136.自分より若くて性格のいい子の厚意に甘えてしまった自覚がある時って、年長者は本当に申し訳なくていたたまれない気持ちになりますよね?


 シドとフィオレがヘズリクの武具店を出た時には、陽はとうに西へと傾きいていた。

 西のはずらに茜色を残しながら、頭上の半ばに夜の藍が広がっていた。


 暮れなずむ夜空を仰ぎ見て、フィオレが「わ」と吐息のような声を零した。


「もうこんな空……すっかり遅くなっちゃったわね」


「なんか、ごめん……」


「えっ? あ、ううん、違う違う。私はいいの。待ってる間なんて、奥さんとずっとおしゃべりしてただけだもの」


 後ろめたさと申し訳なさで消沈するシドに、フィオレは慌てたようにわたわたと両手を振った。


「べつに遊んでたわけじゃないんだから、そんな気にしないの――おつかれさま、シド」


「……ありがとう」


 ――あの後。


 シドは約束通り、ヘズリクの息子や彼の弟子たちの前でみっちりと剣術を披露することとなった。


 本音を言うなら、途中から「さすがに安請け合いが過ぎただろうか」と若干の後悔を感じないこともなかったのだが――ただ使うのではなく、人に『正しく見せる』ために振るう剣というのは、思いのほか気を遣うものだった――その安請け合いで待たせてしまったフィオレの手前、そんな本音は口が裂けても言えない。


「それに、ほら。よかったじゃない。なくしちゃったぶんの装備、これで一式揃うんでしょ?」


 頬を上気させながら、殊更に明るく声を弾ませるフィオレ。

 シドはそんな彼女を、しばしぼんやりと見下ろしてしまっていたが――やがて踏ん切りをつけるように、ひとつ息をついた。


「――そうだね」


 気合を入れて、ぐじぐじと落ち込む自分に喝を入れる――さっきから、却ってこの子に気を遣わせてばかりじゃないか、と。


 一方のフィオレは、そんなシドの顔を下から覗き込むようにしていたが。

 やがて上機嫌に「ん」とひとつ頷いた。


「私はよく知らないけど、鎧って高価たかいんでしょう? それを一着まるごと譲ってもらえるっていうんだから、今日くらいの手間なら安いものじゃない」


 ――そう。

 あの後、工房からぞろぞろと出てきたヘズリクの息子や弟子たちを前に、実地で剣を振るい続けたシドだったが。


 ただ、この時間まで事が長引いたのは、それだけが理由ではない。


 剣の注文だけでなく、防具の調達も、ここで済ませる運びとなったからだった。



『こっちの都合を飲んでもらった礼だ。おれがこしらえたそこのやつからでいいなら、アンタが好きなやつをひとつ、剣のオマケにつけてやる』



 ――と。

 ヘズリクは店頭にずらりと並んだ防具一式を、てのひらでなめるようにずらりと示したのである。

 それを聞いた瞬間、シドは疲れも忘れて絶句し、窒息寸前のような呻きを零すばかりだった。はっきり言って、これは破格の提案だ。


 通常、品質ないし武具の『格』が同等であるならば――煎じ詰めればそのほとんどが『消耗品』である武器の類より、鎧一揃えの方がはるかに値の張るものだ。

 

 そして、無論のことながら、鎧とは受け取ってそれで終わりということには、ならない。他人から譲られるなりした中古品をそのまま使うのでもない限り、着用者の採寸を行い、これに合わせて各所の寸法を調整する工程が発生する。


 こんな俗信がある――全身鎧を身につけて戦場を駆ける騎士は、ひとたび落馬した瞬間、自分ひとりでは起き上がることもままならない。


 俗信である。

 無論、全身鎧が体にかける負荷は、見た目から可能な想像に難くないものではあるが。しかし、たとえ重くとも重いなりに、あれはきちんとものなのだ――鎧が着用者の身体に、しっかり合ってさえいれば。


 体に合わない鎧を無理に使おうとしたところで、干渉して四肢の動きを阻害するばかり。さらには身体のそこかしこへ不作為に要らぬ負荷をかけることにもなる。悪くすればそれだけで負傷にまで繋がりかねない。


