157.《キュマイラ・Ⅳ》の一件を伏せておきたいと願う、もうひとつの理由について。


「ご明察、と言うべきでしょうかね。ユーグ・フェット」


 そう評したのは、支部長だった。

 机上に肘を置いて組んだ両手に口元を隠しながら、探るような上目遣いの目を細めてユーグを見遣る。


「ですが、それは理由の『半分』です。確かに都市として憂慮すべき事態ではありますが、そればかりが理由ではありません」


「へえ?」


 薄く笑みを作って、ユーグは首をかしげるようにする。

 それは彼なりの、傾聴の所作であっただろう。


「とりわけ、ワタクシども《連盟》が憂慮する点は他にあります――今回の一件を事実として明らかにすることで、かの伝説の幻想獣キュマイラする者が現れることへの懸念です」


 支部長は溜息混じりの、うんざりした声音で唸る。


「これは、幻想獣キュマイラを恐れて探索を手控える冒険者などよりもはるかに手に負えない、始末の悪い存在です。ワタクシの憂慮するところがお分かりいただけますか? アナタ」


「……俺達はここに居並ぶ十五人で、伝説の幻想獣キュマイラを退けた」


 より正確には、行方知れずとなっていたゼク・ガフランを除いた十四名。

 あるいは、ここからさらに冒険者ならざるクロを除いて、十三名。


 いずれにせよ、大差はない。

 伝説のオルランドが率いた義勇軍の物語を鑑みれば、それはあまりにも乏しい『寡兵』での勝利である。


「成程。人数で撃退が叶った――その事実が、あんたらとしては都合が悪いという訳か」


「……これが、完全なる『討伐』の完遂であれば。話はまた、変わっていたのでしょうがね」


 支部長は頷き、認めた。

 遅れながらにして、シドもその意味するところを理解する。


「オルランドの叙事詩サーガにうたわれる幻想獣キュマイラ。その討伐のため、《キュマイラ・Ⅳ》を解放しようとする者が現れるのではないか、と。連盟は、その可能性を懸念しているのですか?」


「ええ。ええ。まさしく仰るとおりの懸念ですよ、アナタ。シド・バレンス」


 そんな馬鹿な、と呻きかけた。

 だが、否定できるだろうか――その可能性を。


 白金階位プラチナ・クラスが五名いたとはいえ、僅かに十数名の冒険者でさえ、その一時的な撃退が叶った。

 であるならば、より多くの、より強い冒険者を束ねて挑めば――幻想獣キュマイラの『討伐』すら、手が届くのではないか。


 五百年前の伝承とはいえ、数多の吟遊詩人が叙事詩サーガに謳う英雄が倒すこと能わなかった、伝説の幻想獣。

 その討伐を果たし、伝説の『続き』にその名を記さんと夢想する者が現れないと、どうして言い切れるだろうか。


 伝説の魔獣といえど、所詮は五百年前の物語――時を経て、進歩と研鑽を重ねた今この時であれば、その討伐を果たすことは可能なのではないか。

 何せ、たった十数人の冒険者で――その中には、銀階位シルバーどころか足手まといも同然の《くすんだ銀オクシダイズド・シルバー》すらいながらにして、その『撃退』を成し遂げたのだから。


「いえ……ですが、でも、まさか……そんなことが」


「言ったはずだ。大衆が理解しうる事実とは、きわめて単純な『結果』のみなのだ。

 『伝説の魔獣キュマイラよみがえった』『僅かな数の冒険者がこれを撃退した』――彼らが理解しうるのは、せいぜいがその程度だ」


 シドの反駁を断ち切って、ホーウィック市長が繰り返す。


「それら結果に連綿と紐づく過程と条件。という、最も重んじられ検証されるべき事実は、願望と欲にくらんだ目に映ることなどない。決してだ」


 嘆く物言いは憤慨に煮えて、溶岩のように重い。

 かぶりを振って、市長は唸る。


「彼らが欲するものとは、己の見たいものを見るための『都合のよさ』だ。都合の悪い事実など、彼らにとっては己の心地よさを害するばかりの害悪、目に入れるのも厭わしいばかりの汚物でしかないのだ」


「事実を、正しく広めれば――」


「ジム・ドートレス。君は知性と理性をこそ重んじる学究のであるのかもしれないが、しかしすべての人間が君のようではないという現実を知るべきだ」


 反駁するジムの言葉を、市長は一蹴する。


「彼らは単純な結果以外は容れられない。しかも斯様かように愚かでありながら、大衆はその『単純さ』こそが、唯一無二の真実を見抜く『慧眼』と確信するのだ。

 そこに絡みつく数多の複雑さは、鼻持ちならぬ衒学げんがくが弄するまやかしにすぎぬと唾を吐きかける。結果へ至るまで幾重にも積み重なった過程と経緯は、『おかみ』に都合の悪い真実を隠蔽せんとする為政者どもの邪知なりと罵りなじる。それが、『大衆』という『群体』なのだ――学者の願望へ耽溺する前に、君はまずその如何ともしがたい現実を知りたまえ」


