くすんだ銀の英雄譚~おひとよしおっさん冒険者のセカンドライフは、最大最難の大迷宮で~
154.えらい人は下のことなど考えない、理不尽ばかり言うようですが。然してそこには下の側からではなかなか見えない、えらいなりの苦境があったりするものなのです。困ったことに。
154.えらい人は下のことなど考えない、理不尽ばかり言うようですが。然してそこには下の側からではなかなか見えない、えらいなりの苦境があったりするものなのです。困ったことに。
「繰り返す。今回の一件にまつわるすべて――その一切は、『なかったこと』として処理させてもらう」
しんと静まり返る冒険者達を前に、男は――オルランド市長たるホーウィック卿は、厳然として繰り返した。
「これは既に、我らオルランド執政府の間で決定された事項である――我がオルランドにて冒険者たる諸君らにおいては、ゆめゆめこの決定に反することなどなきよう務めたまえ」
「ちょ――」
真っ先に呻いたのは、フィオレだった。
「何なのそれ――どういうこと!?」
形のいい眉を吊り上げて詰め寄るフィオレに、ホーウィック市長は煩げに顔をしかめた。きんきん煩い小娘の喚きを厭う大人、それそのものの表情だった。
「どうも何も言葉通りの意味だ。《キュマイラ・Ⅳ》などというものは現れず、その撃退にまつわる騒動など起きなかった。そういう事だ」
「何それ!?」
「……私も、その決定には賛同しかねます。市長閣下」
憤然と喚くフィオレに続く形で。いくぶん慎重にそう切り出したのは、ジム・ドートレスだった。
否――それはどちらかと言えば、堪えようもなく滲んだ困惑の発露であっただろう。ソファから腰を上げて立ち上がった彼は、訴える口ぶりで言葉を続ける。
「《キュマイラ・Ⅳ》という脅威が、現実として存在するのは紛れもない事実なのです。我々はかの魔獣を討伐するには至っていない――あくまで、《塔》の中へと封じ込めたのみなのです」
《
《
が、
「その封じ込めが、いつ、いかなる形で破綻しうるものか――その可能性は当事者たる我々にさえ、完全な判断のかなうものではありませんでした」
ジムはそう言いながら、クロを伺う。
その視線を追って少女の方を見下ろすと、彼女はジムの言葉を追認する形で、こくりと頷いた。
その反応で確信を得て。ジムはあらためて、市長へと訴える。
「
「ジム・ドートレス。
「? は、はぁ……」
「筆記記録を読ませてもらった。吟遊詩人もかくやというべき、見事な語り口であったそうだな」
「……お褒めにあずかり光栄に存じます、市長。しかし今はそのような」
「そして、君はその
「え」
またしても、シドは顎を落とす羽目になった。
余計なことを聞かれた、とでも言いたげに唇を引き結んで目を逸らすジムを、目を丸くして凝視する。
「いや……ちょ、ちょっと待ってくれ。きみ、そんなことを言ったのか? 何だってそんな大げさな」
「…………無論、我ら《軌道猟兵団》、のみならずこの場に居並ぶすべての冒険者が各々のなすべきを果たしたが末の結果であることは、言を
おたつくシド。ジムは深くついた溜息混じりで、「ですが」と続ける。
「然してそれは、敢然とかの魔獣へ相対し、その足を釘付けとした勇敢なる戦士の防塞あったればこそのもの――それもまた、事実なりと確信しているのです。かの戦いにおいて、最小の犠牲で以て決着がかなったことも」
その、歯噛みするような苦渋の面持ちを、シドはよく知っていた。
自らの無力を思い知り――悔いる者の苦渋だった。
「我々では――あの戦いは、私などでは決してなし得ないものでした。私は一人の戦士として、到底あの場に並びうるものではなかった……」
「待って。待て待て待ってくれ、ちょっと」
シドはあたふたと、両手をおたつかせる。心底から狼狽していた。
「そんなのは俺だって――俺達だって同じことだ。確かにあなた達、《軌道猟兵団》だけじゃ、《キュマイラ・Ⅳ》と相対して撃退するなんてことはできなかったのかもしれないけれど……そんなのは俺達だって同じだ。
だいたい、あなた達の力と援護がなければ、俺達は《キュマイラ・Ⅳ》との戦いで磨り潰されて、全滅していたかもしれない。作戦がまとまるまで持ちこたえられたかさえ、わかったものじゃないんだ」
何より。あの時、クロが差し伸べてくれた手がなかったなら。
《軌道猟兵団》と《ヒョルの長靴》、ラズカイエン――そしてシドとフィオレの全員で立ち向かったとしても、《キュマイラ・Ⅳ》には太刀打ちなどし得なかった。
一時は拮抗し、あるいはその足を止めることができたとしても。やがては力尽き、万策尽き果て、そのことごとくが倒されていたに違いないのだ。
「……俺達の果たした役割に、優劣はない――ないんだと、そう思うんだ。俺は。その、だからつまり俺は、何て言ったらいいのか。こう……」
そう、シドが働きのにぶい頭を懸命に巡らせて、訴える間――
ジムは困惑混じりの微妙な顔つきで言葉を濁し。傍でそれを聞いていたユーグは、嘆くような失笑の面持ちでかぶりを振り、呆れきって力のない溜息を零していた。
「
そして。
ホーウィック市長が場を睥睨した。
「だが、そうだな。つまり問題は『そこ』なのだ。諸君らは一連の騒動における経緯の一切を理解し、その結果が幾つもの前提と制約の果てに得られたものであると、自覚を有しているのかもしれない。
己が万能ならざるを自覚し、謙虚にその結果を分析する精神性と、その結果をもたらした条件と前提の複雑さを顧みる知性を有するものであるのやもしれない。
だが、問題はそこではないのだ。それらを第三者の『物語』として聞く者達は。大衆という総体は、そのように賢明な存在ではあり得ないということだ」
忌々しげに。
低めた声で語る市長の声は、ここにいない何者かへの深い苛立ちが、その強く押し込めた理性の封をこじ開けて溢れ出しているかのようだった。
「言い訳のようだが、ひとつ明言させてもらおう。私は、此度に諸君の為したる偉業を、偽りだなどと断じるつもりは毛頭ない。
だが、諸君による此度の勝利の達成から、大衆という愚かな『群体』がなしうる理解とは――『伝説の
――ああ。
眉間に深く皴を刻んだ――苦渋と苦悩がないまぜとなって刻まれたそれらの峻険さを前に、シドには察せられるものがあった。
それは、これまでにも見てきたものだった。
冒険者になったばかりの時は、若く夢に燃えているだけの少年だった頃には、そうと知り得るものではなかった――だが、何度も同じものを見るうちに、そうと察せられるようになってしまった。それは、そうしたものだった。
「つまり、あんたはこう言いたい訳かい。市長さん」
シドが言うべきことばを探しあぐねるその間に、ユーグが軽やかな調子で訊ねた。
「この先、頭の煮えた
つまりはそういうことだよな? 市長さんが仰りたいことってのは」
揶揄に皮肉の針を含んだその問いに。市長は眉間に刻んだ皴を、いっそう深くしたようだったが。
やがて、
「――その通りだ」
ひとつ。重々しく首肯し、彼はそれを認めた。
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