141.後始末を残すばかりだったはずのファースト・ダンジョンアタック。その冒険は、本当はまだ何一つ終わらせられてなどいなかったのだと、おっさん冒険者は気づいてしまったのでした。


 混乱しきっていた頭の中で、パズルのピースが嵌るように、ぱちりとひとつの答えが浮かび上がる。


 あの時――あの《英雄広場》のベンチで、セルマがシド達に声をかけてきた理由。本当の理由。


「あ、もちろんそのあとお買い物もしましたよ? ちゃんと。そういうお約束で支部へ同行しました。なので、明日からの暮らしにはまったくなんにも困りませんです」


「いや、そういうことを聞いてるんじゃ――!」


「シド・バレンス、どうか落ち着いて」


 上ずった声が大きくなりかけたシドを、クロが宥める。


「クーはおはなしをしてきただけです。こうしてここにいますし、何もされてなんかいません。黙ってひとりで行ったことは謝りますけれど、誤解はしないでほしいのです」


 シドはどきりとする。

 自分が、何らの裏付けもなく危険な状況へと想像を巡らせていたこと――それを、他ならぬクロから指摘されたことに、だ。


「セルマ・オリゴクレースを責めないであげてくださいね。あの支部長さんのことも、そう」


 そんなシドの焦燥を宥めるように、クロは優しく言った。


「みんな、ただただそれを求められたがゆえに、そうしているだけなのです。それをまるで、シド・バレンス達への悪意あっての詐術であるかのように弾劾しては、彼ら彼女らがあまりにかわいそうだと思うのです」


「いや、だけど――いや、そうじゃない。そういうことじゃ」


「何故クーが、シドとフィオレを遠ざけたのか、ということですか?」


 ――クロは心を繋ぎ、心を見る。


 ならば、他の多くのことがそうだったように――セルマがあの場に現れた時点で、あるいは《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部に程近い《英雄広場》を訪った時点で、クロを呼びつけようとする連盟の意図には気づいていたはずだ。


「それなら、あのひとたちがクーひとりで来てほしがっていたからです」


 当然のことのように、クロはあっさりと言った。


「ふたりが一緒にいたら、クーと一緒に来ようとしたのではないですか? 何となれば、クーを行かせることそのものを拒んですらいたかもしれません」


 それに、と。

 薄紅色のちいさな唇に、人差し指を宛がいながら、


「それにあのひとたちは、シド・バレンスや他のひとたちにはナイショでクーを呼びたかったのです。なので、ここでクーがおしゃべりしたこと、シド・バレンスも他所でばらしちゃメッなのですよ?」


「それは……クロがそうしろと言うなら、やぶさかではないけれど」


 ――だが。

 だとしても、オルランドの《連盟》は何故にそんなことを望んだのか。


 察せられるものはあったが、さりとて確証に至れるような材料を、シドの側は欠いている。


「……なら、せめてその真意は知りたい。彼らはどうしてそんなことを? きみは、そのことも知っているんじゃないのか、クロ」


「能うる限りの欺瞞を廃し、『ほんとうのこと』を見定めたかった。たとえ一握なりとも、『そのようにできた』という手ごたえをつかみたかったのです――《箱舟アーク》の中でいったい何があったのか、オルランドの冒険者ならざるクーの正体は、果たしていかなるものなのか」


 ――おそらくあの時点で、支部では《軌道猟兵団》への聴取が行われていたはずだ。

 そして、彼らは話したのだろう。自分達の目的と、彼らが《箱舟アーク》で相対した事実を。


「そも、マヒロー・リアルドやジム・ドートレスは、どこかの時点で自分達の目的と成果を公表する心積もりだった身の上。それでなくともクーは、自分が何者であるかを隠してなんかいませんでした」


 《箱舟アーク》から外へと向かうとき、クロは彼女の『おむこさん』である《宝物庫を護る巨人スプリガン》を、先遣隊たる戦士団の目の前で消している。

 一時的に姿を隠したのか、それともどこかへ消えたのか――いずれにせよ、クロがそれをなさしめたのだということは、オルランド戦士団の精鋭たる先遣隊も察していたはずだ。


(何をやってるんだ、一体。どこまで迂闊なんだ、俺は――)


