169.ひとつの幕引きとその先の話:ひとつの幕引きは、また次なる幕開けを迎えるために/《来訪者》――あるいは『彼女達』の話


 彼女がふわりとその姿を現したのは、オルランドから大きく離れた南方――南オルランドの桟橋だった。

 フードをかぶり、陶製の仮面をつける。


 そうして顔も姿も隠して、彼女は――ルヴィスエーザは、仮面の内側でようやく深い息をつくことができた。


「…………わからずやめ」


 まったく、冗談じゃない。やってられない。仮面とフードを取って顔を晒したのは、『友達』に対する敬意と親愛のつもりだったというのに。


 幼少期の《宝種オーブ》は、両親をその柱とする小規模な家族単位で育つ。他種族の子供と交わる《宝種オーブ》は限られ、同胞と交わる《宝種オーブ》もまた限られる。


 心が繋がる――『心を読んでしまう』という《祝福》のためだ。


 その正しい扱い方を知り、読んだ心を不用意な形で吐露しない慎重さを備えるに至って、《宝種オーブ》の子供は初めて家族以外との交流を持つに至る。


 少なくとも、はるかいにしえの時代には――《宝種オーブ》という種は、そうしたサイクルの中で子を育んでいたのだそうだ。


 《箱舟アーク》の中では、必ずしもそうではなかったが。


 『他者』と交わらずにいつづけられるほど、《箱舟アーク》が広くはなかった頃があった。そうした時代を経て、妥協せざるを得なかったいくつかのものごと。そのひとつ。


 それをそのままやむなしと受け容れ、あるいは良き変化として残し続けるか。再びそれが叶う時代の訪れを待って、いにしえの時代の正道へ回帰せんと試みるか。

 煎じ詰めれば、《宝種オーブ》という種に起きたのは、そのいずれかの選択だった。


 ただ、後者を選んで子を育てたとしても、やはり『例外』というものは起こり得る。

 そして、クロにとっての『例外』が、他ならぬ自分――ルヴィスエーザだったということ。


「それは、あの頃キミと友達になれたのは、ボクの心が読めないせいではあったろうけどさ……それにしたって、ちょっとくらいボクの心を推し量ってくれてもよさそうなものじゃないか? キミは『寄添う宝石』だろうに」


 心を読めない相手には、寄り添うつもりもないということか。

 だとしたら――まったく、つくづく友達甲斐のない話じゃないか。


 『未来視』の選択に導かれた結果の友情であったとしても、キミとボクとが友達だったのは――決して、間違いないことだろうに。


「る…………ルヴィスエー、ザ……」


 呼びかける声を受けて、振り返る。

 そこにはルヴィと同じ外套を羽織った一人の娘がいた。フードと仮面を外した格好で、陰気な顔がじとりとこちらを睨んでいた。


 骨っぽく痩せていて、背もあまり高くない。その背格好がルヴィと近く、目線が合うところが好ましい――見上げるのでも見下ろすのでもない、この高さがちょうどいい。


 褐色の髪の間から、猫のような耳が一対、ひょんと生えている。ただ、それを別とすれば、娘の姿かたちは現在における『人類』――それそのものの姿をしている。

 見た目の年頃は、人間種族でいうところの十代かそこら――ルヴィとさほど変わらなかったが、深い隈の浮いた目元や、肉の削げた輪郭、潤いを欠いてぱさぱさした髪質のせいで、少女の年頃にもかかわらず、ひどく年嵩のように見えた。


 一見すると獣人種の一種たる猫人のようだが、彼女はそうではない。

 外套の肩にちょこんと乗った、角を生やした栗鼠リスのような生き物が、その証左である。


「やあ、ロクスタ。今回は助かったよ――キミの《使令持て疾る栗鼠ラタトスク》、貸してくれてありがとう」


「……べつに」


 隈が浮いて、陰のある面相そのものみたいな暗い声が、ぼそりと唸る。


 ――《獣種ビースト


 はるかいにしえにこの世界を去ったとされる、《真人》種族の一柱ひとつ――神々が残した呪いによって、その『心臓』を奪われた獣。


「ち、っ……ちち、ちゃんと、上手く……やれ……た……?」


「もちろん。おかげでボクの――いや、寿命は四千年も伸びた」


 ぼそぼそと陰気な声を絞り出すロクスタに、ルヴィは明るく応じた。そして、ふと何かに思い至ったように、「ああ」と両手を打ち合わせ、


「と言っても、今さっきに三十年分ばかり減っちゃったみたいなんだけどね。いやあ参った参った」


「…………っ!」


「まあまあ、そう慌てないで。いつものことでしょ? 今くらいに余裕があれば、そうそう簡単に枯渇はしないよ」


 ――世界はクソだ。クソみたいに残酷で冷酷で、おまけに一方的で理不尽だ。


 ルヴィが苦労してせっかく伸ばした残り時間を、世界は理由ひとつ示すことなしにどんどん毟り取っていく。羊の毛を刈り取るみたいに。


 《箱舟》を飛び出して、初めて四百年ぶんの時間を伸ばしたあの時――それからたったの半周期で残り時間を百周期も擦り減らしてしまった頃は、刻一刻と迫る自分の『終わり』に発狂してしまいそうだった。


 あの頃の自分はきっと、今の彼女ロクスタみたいな顔をしていたのに違いない。落ちつかなげにぎょろつく目を方々にさ迷わせ、肉食の獣を思わせる鋭い前歯でがりがりと親指の爪を噛んでいる。


「大丈夫。すぐに次の手順タスクも始まる。今しがたに減った分だって、すぐに取り戻せるよ」


 きつく唇を引き結んで、ロクスタは押し黙る。

 落ち着かなげに足を踏み鳴らす彼女の口の端が戦慄く様を見て取って、ルヴィはいっそう笑みを深くする。


「心配かい?」


「……………………!」


「まあ、仕方ないよね。なんたって、ボクの心臓にのが今のキミだ――自分の『終わり』に関わることだからね、びくびくしてしまうのも無理はないさ」


 どきりとしたように跳ねて、おたつくロクスタ。

 何か言おうと口を開閉させながら、結局「あ」とか「う」とか言葉にならない呻きしか出てこない彼女を見ているうち――ルヴィは自分の面に、心からの微笑みが広がってゆくのを感じた。


「ああ、どうかそんな泣きそうな顔しないで? ボク達は運命共同体なんだから――今回の手順タスクは、キミの協力なしには攻略クリアできなかった。キミにはほんとうに感謝してるんだ、ロクスタ」


「ほ……ほほほほんと? ほほ、ほんと、に……?」


「誓って。本当に、さ。キミの協力に心から感謝している。ボクは必ず、キミに報いると約束するよ」


 両手を広げて歩み寄り。

 びくびくと震える娘の頭を両手で抱え、その身体を胸の中へと抱きしめてやる。


「ぁ……ぁああ、あたし、死にたくない……ルヴィスエーザ、あたし……きき、消え……たくな、なぃぃ……!」


「大丈夫、ボク達は生きる――ボク達で生き残るって、そう約束しただろう? その証に、心臓だってキミに預けた」


 ロクスタの手を取って、彼女自身の胸へと運んでやる。

 胸の中心に触れたてのひらには、今もとくとくと脈打つ、心臓の鼓動が感じられているはずだ。


「ぅ……ぅひ、ぅぃひひひひ……ぇへへ……!」


 いっぱいに口の端を歪めて笑うロクスタ。その気配を、腕の中に感じた。


「うひ、ぃひひひひ……! し、しし心臓っ。あぁああたしの、ルヴィの、心臓っ……心臓っ、心臓の、鼓動っ! あたし、のっ……ルヴィの、ああぁぁ、あたしのぉ……っ!」


「そう。この鼓動は今やキミのものだ。キミが『呪詛』から逃れるその日まで、その心臓が――ボクの心臓が、キミを生かし続けてゆくだろう」


 母が我が子へそうするように。艶を欠いてぱさぱさした少女の髪を、ルヴィはいとおしむように撫でてやる。

 腕の中の震えがおさまるのを待ってから、ルヴィはその体を離した。


「だから安心して? またいつものように――いいね?」


「ぅ、うん。待ってる……る、ルヴィの指示、待ってる。から。ぅひひへへ」


「いい子だね、ロクスタ。かわいいよ」


 ロクスタの肩に載った《使令持て疾る栗鼠ラタトスク》を自分のてのひらへ移して、ルヴィは踵を返した。

 ととっ、と素早く外套を蹴って、角つきの栗鼠はルヴィの肩まで駆け上がる。


 一人で残されたロクスタは、こみ上げる喜びに耐えられないとでもいうように、その場で軽やかに足を踏み鳴らし、引き攣れた笑い声を立てていた。


 ルヴィが一人で港の路地へ向かうと――その奥で、ちいさな影を見つけた。


 人間の子供――男の子だった。一目で貧しい下層民と分かる薄汚れた格好で、倉庫の壁に背中をよせて――この世の終わりのように、膝を抱えていた。


「どうしたの?」


 子供はびくりと顔を上げた。


「こんなところに一人でいたら危ないよ。うちには帰らないの?」


「ぁ……お、おれ……」


 フードの内側に仮面をかぶって顔を隠したあやしげな風体と、その奥から響く優しげな声の響きとの落差で、男の子は混乱していたようだったが。


「か、母ちゃんが……病気で。薬、買いたくて。でも、金が足りないって」


「そう、それはかわいそうに……ところで、そのお金はどこに? 見たところ、キミは手ぶらみたいだけれど」


 粗末なズボンには、ポケットひとつない。

 シャツ一枚とズボン、ぼろけた靴という彼の格好に、お金を隠せるような場所は見当たらない。


「……大人に取られた」


 呻く声に、涙の湿りが滲む。

 その時のことを思い出してだろう。泣き出す寸前の、ひゅっと細い息遣いが、狭い路地を笛の音のように渡った。


「それは大変だったね」


 そんな彼の傍らで。ルヴィは片膝をついた。

 抱えた膝の間に顔を埋めて泣き顔を隠す子供の髪を、優しく撫でてやる。ロクスタより柔らかく、ロクスタよりも汚れた、ロクスタより手触りのいい、子供の髪を。


「よし――なら、ボクがキミのお母さんを診てあげよう。ボクは医者だ!」


「っ……!?」


 涙にぬれた顔が、勢いよく跳ね上がる。

 一縷の希望を見出した喜びと、あまりの都合のよさを疑う困惑とが、幼い丸顔の上で混沌とした斑を作っていた。


「ほ……ほんとうに? あ、でもっ、うちはお金が」


「大丈夫! お金なんていらないよ。キミが信用してくれたらそれでいい――お母さんの病気、ボクに診させてくれる?」


 子供はなおも逡巡し、躊躇っていたようだったが――やがてルヴィを見上げ、大きく頷いた。


「よーし、決まりだ。じゃ、キミの家まで案内して?」


「うん! あ、あのっ、こっち!」


 急に元気を取り戻し、ヒバリみたいな軽やかさで駆けだす少年の後に続いて、ルヴィは路地を進む。


 世界はクソだ。横暴で、残忍で、ルヴィが懸命にがんばって集めたものを、集めた端から無慈悲に奪っていこうとする。


 けれど――


(――この子の母親を治してやれば、それだけで七百年も『終わり』が延びる)


 ついつい、笑い出してしまいそうになる。


 世界はクソみたいな理不尽ばかりだけど、たまにこういう素敵なご褒美がある。こういう楽しいことがあるからこそ、ルヴィは腐らず毎日をがんばっていられる。


 ちょっと弱った人間種族を治してやることくらい、《龍種リヴァイアサン》の手にかかれば造作もないことだ。治る未来は確定している。自分はただ、そのための手順をなぞっていればいい。


(七百年の稼ぎだ――こんな、半日もかからない楽ちんの手順タスクで!)


 二年近くの手間暇かけて、四千年の稼ぎだったジム・ドートレス達の一件がマズくて仕方ないくらいに思えてしまいそうな、最高においしい未来の分岐!


 そう。頑張って誠実に生きていれば、必ずいいことがある。

 クソみたいに理不尽でも、それでも世界は、そういう風にできている!


(ああ――)


 未来の分岐が、こういう素敵な手順タスクばかりだったらいいのに。

 そしたら自分だって、もっともっと、楽しく優雅に生きてゆけるのに――!


 心の中でだけ、愚痴と喜びがないまぜになった快哉を上げながら。


 ルヴィは鼻歌でも歌いたい心地で、転がるように前を行く子供の後を追っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る