170.そして、ひとつの幕引き。その終わりに。
――翌朝。
早朝。開門を間近に控えたオルランド市の正門である。
南オルランドへ向かうべく手配した馬車へと乗り込んでいた《軌道猟兵団》は、自分達のもとへ向かってくるひとりの冒険者の姿に気づき、乗り込もうとするその足を止めてめいめいにそちらへと向き直った。
パーティを代表する形で、ジム・ドートレスが前に出る。
「この朝早くに、わざわざ我々の見送りとは――何とも律儀な方ですね、シド・バレンス」
ひとりごちるようにそう零す面には、いくぶんかの呆れを含んだ、力のない笑みが浮いていた。
シドは脚を止めてジムと向き合いながら、居心地悪く苦笑を広げる。
「礼儀――というより、けじめのつもりでね。あなた方からすれば、却って腹立たしさが増すばかりかもしれないけれど」
「貴方に比べれば若造の類ですが、そこまで狭量ではないつもりですよ」
とはいえ――と。ジムはかぶりを振り、大袈裟に肩をすくめた。
「貴方のおかげで、我々の目的とするところは御破算となりました。かくて我々は何らの成果も得ることなく、オルランドから退去せざるを得なくなった」
《軌道猟兵団》が《翡翠の鱗》部族の戦士達へ働いた所業は、それがひとたび表沙汰となれば、獣人達の王国たる《月夜の森》が定める法の裁きは免れない。そして、《月夜の森》との間に協定を結んでいるトラキア州――その都市たるオルランドの執政府は、ひとたび約定に基づく《月夜の森》からの要請があった場合、これに応じる義務を持つ。
それが留保されているのは、当の《翡翠の鱗》部族が、あるいは《月夜の森》そのものが、奪われた秘宝――《箱》の一件を秘密裏に伏せているという、それだけの理由に過ぎない。
一方で、それを表沙汰とすることは、
故に、一連の所業が公にされる可能性は決して高くはなかったが――それでも身の安全を図るのなら、これ以上オルランドに長居はできない。
――というより、事が上首尾に終わった暁には、彼らにとってこのオルランドは、どのみち用のない土地となっていたのだろう。
「……あなた方には、すまないと思っている」
《キュマイラ・Ⅳ》を退けるにあたっては、共闘した間柄。
のみならず、クロの解呪に至る一連の経緯は、彼らの存在と一連の行動なくしては起き得なかったものだ。
そうした状況のもつれは、彼らに対するシドの感情を否応なく複雑なものへと組み上げていた。
零れてしまった謝罪は、そうした複雑さの吐露でもあったが――ジム・ドートレスはそれに対し、首を横に振った。
「事ここに及んで、詫びるべきことなどないでしょう。《キュマイラ・Ⅳ》との戦いはお互い行きがかり同士。オルランドからの退去は織り込み済みの状況です」
ジムは言った。
「無論、《真人》の少女をイズウェルへ連れ帰ることが能わなかったのばかりは、無念でなりませんが――それも、やむなき仕儀というものです。我々は冒険者であり、その道程は成功ばかりに彩られたものではあり得ない」
「……随分、あっさりと手を引くんだね」
「すべての道が、断たれた訳ではありませんからね」
《軌道猟兵団》が今日の朝にオルランドを離れることは、支部長との会談で聞き知った話のひとつだった。
クロを諦めての帰還を選んだ彼らの潔さは、シドからすれば意外と言わざるを得ないものだったのだが――対するジム・ドートレスはといえば、何ともさっぱりしたものだった。
「つまるところ、オルランドを巡る一連の状況が解決を見た暁には。彼女は心置きなくこの街を離れ、自由にこれからの道を選ぶことが叶う。我らが悲願たる《真人》種族との対話は、然る後であったとしても、決して遅くはないでしょう」
「こう言っては難だけど、その認識に見落としはないのかい?……たとえば、彼女があなた方が望むように、いにしえの魔法文明時代を知っているとは限らないように思うけれど」
――と、いうより。シドは明言を避けたが、その可能性はまずありえないものだ。
クロは自分を十三周期――シド達の表現で言い換えるなら、十三歳だと言っていた。呪詛によって『時間』を奪われていた五百年あまりは勘定の外だとしても、《真人》達の時代として語られる、はるかいにしえに生きていたはずがないのだ。
「無論、その可能性も織り込んでいますとも。だとしても、《
そして、あるいはその対話を経て、さらに多くを知る契機に至るかもしれない。
「イズウェルのリアルド研究室には、《真人》時代の文献が多数収蔵されています。言うまでもなく、その中には《
「協力してくれると、いうことかい?」
「そのご理解で結構。言わばそれは我らの大願、その成就のためでもありますから」