 彼らがクロを警戒していたのは、シドも察していた。

 それを分かっていたにも関わらず、その『先』に考えが及んでいなかった。


 セルマという、直接の『知り合い』が相手だったからだ。

 彼女が《連盟》の職員であるということも、オルランドにおける《連盟》が治安維持機構たるオルランド戦士団と協調関係にある――都市の『官憲』に属する存在であるということも、完全に意識から外れていた……


「……彼らは、きみとどんな話を?」


「まず、マヒロー・リアルド達が聴取で語った内容の裏取り――主としてクーが何者であるかという点に関してです。そして、より重要なのがこちらですが、《キュマイラ・Ⅳ》の現状と今後について、ですね」


「全部、正直に話したのかい?」


「はいなのです。クーが話せる限りにおいて、すべてを正直に」


「それは……」


 あまりにあっさりとしたクロの答えに、シドは絶句しかけた。


「……危ないとは、思わなったのかい? 少しも? 俺なんかがこんなことを言えた義理でないだろうけれど、でも、きみは」


「いにしえの時代にこの世界を去った、はるかなる神話が記す旧種族。七柱ななつの《真人》、その一柱ひとつ。《宝種オーブ》」


 すっく、と。屋根の上に立ち。今にも倒れそうな白い両腕をいっぱいに広げて。

 水晶を鳴らすような軽やかさで、宝石の少女は答える。


「ジム・ドートレスらが万難を排し、横紙破りすらなして、なお邂逅と対話を求めたるもの。その価値をはかる天秤に、罪すら載せるを善しとさせたもの。その『価値』を見出されたるもの。

 ながき眠りより目覚め、『時間』を越えたる過去の住人。それがクーです」


 ――くす。くす。くす。


 薄い肩を震わせて。鈴を転がすように笑う。

 毛先に黄玉トパーズ金色きんを乗せ、翠玉エメラルドの翠色を宿した髪が風に吹かれて、まるで月の光を吸ったかのようにきらきらと輝いていた。


「――そうですね。もしかしたらその価値は、あのひとたちにとっても共有された価値であったかもしれません。あの時ひとりぼっちだったクーは、実はとても危険な状況だったのかもしれません――でも、しかたないじゃないですか。しかたなかったんです」


 これより咲きゆく花の蕾のような少女がその美貌へ広げた、それは。


「だって、彼らはとっても不安だったんです。不安で不安でしかたなかったんです。だったら、その心に寄り添ってあげたくなるのは、しかたのないことではないですか?

 クーわたしは《宝種オーブ》――なのですから」


「クロ……?」


 少女のそれは――の微笑みだった。


「だから、みなさんにはクーの知る限りをお教えしました。


 《キュマイラ・Ⅳ》を、《塔》の底へと封じたこと。

 《キュマイラ・Ⅳ》に課されたる制約ゆえに、自身の手による《塔》からの脱出はないであろうこと。

 万に一つそれが起きたとき、その使命を不成立とするための手立てのこと。

 《キュマイラ・Ⅳ》の今後がどうあれ、その使命はこの先おそらく十二周期のうちには、ふたたび不成立になるであろうこと――」 


 その語り口があまりに軽やかで平常だったせいで、シドはあやうくそれを聞き逃しかけた。耳には入ったが、そのことばが意味するところを、あやうく掴み損ねるところだった。


「待ってくれ。それは……どういう意味だい? 十二周期のうちに、《キュマイラ・Ⅳ》の命令が不成立になる、というのは」


「言葉どおりの意味です、シド・バレンス。あなたも薄々、気づいているのはないですか?」


 薄手の夜着に包まれた、薄く頼りない胸元を――するりと、てのひらで撫でて。

 クロはシドを見下ろしていた。優しく微笑んで。


「あなたのおかげで、クーはこの身を縛る呪詛から解放されました。クーがここでこうしていられるのは、すべてあなたの決断、そして尽力あればこそ――心から感謝しています。ほんとうにほんとうです」


 ――けれど。

 それでも、


「でも、わかってしまいました。は消えてなんかいませんでした。

 遠い昔に世界へかけられた絶滅の呪いは、何ひとつ変わることなく、今も確かにこの世界を覆いつづけているのです」


 世界は今も、《真人わたしたち》を呪いつづけている。

 故に、


「そして、それはいつか、そう遠くない未来に訪れて――もう一度、その手のうちへと、クーわたしを捕えることでしょう」

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