 裏を返せば、たとえ武具店での寸法調整を省いた場合であっても、別の形で鎧に身体を合わせる必要はあるのだ。



 ――閑話休題。



 つまるところ、たとえ店売りの鎧であっても、売買にあたっては着用者の身体に合わせて方々に細かい調整を入れたり、場合によっては一部を作り直すまですることになる。

 手間がかかる。そのぶん値も張る。本来ならば。


 そして、つまるところ――店を出るまでが長引いたのは、この採寸と、手付金の支払いも、まとめて済ませていたからだった。


「とはいえ、今から歩いて《Leaf Stone》まで帰るとなると、だいぶんかかるだろうから……帰りはどこかの停留所で、馬車なり拾おうか」


「そうね。あんまり帰りが遅いと、さすがにお夕飯片付けられちゃいそうだし……クロにもまた怒られちゃいそうだし」


 クロの名前を口にするとき、若干ばつの悪そうな顔をするフィオレ。その横顔に、シドはつい噴き出してしまうのをこらえきれなかった。


「もうっ。シド?」


「あ、いや、ごめん。つい……でも、そうだね。クロはしっかりした子だものね」


 頬を赤くしながらむっとするフィオレに、手刀を切って詫びる。


 ――そう。

 実際、クロはしっかりした子だと思う。見た目こそ十代前半の少女そのものだけれど、ぼんやりした中年の自分などより、よほどきちんとものごとを見定めている。


「でも、うん。怒られるときは、俺も一緒だからさ」


「なにそれ」


 花のように笑うフィオレにほっと胸を撫で下ろして、シドも小さく笑う。


(けど――)


 ――本当のところ、一体いくつくらいの年頃なのだろう。彼女は。


 たしか、『十三周期の乙女』だと自称していたはずだが。まず、その『周期』なる概念がどれくらいの時間を指すのかからして、シドには判然としない。

 十代前半に見えるというのもあくまで自分のような『人間種族』のそれと比較した場合のことで、たとえば《宝種オーブ》は、小人ハーフリングのように人間より小柄で子供のように見える、そうした類の種族であったかもしれない。


 こと《真人》にまつわることでシドの知識にあることなど、せいぜいおとぎ話に語られていることくらい。

 仮に何か分かるとしたら――手近なところではリアルド教師か、あとは彼女の生徒だというジム・ドートレス達くらいのものだろうか。


 彼女達は、クロを呪詛から解放する目的を持って《箱舟アーク》へ入ったパーティだ。その後の算段を、まったく立てていなかったということはないはずだ。


 クロをシド達の手元へ預けることをよしとしたのも――決して、目覚めたばかりの少女に対する配慮というだけの理由ではなかったのかもしれない。

 そうした理由でシド達の手に預けておいても、なお問題なく面倒が見れるという、その目算あってのこと。あれは、そうした判断に基づく裁量だったのではないだろうか


 だとしたら、この先――


(……この先、クロをどうするつもりでいるんだろう。彼らは)


 ――過去との邂逅。過去との対話。

 彼らの目的は明白だ。である以上、いつまでも今のまま、クロの身柄を他人のもとへ預けておくつもりもありはしないだろう。現状は一時的な保留にすぎない。


 だが――


「シド?」


 ――と。


 唐突に背中を打つ声に、はたと脚を止めて振り返る。

 脚を止めたフィオレが、いくぶん困惑の滲む面持ちでシドを見ていた。


「停留所、ここ。行きすぎよ?」


「……あ」


 シドは踵を返し、早足で引き返す。

 ぼぅっと考えに沈んでいるうちに、目的の停留所を通り過ぎてしまっていたようだった。


 駆け戻ったシドをじっと見上げて。フィオレは不意に、ぽつりと切り出した。


「ね、シド」


「?」


「もし……待たせたのを悪かったと思ってくれてるなら。今更だけど、ひとつ教えてもらってもいい?」


「え? うん、いいけど。俺に分かることなら……」


 唐突な問いに面食らいながら、こくこくと頷く。

 だが、何を訊きたいというのだろう。今になって、フィオレからこうしてあらたまって訊ねられるようなこと――正直、シドには心当たりが何もない。


 フィオレはどことなく落ち着かなげに、肩にかかる髪を親指と人差し指の間で擦るようにいじっていたが。

 やがて意を決したように、おずおずと訊ねてきた。


「さっきのおはなしの――『イルダーナフ』さんって、誰? どういうひと?」


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