168.ひとつの幕引きとその先の話:「おまえを許さない」と、少女は言った/クロ③


「………………っ!」


「おっと。妙なことはしない方がいい」


 一歩、前へ踏み出したクロを。ルヴィは、ぱっと手を翳して制した。


「何をする気か知らないけれど、あまり強い力は使わない方がいいと思うよ? ね」


「何を――!」


「あれ、もしかして知らなかったのかい? 相変わらず危なっかしいなぁ、クロは――そんなんじゃ、またすぐに『呪い』に捕まってしまうよ」


 ひゅっ、と胸の奥が縮み上がる。

 肌に触れる空気の温度が、一気に氷点下まで落ち込んだようにすら錯覚する。


 そんなクロの反応に満足したとでも言うように、ルヴィは満面の笑顔でうんうんと頷く。


「いい子だね、クロ。キミのそういう素直なところ、ボクは好きだよ――だから『友達』として、これからのためにたいせつなことを教えてあげる。せっかくこうして呪詛から逃れたキミが、何も知れないままに『終わって』しまうなんて、そんな未来はあんまりだものね」


 あやすように甘い声を聞きながら、クロは歯噛みする。


 悔しかった。屈辱だった――なのに、その言葉の続きを喉から手が出るほどに求めて、焦燥に狂いそうな自分の存在を、自覚してもいる。涙が滲むくらい悔しいのに、今にも泣き喚いて懇願してしまいそうなほどに、ルヴィの言葉の続きを欲して焦れている自分がいる。


「力を抑えて、静かにひっそり生きることさ。そうすれば――少なくとも『前』の時よりは、ずっと長く生きていられるだろう」


「力……?」


「ボク達、七柱ななつ真人じんるいが生まれもって与えられた力――神さまの《祝福》だよ」


 息を呑む。

 生まれたときからこの身に備わり、やがて誰もが当たり前のように行使してきた『力』――それは遠い遠い昔に真人じんるいが享けた、神さまからの《祝福》。


 遠い遠い昔。

 神々は地上の霊長となった真人じんるいを祝福し、真人じんるいはその祝福の輝きをその身に享けた。


 《天種セライア》は、天地を作り変える権能を。


 《王種ルーラー》は、諸人もろびとを従える力を。


 《貴種ノーブル》は、文明を漸進する英知を。


 《龍種リヴァイアサン》は、未来を見通す瞳を。


 《獣種ビースト》は、万象を記す指先を。


 《翼種セイレン》は、争いを調停する声を。


 《宝種オーブ》は、痛みへ寄り添う心を――


「世界の呪詛は、いつだってボク達を探している。ボク達がこの身に享けた《祝福》の力をしるべに、呪うべきボク達の居場所を探している。

 灯台の灯りを標に夜を進む、船のようにね――呪詛やつらはいつでも、どんな時でも、ボク達のカガヤキを探している」


 まるで、内緒の打ち明け話をするように。

 にんまりと切れ長の眦を細めながら、ルヴィはほっそりとした指先を自身の唇へと宛がった。


「だから、ボク達は息をひそめていなくちゃいけない――その祝福カガヤキが、呪いの目に留まることがないように。岩の下に潜んだ虫みたいにじっと息を殺して、やつらから隠れていなくてはいけない」


 そう言って。龍種の娘はニコリと無邪気に微笑んだ。


「そうしたら、きっと前よりずっと長く無事でいられる。前の時は――たしか、最後の一人が呪われるまでに十二周期だっけ? たぶんだけど、それくらいは生きていられるんじゃないかな」


 内側から心を食い千切る闇の獣のような恐怖が、吐き気がしそうなくらいにきつく胸を締め上げる。


 十二周期

 やはりそれが、クロの終わり。


 否。否だ。あるいはもっと長く、呪いから逃れ続けていられるかもしれない。逆に、もっと早くに捕まってしまうかもしれない――『前』の時、クロは世界の呪いに呪われるまで、たった三周期しかもたなかった。


「『友達』としての忠告だよ、クロ。余計な力は使わず、今の無力な人類種みたいに静かな暮らしを送ることだ。呪いはまたいつかにキミを捕まえるだろうけれど、きっとそれまでの間は、穏やかに幸せに生きられるはずさ――クロは優しいひとに助けてもらったんだろう?」


「……そうですね」


 項垂れ、風に解けるようなか細い声を零す。

 そんなクロの姿に、ルヴィは安堵したというように穏やかな笑顔で頷き、



「ようやく理解しました――ルヴィ。あなた、ほとんどでしょう」



 すぅっ、と。青銅色の肌をした美貌から、優しげな笑みが抜け落ちた。

 きっ、とおとがいを上げてその様を見上げ、クロは声を大きくする。


を。を――『最善』に至るための無限の分岐を。あなたはほとんど見ていないのですね、ルヴィ」


 ――先達ぶって忠告めかす彼女の言葉で、状況の不合理が腑に落ちた。


 これまでの彼女の言動を振り返る限り、それは到底、『未来視』を有した龍種のそれではない。


 だが、まったく『見えて』いないのでもないはずだ。不合理の発端はそこにある。


 何故、《軌道猟兵団》をそそのかしたのか。

 《翡翠の鱗》部族への使者を惨殺したのか。 


 何故、ラズカイエンの仲間達を鏖殺したのか。

 彼らの仇を討たんとするラズカイエンを、《箱舟アーク》へと導いたのか。


 何故、《軌道猟兵団》とラズカイエンを相討たせるように激突させたのか。

 そうして彼らを潰し合わせる構図を描いておきながら、冒険者ゼク・ガフランを殺すことなく放置し、自らは行方をくらましたのか。


「――何のことはない。選択の『結果』なんて、一度も見てやしなかったんですね? 自分にとって都合のいい分岐へ向かう選択を、それをなし得る行動を、その意味もその結果も考えずに、標の通りになぞっていただけで。それが彼らにもたらす未来は、これっぽっちも見てやしなかった……そういうことでしょう!?」


 ルヴィは分岐を選定した。


 そのために、《軌道猟兵団》をクロのもとへと導き、偽の《鍵》には呪詛を仕込み、冒険者ゼク・ガフランを屋敷の裏庭へ放置した。



 



 彼女自身にとって、望ましい未来を選定する。おそらくはそのためになぞった一連の行動が、その先でいかなる因果を紡ぎ、未来を導くのか。

 それを彼女が、端から気にも留めていなかったのなら――


「――へぇ」


 ルヴィが零したのは、感嘆の吐息だった。

 出来のいい生徒を褒める教師のような顔をしながら、ほっそりとした顎をてのひらで撫でる。


「もしかして、ボクの話を聞きながらずっとそんなことを考えてたのかい? 凄いね――いや、参ったなぁ、これは」


 ぱち、ぱち、と。控えめな拍手を贈って。


「そうだよ。その通りさ。ボクは選んだだけ――だったら分かるだろ? ボクはってさ」


「……本気で言っているんですか?」


 問うてしまった己を、クロは馬鹿な娘だと思った。何て、今更な。


「あなたが仕組んだ呪詛で、ラズカイエンの仲間がたくさん死にました。友達も恋人も死んじゃいました。

 マヒロー・リアルドの生徒が死んで、義憤で歯止めをなくした《軌道猟兵団》は暴挙に走りました――そのせいで亡くなった水竜人ハイドラフォークがたくさんいます。フィオレだって、苦しい思いをたくさんしたんです」


 ――心が、つながっていたから。

 彼らが心に浮かべた景色も、その感情も、ぜんぶ知ってる。知ってしまっている。


「ぜんぶ、ルヴィが選んだ『分岐』の結果です。あなたが――」


「待って。待ってよ、クロ。いくらなんでもそれはひどい」


 「冗談だろう?」とでも言いたげに、ルヴィは失笑した。


「《鍵》には、呪詛を仕込んだだけださ。ジム・ドートレス達には、ボクが知ってることを少し教えてあげただけ。あとは部族を追われたならずものの水竜人ハイドラフォークを雇って、彼らの好きにさせただけ」


 抗弁というにはあまりに軽々しく、ルヴィは並べ立てる。

 それが当然のことだとばかりに――それゆえに、語ることばはどこまでも『本気』だった。


「《箱》を開けなければ何も起きなかった。ならずものから逃げさえすれば死なずに済んだ。ましてジム・ドートレス達が水竜人ハイドラフォークを殺したのなんて、それこそ彼らが勝手にやったことじゃないか」


「無関係ぶらないで! あなたが、手引きしておきながら……!」


「無関係だよ。ボクは誰にも危害なんて加えてない。危害を加えようだなんて思ったこともない。ボクは誰にも不幸になってほしくなんかないんだ――そのボクが、そんな恐ろしいことを望むはずがないだろう?」


 失笑混じりに、ルヴィは抗議めいた言葉を並べ立てる。


「でもさ? 道端でたまたま拾った石ころを、なんとなく別の道端で捨てていった『誰か』がいたとして。後からそこを通った誰かが、石につまづいて転んだ拍子に頭を打ったとして――それは石を捨てたやつのせいかい? たまたまそこにあっただけの石につまづいた間抜けには、何の責任もないって言うのかな?」


