165.ひとつの幕引きとその先の話:あるいは遠き夢物語の話/シド・バレンス③


 レストランへ入る頃には西の空へ僅かにその名残を残していた太陽も、食事を終えて通りへ出る頃にはすっかり地の底へと沈み。

 店員の上品な所作に見送られて店を出たシドを迎えたのは、街路灯に灯る魔光のともしびと、通りを挟む家並みの間に広がる星空の天蓋だった。


 ベルの音と共に、シドの後ろで店の扉が閉まる。

 少し遅れて隣に並んだスリーピーススーツ姿の小男が、晩餐の余韻を惜しむように、深く夜気を吸う。

 その彼へと向き直り、シドは頭を下げる。


「今日はごちそうさまでした。たいへんな御馳走を、お腹いっぱいいただきました」


「せめてもの感謝といったところです。ワタシも、今宵はよいお話ができました」


 差し出された右手を取って、握手を交わす。


「――さて。ワタシはこれからまた仕事へ戻らねばなりませんが。アナタはこれからどのように?」


「宿に帰って、今日はもう寝ようと思います。《箱舟アーク》で本格的に探索を始める前に、いろいろやらなければならないこともありますし」


 オルランドで冒険者として仕事を得るにあたっては、どこかの冒険者宿に籍を置かなければならない。

 今回はちょっとした様子見程度のつもりが、とんでもない探索になってしまった――おかげで知れたことも多くあるし、その結果としてなしえたことも多くあるだろうが。それでも、籍の登録を後回しにしたツケは払う羽目になったと言わざるを得ない。そうしたものでもあった。


「今日は頭の痛い話し合いの後でもあります。お疲れのことでしょうしねぇ」


 シドの答えを聞いた支部長は、「ふむ」と唸って顎を撫でた。


「ですが――もしこの後、特にこれというご予定がないのであれば。《英雄広場》までもう少しの間、ワタシのお話におつきあいを願えませんか」


「まだ、お話することが?」


 晩餐での会話を思い出し、反射的に身構えてしまうシドへ。支部長は「なに」と苦笑交じりの失笑を零した。


「ただの雑談ですとも。これよりまた仕事へ戻らねばならぬ身の上、道中の無聊を慰める相手になっていただければというだけのことで」


 成程。

 その答えに、シドは頷く。


「こちらは後の予定もない、気楽な身の上です。それでお役に立てるのなら」


 その後の《英雄広場》までの道中は、その言葉通り、本当に雑談だった。

 料理と店の感想。共通の知人であるサイラスやセルマの話。オルランドという都市に関する話――思いがけず楽しい心地で談笑を弾ませているうちに、支部の建屋が面する《英雄広場》へと到着する。


 広場には魔光灯をともした街灯が方々に立ち、未だその明かりを落としていない周囲の建屋、その窓からこぼれる光と相まって、台座によって高々と掲げられたオルランド像の輪郭を、夜の中へとおぼろげに浮かび上がらせていた。


「……英雄オルランドが手にした剣は、大いなる神々の一柱ひとはしらより授けられた《不毀ふきの剣》であったと伝えられております」


 その、英雄像を見上げながら。

 支部長はひとりごちるように零した。


「かの剣は決して折れることなく、欠けることなく、また錆びることも朽ちることもなく。常に油が滴るが如き輝きを放って、英雄の手にあり続けたと」


「初めてこの広場でお会いした時にも、同じことを伺いましたっけね」


「吟遊詩人の語り継ぐ歌の中には、かの剣の輝きを忘れたるものも少なからずあるようですが。しかし決戦を生き残った戦士達が語り、あるいは書き記した物語の中には、常にその剣がありました。枯死の毒も、酸の唾も、忌まわしき呪いも――決してその刃を曇らせることはなかったと」


 ほんの数日前の話である。

 英雄オルランドの叙事詩サーガはシドも概略くらいは知ってはいたが、彼が手にした剣の来歴を聞いたのはこの街に来た時が初めてのことだった。

 記憶力の良さを褒める教師の所作でうんうんと首を縦に振る支部長は、ふと思い出したようにシドを見上げた。


「はて、不思議な縁もあったものです。ワタシはつい昨日にも、これとよく似た話を耳にした覚えがありましてね」


 向けてきた水が流れ着く先。その示すところに、シドは我知らず息を呑む。


「……俺の剣が、そのオルランドの《不毀ふきの剣》だったとでも仰りたいのですか?」


 《キュマイラ・Ⅳ》の口の中へと深く突き刺し、かの魔獣と共に《塔》の奈落へ落ちた両手剣ツヴァイハンダー

 《キュマイラ・Ⅳ》の石化の吐息を受けて、なお石とならずシドの手に残った刃。


 シドがかつて、免許皆伝の証に師匠から譲り受けた剣。


「ヒィーッヒッヒッヒ! いいえ、いいえ、そうではありません。オルランドの剣は片手持ちの長剣ロングソードですし、何より」


 台座の先を見上げ、支部長は指差してそれを示す。


「今もあの頂で、ああして他ならぬオルランドの手におさまり続けております。アナタの剣が伝承に謳われるオルランドのそれであったなどということは、まずあり得はしませんよ」