驚くシドに、ジムは昨日のしおれっぷりが嘘のような饒舌で宣言する。
朗々と語る彼は、どうやら僅か一晩ですっかり立ち直ってしまったらしい。シドからすれば信じがたい回復の速さだ。
他にどうしようもなく、感嘆混じりの乾いた笑いが零れてしまう。
「――もっとも、イズウェルへ帰るのはそればかりが目的ではありませんがね。我々はあちらの《連盟》に伝手と情報網を持ち、何を調べるにしてもここよりはずっと都合がいい」
「……《
「ええ」
ジムは頷いた。
「今にして振り返れば、あのロクスタなる獣人種も、《
「俺なんかに言われるまでもないだろうけれど……気を付けて」
「まさしく。言われるまでもないことです」
クロの言うとおりなら、《
「何か新しく分かったら、またラズカイエンにも知らせてあげてもらえるかい?」
昨日の、一連の会談の後。彼らはラズカイエンに対し、《
だが、ジムは難しい思案顔をして、つるりとした顎をてのひらで撫でる。
「生憎ながら、かの
事実であった。
ラズカイエンは《
シドがそれを知った時にはもうラズカイエンはとうにオルランドを去った後で。今この時にそうしているような、出立の見送りすらできなかった。
ひとまずは、取り戻した《箱》を持って、部族の里へと帰るのだろうが。
その後も彼が《
「それでも……もしお望みとあれば、貴方宛の手紙なりで情報はお預けしますが?」
後の扱いは委ねる、ということだ。
シドはほっと口の端を緩め、「ああ」とひとつ頷いた。
「ありがとう。そうしてもらえると助かるよ」
「……《
途方もない、とぼやくように。ジム・ドートレスははるか高くそびえる《
「それはこの五百年の間、誰一人『それ』と見出すことのかなわなかった探索です。真実それが存在するとしても、果たしてそれは、我らの手の届く場所にあるものか」
「そうは言うけど、まあ……だとしても、今までの人達よりはずっと見つけやすいだろうと思うよ。クロが一緒だし」
「成程。それは確かに」
どこにあるかは分からずとも、『ある』ことだけは確かなのだ。
そうと分かっていれば、それを見落とすことなく探し出すこともできるだろう。
「それに、問題の場所を探している間に、何か他の手立てだって見つかるかもしれないしね。何とかなるよ」
「首尾よく事が運ぶよう、
――と。
不意にジム・ドートレスは笑みを消し、困惑するシドを真っ直ぐに見据えた。
「そして、然るべき時が来たならば。この身が預かる偽りの栄誉――真実と換えて貴方へお返ししましょう。シド・バレンス」
「え? いや……それは」
《キュマイラ・Ⅳ》撃退の事実は伏せられた。
現れたのは自在に姿を変える《シェイプシフター》なる幻獣だったということになり、その討伐は《軌道猟兵団》が果たしたこととなった。
その討伐は彼らの功績として記される運びとなり――今や彼らの胸にある
――だが、
「お仕着せの
「ええと、それは……なんていうか、さすがに大袈裟なんじゃないかと思うけど」
大仰な物言いにたまりかね、そう引いてしまうシドに。ジムは拍子抜けしたように目を丸くし、やがて肩の力を抜いたようだった。
ちょうどその時になって、高らかなラッパの音が響き渡った。
正門の開門を告げる、朝のラッパだった。
「我々は偽りの栄誉を返上し、そして、心よりの希求たる過去との対話へと至る。我らが真実の望みのためなれば、貴方に対する助力も惜しむつもりはない――そのことばかりは、どうかお忘れなきように」
それで、話は終わりというように。ジムは後ろに下がり、「では」と踵を返した。
冒険者達が乗り込むと、馬車は周りが動き出すのに合わせて、ゆるやかにその車輪を転がし始めた。
その姿が遠ざかってゆくのを見送り、シドは大きく息をついた。
「……疲れた」
朝からどっと疲れた。朝が早かったからと端から諦めていたのだが、せめて朝食くらい食べてくればよかっただろうか――そうしていたら、もう少しくらいは毅然として、彼らに対しても向かい合えていただろうか。
(……ラズカイエンとも、ちゃんとお別れの挨拶をしておきたかったけれど)
あるいは彼からすれば、『人間』とのしみったれた挨拶など御免こうむるということなのかもしれない。だとしても致し方ない――彼には彼の、
去っていった人々。
あるいは、去らせてしまったかもしれない人々のことを、ぼんやりと脳裏で引きずりながら。
シドは踵を返し、《Leaf Stone》へ続く道を引き返していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます