155.なぜ、《キュマイラ・Ⅳ》にまつわる一件を伏せねばならないのか――薄々察してはいなくもありませんでしたが、なんか思った以上におおごとでした。【前編】


「……何それ。どういうこと?」


 呻くフィオレの声音には、焦れた苛立ちが滲んでいた。


「《キュマイラ・Ⅳ》を撃退した。シドは――私達は、その功績を記録され、それに応じた褒賞を受け取る権利がある。冒険者って、そういうものなんじゃないの?」


「フィオレ」


 前のめりに身を乗り出しかける彼女の肩に手を置いて制し、弾かれたようにシドを振り仰ぐ彼女へゆっくりと首を横に振る。


「きみなら、市長さんの言いたいことが分かるはずだ――他ならない、きみなら」


「何で――」


 憤然と、半ば反射で言い返しかけて。その途中で、フィオレはさっと表情をこわばらせた。


 そう。彼女なら覚えがあるはずだ――他ならぬ彼女自身の、《ティル・ナ・ノーグの杖》にまつわる探索。それがいかなる形でその幕を下ろしたか。

 そのが。、何故なのか。


 フィオレが絶句し、沈黙が落ちる中。ユーグが愉快げに鼻を鳴らした。


「かの英雄オルランドとその旗の下に集った戦士達と相対し、数多の戦士と英雄オルランドがその死と引き換えに《箱舟アーク》へと追い返した伝説の幻想獣キュマイラ――そんなものが今なお生きて、しかも《箱舟アーク》の低層をうろついてたってんならそれだけで大事オオゴトだわな。

 交易も探索も、これまでの水準ではその一切が成り立たたないってことにもなりかねん」


「交易?」


「この前にも言っただろう? 《箱舟アーク》の低層には、そこに村やら里やら作って住み着いてる連中がいるってよ」


 問い返すシドに、ユーグは言う。


「たとえば第五層には魚介が撮れる海があって、オルランドの海産物はそこで獲ったやつを出している――このあたりのことは、あんたにも話したんじゃなかったかな」


 そうだ。確かに聞いた。


 たとえば、シドがサイラスに御馳走してもらった高級レストランの海老料理が、そうであるように。

 内陸のオルランドであるにも関わらず、レストランで海のものを料理に出せるという事実に、シドは驚嘆したものだったが――その贅沢は、《箱舟アーク》という特異点の存在によって支えられているのだ。


「しかし、かの伝説の魔獣がうろついてるとなれば話は変わるな。何せひとくちに冒険者と言ったところで、全員が全員、《箱舟アーク》の踏破を目指す命知らずどもって訳じゃない」


 一獲千金、一発逆転を夢見る者。

 ただただ今の己の力量を確めるために、迷宮へと足を踏み入れる者。

 自らの力量に見合った『稼ぎ場』として、迷宮の富を浚おうと目論む者。


「命惜しさで怖気づき、割に合わないと《箱舟アーク》探索を手控える連中は間違いなく出るだろうな。そうなりゃ探索の収集品は目減りするし、《箱舟》内部からの交易品もこれまで通りの行き来はしなくなる。供給が減って価値が上がり、取引の値は間違いなく跳ね上がる――遠からず市政局の怠慢を叫ぶ連中が暴れ出し、その騒ぎに薪をくべて煽るやつもいるだろう」


 自分の命を対価にして日々の生計たつきを立てるのが、冒険者という生業なりわいだ。しかし、それは決して、命を捨て値で放り出すが如きものではない。


「もちろん、その値上がりで利益を得るヤツもいるだろうな。しかし《遺跡都市》オルランドという総体、あるいは都市を治める市政局ないし議会としては、そうした『先細り』の状況も、政敵共が涎を垂らして飛びつくだろう治安の『揺らぎ』も、面白くはないという訳だ」


 オルランドの繁栄は、《箱舟アーク》という特異点――未だその深奥まで探索されざる未踏迷宮がそのはらへとおさめた、汲めども尽きぬいにしえの遺産と財宝によって支えられている。

 その財が、その源が細るということは、言わば都市そのものがやせ衰えるに等しい。


「《箱舟アーク》はオルランド繁栄の源だ。無限の金剛石ダイヤが湧き出す鉱山。日毎ひごと、朝に金の卵を産む雌鶏めんどりだ。

 都市内部と都市外の商取引、その原資だ。冒険者宿のネットワーク、武具や装備に始まり衣食住に至るまでの数多なる需要、これを支えるあらゆる仕事の供給――果ては都市の財政に至るまで。これらすべての基盤は、《箱舟アーク》という広大な未踏破迷宮だ。

 富裕な観光客を外から呼び込む観光資源すら、《箱舟アーク》とこれにまつわる英雄オルランドの伝説、あるいは《箱舟アーク》探索で名を上げた冒険者どもの名声が担保する。それがこの、オルランドという都市の成り立ち、五百年に渡って続く繁栄の根幹だ――言わば『迷宮経済』とでも呼ぶべきものが、この都市オルランドを成立させている」


 長広舌を繰り広げながら、ユーグはくつくつとおかしげに笑う。


「たとえば、《箱舟アーク》そのものが消えてなくなるなんてことがあった日には、まさしくそいつはオルランドという都市そのものの消失だ。繁栄の源泉も、それどころか、英雄オルランドの死から五百年続いたオルランド戦士団の存在理由も――オルランドという都市そのものの意義が、まとめて吹っ飛ぶ一大事だ。

 なんせ《箱舟アーク》という特異点の存在を別にすれば、この土地は内陸に奥まった、交易の要衝からも外れた片田舎。鍛冶の街の原資となる鉱山や、あるいは《箱舟アーク》の向こうの豊かな森林帯なんてものもない訳じゃないが――それとて、迷宮の利潤で膨れ上がった今の都市オルランドを支えきれるかとなれば」


 ぱっ、と軽薄な所作で両手を広げて、爆発のニュアンスを示すユーグ。


「そこまで大袈裟なことじゃなくとも、そんな揺らぎがあっては

 オルランドの繁栄と、オルランド市民の裕福な暮らしのため――迷宮経済は。あんた達のような上流の方々すべてにとっては、そうであってもらわなくては。そういうことだよな?」


 愉悦に似た光でにんまりと細めたユーグの目は、まるで獲物を丸のみにした蛇のようだった。

 あるいは、逃げ場をなくして弱った獲物を玩具代わりに嬲りつづける、無邪気な猫のような。


 そうだ、と不意に思い出す。

 《箱舟アーク》へ入ったばかりの時、ユーグは言っていた。その言葉を聞いて、シドも否応なく理解させられた。



 然るにこれは、オルランドと言う都市の――言わば、『システム』の問題なのだ。


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