177.優しくしてもらえるのはありがたいのですが、機序が分からないと戸惑いが先に立ってしまうのってあると思います。



「……いやなにそれ、意味わかんないんだけど」


 水場の縁に並んで腰を下ろして。一通りの事情を、さわり程度に話した後。

 黙ってそれを聞いていたサティアが開口一番で口にしたのが、そのざらりと尖った呻きだった。


 シドは肩を落として縮こまる。返す言葉もない。


「まあ、その……俺の目算がいろいろ甘かったというか、今までの行いが祟っている感じなんだけど」


「じゃなくて」


 ――だが。

 サティアの言葉を尖らせていたのは、シドが思っていたそれとは、異なる理由によるものであるようだった。


「そうじゃなくてさ。何がどうしてそんなことになってんの。おじさん、めちゃくちゃ強いひとなんじゃなかったの?」


 苛々と語気を尖らせ、サティアは詰め寄る。


「船を襲ってきた匪賊だってほとんど一人で返り討ちにしちゃってさ、船員さんだってみんな、そのことは知ってるくらいのやつじゃない。なのにさぁ、どうして冒険者宿の宛から何も決まらないだなんて、そんなハズレたことになってんの!?」


「……何でというなら、これが理由かな」


「これ?」


 シドは困ったような苦笑を広げると、胸元に留めたバッジを指先で叩いて見せた。

 サティアはバッジへ視線を落とし、疑問を露わに眼をしばたたかせる。


「うわ、ヤバ……なんか、すっごいエグれた傷ついてんね。これが何?」


「サティアは、《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》って知ってる?」


「ううん? 知らない」


 眉をひそめて唇を尖らせ、サティアはあっさりと首を横に振った。


「聞いたことないけど……それって、字義通りの意味じゃないんだよね?」


「……そうだね」


 シドは頷き、かいつまんでその意味するところを説明する。

 話を聞くにつれ――サティアの表情は、みるみるその剣呑さを増していった。


「え……じゃあ、何? そのバッジのせいでなんもかんも上手くいってないって、そういうこと?」


「正確に言うならちょっと違うんだけど……まあ、おおむねそんな感じで」


「呪いのアイテムじゃん!」


 喚いた。


「いや、駄目じゃんそれ! 捨てちゃいなよそんなの今すぐ! 何でそんなの後生大事につけてんの!?」


「後生大事に――ってこともないんだけど。ただ、今更バッジだけ換えたところでね。俺が《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》の冒険者だっていうのはだいぶん知られちゃってるだろうから」


「だからって――ああ、もう!」


 苛々と、口早に並べ立てて。

 サティアは唐突に、シドの手首を掴んでぐいと目の高さまで持ち上げた。


「この手!」


「手?」


 いきなり手を握られて、訳が分からず目を白黒させるシド。

 途端、今になって自分の言動に気づいて衒いを覚えでもしたように、サティアは舌打ちした。うっすら頬を赤くしながら、声を大きくする。


「おじさん強いんでしょ!? なら、その場で道場破りでも腕試しでもなんでもやってみせてさ、そいつら全員腕っぷしで黙らせてやりゃよかったじゃない! そしたらバッジがどうとか、そんなのだって一発で蹴散らせたでしょ!? なのに――何でそんなのも思いつかないで、すごすご戻ってきてんのさ! やる気ないの!?」