「なら、いっそあたしらが討伐しちゃったことにしたら?」


 名案、とばかりに。ケイシーが明るく言った。


「ね、それならどうよ? ここにいるあたしらで、伝説の魔獣キュマイラをやっつけた――ってことにしちゃうのはさ!」


「ケイシー……」


「何よぉ、支部長さんだって言ってたじゃないの。『討伐』なら話は変わるってさ」


 眉をしかめ、刺々しく唸るルネに。

 ケイシーは不満げに唇を尖らせる。まさか同じパーティの――それも、長くつるんでやってきた同性の仲間から、そんな反応をされるなどとは思わなかったのだろうが。


「いーじゃん、そういうことで。あたし達、それっくらい頑張ったでしょー?」


「……心情は理解するところもないではありませんが。しかし私としては、その方針は承服しかねるところです」


 厳として。マヒロー・リアルド教師が、その提案を切って捨てた。

 ケイシーは、いっそう不機嫌に眉を寄せる。


「なぁんでよぉ! そりゃ、オバサンのパーティは白金階位プラチナだし? 指揮とってたのはあんただけどぉー……でもさぁ、何の権利でそこまで仕切られなきゃならないワケよ、これってあたしらの功績のハナシでしょ?」


「どうやってそれを証明するつもりなのよ、ケイシー。あんたは」


 棘を増した声で唸ったのは、ルネだった。

 内心の苛立ちが露わな、剣呑そのものの面持ちで舌打ちするルネに、ぶぅぶぅと不平を鳴らしていたケイシーも思わず身を縮めた。


「おいルネ、やめろって。何いきなりキレてんだよ――」


「わかんねぇなら黙ってろや、ジェンセン。あんたのハナシなんか聞いてねえよ」


 肩を掴むジェンセンの手を苛々と振り払うルネ。

 完全に、《ヒョルの長靴》の内輪もめが始まっていた。


「あのさ……あんた一体どうやってやるつもりでいんのよ。魔獣キュマイラの、をさぁ」


 それは、完全に頭から抜け落ちていたのだろう。

 目を丸くして「あっ」と呻くケイシーに、ルネは舌打ちを重ねる。


「いやっ……そんなの、いたじゃん魔獣キュマイラ! ほら、第三層にいた連中だったら絶対見たり聞いたりしてるって、魔獣キュマイラの顔とか声とか!!」


「そうかもね。でもさ、そうだとしてもだよ? そいつをやっつけた証拠はどこにあんの――魔獣キュマイラの体は、ぜんぶ《塔》の底に落っことしたってのにさ」


 詰め寄るルネの勢いに圧されて、ケイシーは頭が上手く回っていなかったようだったが。

 それでも――ぎしぎしと軋むような思考を動かして、どうにかそこへ思い至ったのだろう。


「――ああっ!」


 叫んだ。


「そうじゃん! ぜんぶ落っことしちゃったんじゃん――ちょっと、どうしてくれんのよオッサン!?」


「え。俺!?」


「そうよ、あんたがやったんじゃん!! 最後にキュマイラ落としたのあんたでしょ!?」


 矛先がシドに来た。

 ケイシーは地団駄を踏んで、なおも声を荒げる。


「あんたが最後にさぁ、《塔》に魔獣キュマイラ押し込んだんじゃん! 何でその時、討伐証明になるもん残さなかったのよ!? 近くにいたんだから、それくらい適当なの取ってこれたでしょ、普通!!」


 あまりの展開に、言葉を失う。それを自分の正しさの証明と受け取ってか、ケイシーはさらに居丈高になって鼻息を荒くする。


「何で、って……それは」


 そんな余裕、あるはずもなかったからだ。

 というより、シドが最後に《キュマイラ・Ⅳ》を叩き落としたこと自体、本当にギリギリの、紙一重の成功だった。


 ……いくら何でも、あんまりだ。それは。


 というか、ちょっと泣きたくなってきていた。


 いや、だって……今更こんなところで詰められるなんて、思いもしなかったし。


 頭が真っ白になってしまったシドを憐れむように、市長が溜息をつくのが聞こえた。

 あるいは、ジム達に対して聞かせるように。


「……つまり、『大衆』とはこうしたものなのだ。身に染みたかね?」

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