 ――何で。


 クロはきつく歯噛みする。


 何で、そんなことが言えるの――あなたは。あなたが。


「それに、石ころに気づかないまま元の場所で放っておいたら、転んで頭を打ったのはその『誰か』の方だったかもしれない。もしかしたらその誰かは、頭を打った挙句に死んでしまっていたかもしれない――そう考えたら、その『誰か』ははからずも自分の命を自分で護ったということになるんじゃないかな? それってそんなに悪いこと?」


「屁理屈です。起こらなかった事象は誰にも観測できない。後からいくらでも好きにあげつらえることに、何の正当性があるものですか」


「今の例え話ならそうかもね! けれど、ボクの場合は厳然として事実だ。一連の手順タスク攻略クリアした結果、ボクの『終わり』は四千年も伸びた!」


 快哉のような、声を上げて。


「四千年だよ!? それに比べたら水竜人ハイドラフォークなんて、長生きしたって百五十年も生きないような連中ばかりだよ? 死んだ彼らの残りの寿命ぜんぶ足したって、四千年には到底届かないじゃないか!」


「《箱舟アーク》は滅びました!」


 喚いた。

 それはもはや、抗議ですらなかった。ただ、聞きたくなかったから――それだけのために発した、耳を弄する叫びだった。


「もう、誰も――みんな、みんないなくなった!!」


「それだって、揺り籠クレイドルを護る隔てを、ちょっぴり外したってだけじゃないか。ボクは《箱舟アーク》のみんなを滅ぼすつもりなんて、これっぽっちもなかった。誓って言うよ」


 宣誓の代わりとでも言うように軽くてのひらを挙げて、ルヴィはうんざりと唸る。


「でもさ、賢いキミなら分かるだろう? 《箱舟アーク》の中に閉じこもっていたはずのボクが、七日後には『理性』をなくすって。その意味がさ」


 世界の呪いは、《真人》種族が享けた《祝福》を追ってくる。

 ルヴィの持つ祝福を追って、呪詛は《箱舟アーク》の中へとたどり着いた。


「――『隔て』は不完全だったんだ、ってことがさ。

 ボクが『利他の竜』を気取ったまま粛々と死んでみせたところで、やつらは《箱舟アーク》に気づいた。ならキミ達だって遅かれ早かれ、世界の呪いに見つかっていたはずさ――たまたまそれが少し早くなった程度のことで、どうしてボクがそこまで責められないといけないの?」


「……それでも」


 強く、かぶりを振って。

 宝種の少女は手負いの獣のように、高みで見下ろす《龍種リヴァイアサン》を睨み上げた。


「それは、あなたが選んだ結果でしょう、ルヴィ……!」


「ボクは――」


 なおも、何かを抗弁しかけて。

 嫌気がさしたというように、ルヴィはかぶりを振ってそれをやめた。


「――いや、いいさ。今は目覚めたばかりで、キミだって何もかもが分かっている訳じゃない。落ち着いてよくよく考えさえすれば、ちゃんとものの道理が分かるはずだよ。クロは賢い女の子なんだから」


「道理ならとうに分かっています。あなたが真実、心の底までだったということくらいなら」


「……ボクはね、生きていたいだけなんだよ。クロ」


 まるで、きかん気の子供を宥めるように。

 それだけを言い残して。


 次の瞬間、ルヴィの姿は忽然と屋根の上から消えていた。


 途絶えていた『繋がり』が、四方から寄せる波濤のように一斉に戻ってくる。

 ルヴィの異界領域が解けた――その領域の中から、クロを追いやったのだ。


「……勝手な、こと……!」


 ――だから。

 もうここにはいない、届くはずもない彼女へ向けて。戦慄く拳を硬く握って、叫ぶ。


「ぜったい、許さないから……追い詰めてやるから! ぜったいに、ぜったい……おまえを捕まえてやる! 追ってくる呪いの鼻先に、おまえを投げ込んでやるから!! 泣いて、喚いて、自分のやったことを後悔しながら……っ、呪われて、死んじゃえ!!

 あやまったって、許……さない! おまえを! ゆるさない……から! クーは……わたし……わたしは……っ!」


 宵闇の静寂しじまに、叫びが溶ける。


「ばか……卑怯者……死んじゃえ、ばか! もう友達なんかじゃ、ない……もう、おまえなんか……わた、し……わたしはっ、わたしはあぁああぁぁぁ……っ!!」



 泣く少女の喚く声は、誰が受け取ることもないままに。


 夜の向こうへ吸われて、消える。

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