもう少し複雑だが、そこはまるめておく。男の態度を見て、迂闊に仔細を喋らない方がいいのではないかと警戒したのもある。


 そうしたこちらの内心を知ってか知らずか、男は不信感たっぷりにシドをじろじろ見遣っていたが――それではらちが明かないと見てか、おぼつかない手つきで封筒を開け、中身を引っ張り出した。

 三つ折りに折りたたんだ手紙を開き、記された文面に目を走らせていく。


 やがて、男はあらためて、検分するようにじろりとシドを見遣った。


「ここに書いてあること、ほんとなの? あんた、竜人ドラゴニュートの匪賊を追い払ったとか書いてあんだけど」


「俺は手紙の中身を読んでないので、何とも言えないんですが……たぶん、大筋で嘘は書いてないんじゃないかと」


 ありがたいことに、サティアはシドを――少なくとも、戦士としての実力に関しては――高く買ってくれているようだった。そのうえで話を盛るまでは、まずしていないだろうと思う。

 ただ、


「ええと、一応というか……俺にもそれの中身、見せてもらってもいいですか? 何が書いてあるのか、念のため」


「いや、いい! わかったよ、嘘じゃないってんならそれでいいんだ――じゃあ、ひとまずここに書いてあることは、信用しておくよ」


 宿の亭主は慌てて手紙を折りたたみ、そそくさと懐へしまった。


「ただ――なんだ、その。本当にそんな実力があるのか、きちんと見ておかないことにはね。念のためっていうか」


 信じると言った矢先に、疑り深い話である。矛盾してはいないのかと思いかけるが――実際、無理もないことではあるだろう。


 ただ、そう思ったのが、つい顔に出てしまったか。

 宿の亭主は狼狽したように、あたふたと両手を振る。


「違う違う! いや、もちろん俺は信じるよ? でも、この宿の冒険者がさ……あんただってここの所属になったら、これから先はうちでやってくんだから。同じ宿の冒険者達に勘ぐられて、コネだとかフカシだとか揶揄されんのはあんただって気分良くないだろ? そういうときにバシっと言ってやれる、保証ってやつがないと」


 成程。

 確かにその言い分も道理ではある。


 どうやら、宿の亭主とサティアは個人的に知り合い同士――というより、彼の方がサティアに対し、何か借りを作っていそうな雰囲気である。

 しかし、この宿の冒険者にとってはそんな都合など関係ない。事情も何も知らない彼らにとってみれば、確かにシドは依然として、胡乱きわまる《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》なのだ。


 目に見える保証もなしに唯々諾々とシドを在籍させるようなことともなれば、この宿に対する『冒険者からの』信用に、傷を作ることにもなりかねない。場合によっては、依頼を寄越す顧客からの信用にまで類が及ぶ。いずれにせよ宿にとっては一大事だ。


「仰りたいことは理解できます。けど――具体的にはどうするんです?」


「そ、そうだなぁ……」


「こちらの宿の冒険者を相手に腕試しとか、どうですかね? 単純ですけれど」


「むぅ……」


 サティアが言っていたのを思い出して、試しに口にしてみただけだったが。未だ狼狽の気配が拭えない宿の亭主は「そうだなぁ」と唸りつつ、その方針に心が傾きかけていたようだった。

 と――


「帰ったぜー! いやぁ今回もバッチリ儲けちゃったよー、オレ達ー」


 その時、勝手知ったる調子で宿へ入ってきたのは、見るからに冒険者といった風体の六人組だった。


 前衛フロントと思しき装備を身につけた戦士が三人。うち一人が女。

 あとは斥候スカウトらしき長身の女に、炎と戦の神イグナトゥスの聖印を下げた神官らしき男、それから大地と夜明けの女神ウルリカの聖印を下げた、こちらは魔術士らしき小柄な女という編成だった。


「あ……ああ、お帰り、ギーヴ。無事で何よりだよ」


「っへへ、たりめーでしょー? オレのパーティがどこだとおもってんのよー」


 へへん、と鼻を高くしていたのは、真っ先に宿へ入ってきた、戦士らしき若い冒険者だった。


(……んん?)