「……ごめんなさい」


 心底しょんぼりして、しおしおとこうべを垂れる。

 いい歳した男がこんな若い女の子に叱られているなんて情けない限りだったが、まったくもって返す言葉がない。


「でも、その、何ていうか……まだ、当てが全部だめだった訳じゃないし。この辺だけでもあと一軒、まだ行ってないところがあって」


「ほんとに? でもさ、今のおじさんみたいな調子じゃ、この後どこ行ったってたいして結果変わんないと思うけど」


 棘のある指摘に、「うぐ」と呻くシド。

 今のは結構キツい刺さり方だった。


「そ、それは……確かに、そうかもしれないけど。でも、ほら、行ってみなきゃ分からないしさ」


「だといいね……で、何てとこ?」


「何……って。ああ、宿の名前かい? それなら、ええと……」


 シドはセルマから貰った宿のリスト――折りたたんでポケットにしまっていた紙片を取り出して開く。



「《忘れじの我が家》亭、ってとこなんだけど」



 ――その瞬間。


 もしサティアの美貌に浮かんだその表情を見ていたなら、シドはぎょっと目を剥き、彼女にその理由を問い質していたかもしれなかった。


 まるで胸を衝かれたかのように、硬く強張っていた。

 凍り付いたように強張ったその面差しからは、若者らしい生意気さも、年頃の娘らしい向こうっ気も、吹き払われたように失せていた。


 これまでシドが見てきたそれらが、まるで何もかも幻だったとでもいうように――サティアの美貌にあったのは、深いうろのように冷えた空隙だった。

 だが、


「――それは残念でした。その宿、今はやってないよ?」


 その凍り付いたような茫漠が広がったのは、ほんの一瞬のことで。

 シドがリストから顔を上げた時にはいつも通りの、向こうっ気が強そうな笑顔を広げて。サティアはあっさりと言った。


「え?」


「何があったか知んないけどさ、そこはだいぶん前から閉めちゃってんの。だから、今は行っても無駄足だよ?」


「そ、そうなんだ……知らなかったよ」


 シドは面食らう。それは、あっさりと放言するサティアの物言いの裡に――どうしてか、鋭い『棘』のようなものを感じたせいだったが。


「でも、《連盟》で貰ったリストには、こうしてちゃんと名前が載ってるんだけどな」


 リストは、《連盟》に登録された一覧に、セルマが独自に捕捉を書き入れてくれたものだった。

 《連盟》が独自に警戒している宿や、冒険者宿として信用の置けない宿に関しては、都度その旨の記載がなされている。


 《忘れじの我が家》亭に関しては、そうした主旨の記載はない。

 少なくとも――《連盟》の側から見る限りにおいて、ここは宿だと見做されているということだ。


 ただ、ひとつ気がかりというべき点は――


「よぉし、わかった」


 サティアはヤレヤレとばかりにため息をつくと、赤みがかった金髪をわざとらしく掻き毟る。


「要はさ、この辺の宿はこれで全滅ってことでしょ? なら、ここで会ったのも何かの縁だしさ。功徳と思って、ここはあたしがおじさんの力になったげる」


「きみが?」


「ぁによその顔。あたし、そんなおかしなこと言ってる?」


「おかしくはないけれど……」


 呻くシドに、サティアはふんと鼻を鳴らしてふんぞり返る。


「前の時に全部もらった宝石さ、あれ結構高価たかく売れたんだよね。おかげで今は懐あったかくて、気持ちにも余裕があんの」


「そうなんだ……よかったね、おめでとう」


「いや、おめでとうじゃなくて」


 戸惑いながらも祝うシドを、サティアはたしなめる調子で一蹴する。


「でさ。言っちゃなんだけど、後から振り返るといくらなんでも貰いすぎってくらいだからさ。あとで恩を着せられんのも面倒だし、ここいらでちょっと借りを返しとこうかなって」


「着せないよ、そんな。恩なんて」


「はいはい、そういうの訊いてないからね。おじさんはちょっと黙ってて」


 ぴしゃりとシドを黙らせると、サティアは肩掛け鞄の中から紙束――手紙の束のようだった――を取り出し、すらすらとペンを走らせはじめた。

 やがて一番上の一枚を取って三つ折りにすると、署名を入れた封筒におさめてずいとシドへ突き出した。


「はい。これ」


「これは……?」


「紹介状」


 ほとんどされるがままで封筒を受け取るシドに、サティアは言う。


「一本向こうの通りで、『Adventurer's INN 灰犬グレイハウンド』って看板出してる――って、もうこの辺の宿まわったんなら知ってるよね? そこ行って、これを宿の亭主に見せて。そしたらおじさんのこと、そこで引き受けてもらえると思うから」


 そこまで言ったところで。

 サティアは不意に、表情を歪めて、


「宿の亭主が、よっぽど恩知らずのクソ野郎じゃなかったら――だけどね」


「サティア――」


 ひどくざらりとした、茨のように刺々しい揶揄と皮肉の気配。


 さっきから、ひどく胸がざわつく。これまで自然と彼女に抱いていた印象からは、はるかにかけ離れた昏い鋭利さに、シドは困惑していた。


「どうしたんだ、きみ。今日はなんだか、随分」


「とにかく、そういう訳だから! それ持って、今から行ってらっしゃい。行ったんならちゃんと知ってると思うけど、そこ割と評判いいとこだからね」


 言いながら、サティアは上着のポケットから懐中時計を引っ張り出した。

 蓋を開け、文字盤を見下ろし、それからあらためて続ける。


「今すぐだよ? あたし、明日の同じ時間にまたここで待ってるからさ。そん時に今日の成果どうだったか教えて。紹介状でダメだったら、今度はあたしが直接言って話つけたげるし」


「ちょっと――いや、待ってくれサティア。何もそこまでしてくれなくても」


「いいから」


 あまりに性急な話の流れに戸惑うシドの遠慮を、一言でばっさりと払って。

 サティアはひどく平坦な目で、我知らず腰を上げていたシドを見上げる。


「――あれだよ、ほら。あたしが個人的にアレだってだけだから」


「……………………」


「ああ、その代わりさ。あたしの紹介でうまいこといったら、オルランドまでの護衛代ケチったのと、あと宝石の件は差し引きチャラでよろしく。いいよね?」


「それは、もちろん。構わないけれど」


 というより、もとよりその辺りは、今の今まで気にしたことすらなかったが。

 そもそも、サティアの口から言われるまで完全に忘れていたが。


 正味、あれからいろいろありすぎて、それどころではなかったというのもある。


「メンドーがらないで、今日のうちにちゃんと行きなよ。使える伝手もコネもないってことなら、仕事はアシで稼ぐしかないんだから」


 サティアは「じゃ」と軽く手を振って、さっさとその場を後にしてしまう。


 取りつく島のない、ひどく頑なに映るその背中に――声をかけることすら躊躇われて。


 シドは、彼女が残した紹介状を手にしたまま。

 早足に駆け去ってゆく背中を、ただただ見送るしかできなかった。

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