 ですが、と。

 小男は仰ぎ見る視線を、英雄像からシドへと滑らせた。


「ですが、その二つが『同質』のものであった可能性を、つい空想してしまいそうにはなります。かつてオルランドの手に在り、ひとたび伝承の魔獣を追い返した剣と同質の――あるいは兄弟剣というべき一振りやもしれぬその剣が、時代を越えて現れたる英雄の手に在り、再びかの魔獣を払う刃となったのではないか」


 ヒィーッヒッヒッヒ――と。男は鷹のように甲高い声で笑った。


「そのような美しい物語を、ワタシは空想せずにはおれません。世に物語を歌い継ぐ吟遊詩人なればなおのことでしょうね。二人の英雄が携えたる兄弟剣、何とも因縁めいた絆ではありませんか」


「……そんな」


 馬鹿な――と考えなしに零しかけたのを、シドは寸前で飲み込んだ。


「いくら何でも、時代が離れすぎてやしませんか。五百年も前の剣と兄弟剣なんて」


「オルランドの剣は《不毀ふきの剣》。時がもたらす摩滅など、あってなきが如きものでしょう」


 返す言葉もない。

 現に、初めてオルランドの像を、より正確には台座へ突き立ち柄頭にオルランドの両手を載せたその剣を見上げた時、自分は思ったはずだ。


 ――よく錆びないもんだなぁ、と。


「そういえば、この話は御存じでしたかアナタ。かの英雄オルランドは、その手に携えた《不毀ふきの剣》と同じく、不毀の肉体を備えた豪傑であったそうですよ」


「……それも、初めて聞きました」


「不思議な縁ですねぇ。ワタシはそれとよく似た話も、つい昨日さくじつに聞いたばかりでして」


「……オルランドは終生、妻をめとることのないまま、齢三十を迎える前にこの地で斃れたといわれているようですが」


 返す言葉は、少々語気が強くなっていたかもしれない。実際、支部長からの露骨なほのめかしに、シドは辟易しつつあった。


「『妻』は確かにいなかったようですね。ですが、英雄オルランドは激しい戦いを終えたその夜には、三人の娘をその褥へ招くことなしに昂った肉体を鎮めることかなわなかったとの言い伝えもありまして」


 ついつい渋い顔になってしまうシド。

 支部長は肩を震わせて笑った。


「ヒィーッヒッヒッヒッヒッヒ! いえ、いえ、さすがにこの言い伝えは幾許かの誇張を含むものやもしれませんがね。しかしオルランドとて一人の男、のみならず、常に死と隣り合わせの戦士でした。その寝所へ女性を招いたことも一度や二度のことではないでしょう」


 いつ命尽きるとも分からない戦いの日々に、夜ごと人肌の安らぎを求め。

 そうして夜を越える最中さなかに、抱いた女へ子を孕ませたこともあったかもしれない。


 伝承がその答えを語ることはない。


「あるいはオルランド本人ではなく、その縁者の血が継がれたという風にも考えられるでしょう。いずれにせよ、当時の系図が散逸している以上、確たることを言えるものではありませんが」


 それで矛を収めてくれたのだと見て取り、シドはひっそりと安堵のため息をつく。


 まさしく夢物語だ。そんなものは。いにしえより謳われる英雄の血を引いた戦士が、死したる英雄がその最期に相対した伝説の魔獣と、時を経て相まみえた――だなんてシロモノは。できすぎにも程がある。

 だが――


(そう謳われるくらいになってみせろ、ってことなのかな……)


 ――英雄ではなく。

 ――英雄譚となれ。


 その、言葉の意味は。


「ところでアナタ。その胸の紋章バッジ


「え? ああ……」


 支部長が指差したその先。胸元に留めた、その表面の一部が抉るようにして削られた、くすんだ銀のバッジに指先で触れる。


「よろしければ、新しいものを手配しましょうか? わざわざ古いものをつけて歩く理由もないでしょう」


「ええ。それは……まあ、そうなんですけれど」


 わざわざ、自ら《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》であると、損な形でふれまわる理由はあるまいと。

 そういうことだ。

 バッジは交換できる。壊れるなり、紛失するなりといった事故は、冒険などという荒事商売をしていればいくらでも起き得るものだ。つまるところ《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》という蔑称は、その程度の道理も分からない名ばかりの冒険者だという嘲弄ゆえのものなのだ。

 が――


「今は、このままで。どうせ俺が《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》なのは、とうに知られてしまっていることでしょうし」


 ――少なくとも、あの時に《連盟》支部にいた冒険者達には。

 《水銀階位マーキュリー》の若い冒険者にくすんだ銀の紋章を笑われた時――あの場には、シドの顔を見た冒険者が多くいたはずだ。

 今更バッジを変えたところで、いずれはそうと知れる。


「お気遣いには感謝を。でも――まあ、どうにかやっていきます」


「……つくづく、損な方だ」


 やれやれとばかりにかぶりを振って。

 それでも支部長たる彼は、静かにその口の端を、緩めていてくれたようだった。


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