 はて? とシドは内心で首をかしげる。なんだか、どこかで見た覚えのある若者だった。

 その間に、宿の亭主とカウンターを挟んで向かい合っていたシドに気づいてか、女戦士が眉をひそめる。


親父オヤジさんこそどうしたの? 顔色良くないけど。てか、そこのひと……もしかして、うちに入る新しい冒険者?」


「いや、まあ……うん、そんなところなんだが」


 宿の亭主が曖昧に唸る間に。

 最前の若い冒険者が、「あ」と素っ頓狂な声を上げた。シドを指さし、声を上げる。


「てめ……この前のおっさん!」


 そう喚く声で、シドもぴんと脳内で記憶が繋がった。

 シドが初めて《連盟》支部を訪った時、セルマを食事だか酒だかに誘っていた、水銀階位マーキュリー・クラスに昇格したばかりの若い冒険者。


「そうか、どこかで見た覚えがあると思ったら……きみ、あの時の」


「ちょぉっとー、親父オヤジさぁーん! だーめだよー、こんなおっさん仲間に入れちゃー!」


 ずかずかと大股で歩いてきた若い冒険者――ギーヴと呼ばれていたか――はシドをずいと押しのけて宿の亭主と向かい合い、ばぁんと乱暴にカウンターを叩く。

 ギーヴは、立てた親指でシドを指さし、


「つかさー、このおっさん《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》だよー!? こんなん入れたら宿の評判に関わっちゃうよー。ぶっちゃけ、オレらの評判にも関わるっていうかさー、勘弁してほしいんだよねー!?」


「わかってる。わかってるよギーヴ……ただ、ちょっと事情があってなぁ」


「は? 事情って何よ――もしかしておっさん、亭主オヤジの弱みでも握っちゃってる訳ぇ? よくないねー、そういうの使って脅迫とかさー!」


「ちょっと待ってくれ、誤解だ!」


 じろりと下から睨み上げるようにガンを飛ばして威嚇してくる冒険者。シドはぎょっとしながら、手を振って否定する。なんだか今日はこんなことばかりしている気がした。

 宿の亭主も、慌てて止めに入る。


「違うんだギーヴ、落ち着いてくれ。こちらの彼の言うとおり、誤解だ。そういうんじゃなくてな、その……紹介状があるんだよ」


「は? ショーカイジョー?」


「そうだ。うちの宿に置いてやってくれってね……無碍にできない相手からの頼みなんだ。とはいえお前さんが言うとおり、こちらの彼は《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》だから……」


 宿の亭主は溜息混じりに唸り、今や一様に不審の目でシドを観ている冒険者達を見渡した。


「……うちの宿へ迎えるにあたって、一度きちんと実力を見ときたいと思ってたとこなんだ。そういう意味じゃ、お前さんがたはいいとこに帰ってきてくれたよ」


「つまり」


 ぼそり、と。

 枯草のように乾いた、そのくせひどく耳に残る男らしい声で話を引き取ったのは、恐らくパーティで最年長であろう、長躯の男だった。


 肩口まで伸ばした波打つ黒髪に、男らしい輪郭の顔立ち。顎髭と口髭を整えた面差しは彫りが深く、貴族的に整った風貌をしていた。

 身につけた金属鎧も、古めかしいつくりではあったが、がっしりした長躯へ沿うように仕立てたつくりは一級のそれである。


 ただ――鎧はつくりの古めかしさ相応に古ぼけて、また彫りの深い面差しにもひどく乾いた疲労の陰りがあった。


「俺達に、彼の力量を計れということか?」


「へぇー?」


 男の言葉に、ギーヴがにんまりと嗜虐的な笑みを広げる。


「いいんじゃねっすかぁ、ルシウスさぁーん。オレぇ、ルシウスさんがいいって言ってくれたらやりますよー、このおっさんの実力見んのー!」


 ニヤニヤしながら、若い冒険者はシドの胸をどんと小突く。


「っていうかさー、この前も格下の分際で、ウザい邪魔してくれちゃったしさー……ここらで身の程ってやつ、教えてやるよーおっさーん!」


 若い冒険者は鼻息が荒い。

 なんだか、また変な方向にややこしくなってきた。


「この宿には――いや、このオルランドにはなー! あんたみてーな恥ッッずい冒険者の居場所なんざどこにもねーんだってよー、教えてやんよーオレがさー!!」


 若い冒険者の上げる銅鑼声にげっそりしながら――シドは心の中で辟易の息を零す。


 正直、ちょっと泣きたくなってきた。

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