132.幕間:彼女と彼女達の最適解


 ――悪いことをしてしまったかな、と。


 広場から歩み去る背中に向かってニコニコと手を振りながら、後悔の針がちくりと胸を刺すのを、クロは感じていた。


 後で挽回可能と見込んでのことではあるし、これが最適解であろうという感覚も同時にある。

 だが、世話焼きでかまいたがりの彼女を素っ気なくあしらう格好になったのは事実で、彼女は明確に落ち込んでいた。


 心がつながっているから分かってしまうし、たとえ心がつながっていなかったとしても、遠ざかる背中を見ていればそんなものは一目でわかってしまう。


 わたしクーにはおねえさんぶってたくせに、何てわかりやすいひとなんだろう――と。むしろ微笑ましく、クロは社交的な作り笑いと別についつい緩んでしまう、己の口の端を自覚していた。


 けれど、これが現状における最善の最適解だ。

 クロを取り巻くに対し、もっとも調和した最善の選択であるはずだ。シドにとっても、クロにとっても――もっとも、フィオレの落ち込みように関しては、シド・バレンスがどうにかしてくれようとしてくれているみたいだったけれど。


 ――そして、


「さて。それではクー達も行きましょうか、セルマ。セルマ・オリゴクレース」


承知しましたアイ・コピー。日用品のお買い物でしたね。では、当機わたしが常用している店へご案内を」


「はい、それはもちろんありがたいのですが。その前に」


 それは、にとっても。


ご用事を、先に済ませてしまいませんか?」


 クロを見つめるセルマの瞳は、凍れる湖面のように静謐だった。動揺も狼狽もなく、水晶色の瞳が感情に揺れることもない。


 ただ、そのうちにある心――シド達のそれと同じではなくとも、クロにとっては確かにそれが、急激な思考を巡らせる。その暴風のような圧と速度を、クロの心は確かに感じていた。


「セルマ・オリゴクレース、あなたはずっとクー達を見て、監視していましたね? いえ――見ていたというのは実情に沿うものではないですから、正しく言うなら『聞いていた』というべきでしょうか。昨日の夜からずっと――きっと、クー達が眠っている間もずっと、そうしていたのでしょうね」


「……クロ様」


「信じてはもらえないかもしれませんが、責めているのではありません。だから、どうか緊張なされないでください――ただ、クーにはそういうのがわかってしまうんです。あなたとも、心がつながっていますから」


 ――否応なしに、繋がってしまうから。


「……当機わたしは、機甲人形オートマタです」


「それは無意味な切り分けです。『心』という言い方に納得いかないのなら、あなたの『演算』と言いなおします。あなたの『』、クーはそれを『心』と呼称しているのだと、そのように理解してください」


 感情とは、情動とは、煎じ詰めればそれらによって励起される反応だ。

 その断定はあくまでクロの解釈――最大限に見積もったところで、事実の一面にしかすぎないものだろうが、だとしても今は、彼女セルマが納得してさえくれればそれでいい。


「シド・バレンスやフィオレは、まだ気づいていません。これ、聴音観測パッシブというのですか? とても便利みたいですね、すごいです――視線のまったく通らない物陰に身を隠していたのに、ちゃんと会話を拾い上げることができる。朝からクー達がしていたおはなし、ぜんぶ聞かれていたのですよね」


 むしろ慰めるように、やんわりと言うクロ。

 セルマの応答は、演算思考の間を挟んで少し遅れた。


「どうして――」


「どうしてそこまでわかっていながら、ここに一人で残ったのか――ということなら、これが現状の最適な行動と判断したからです。いちばん手間がなくて効率的です。

 どうしてそこまでわかっていながら、あなたを責めるつもりがないのかということなら、それがあなたの主体的な判断に基づく行動、何らかの下種な勘繰りや好奇心などによるものではないのもわかっているからです。ずっと心がつながっていたので」


 クロは、邪気のない笑顔を広げて、


「あなたの見ていたもの、聞いていたもの、感じたもの、心に描いたもの、すべてクーは知っています。つながっていたので。だから、がそこからこちらを見ている方の命令オーダーによってなされたのだということも、クーにはわかってしまっているのです」


 そう言って振り仰いだその先。

 そこには《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部の、荘厳さすら感じさせる建屋があり、通りに面して並ぶぴかぴかの窓がある。

 そのひとつに向けて。クロはにっこり笑って、手を振ってみせた。

 あの建屋でいちばんえらい人──オルランド支部の支部長に向けて。


「あの方たちに対しても、怒ってなんかいません。むしろ、あの方の置かれたお立場には深く同情します。かわいそうだと思います。

 そして同時に、その結果としてセルマ・オリゴクレースが監視のまねごとをしていたという事実は、あなた方以外の誰に対しても伏せられているのが最善の状態であると思うのです」


 無用の亀裂を作りたくはなかったし、残したくもなかった。

 誰と誰の、心の間に対しても。


 ――分かってしまうから。

 たぶん、《宝種オーブ》というしゅが、だから。


 連盟支部の窓辺から視線を外し、クロはあらためてセルマと向かい合う。


「マヒロー・リアルドやジム・ドートレスから、事の次第を聞いたのでしょう?

 いえ、正確にはまだ聞いている途中みたいですね――ただ、それらの結果として、今度はクーのおはなしを聞きたくなった。だから、クーの『監視』という、クーを呼ぶことにした」


 そして、大輪の花のような笑顔を広げた。

 宝石のように輝く、笑顔だった。


「いいですよ、行きましょう? クーは拒みません。、シド・バレンスとフィオレには行ってもらいました」


 ――これが、最善。

 シドとフィオレは二人にとって必要なことをする。

 そして、彼らが触れるべきでないものごとは、秘密裏に、何らの摩擦をも残すことなく進行する。


「クロ様――」


「ただ、おはなしが終わった後は、どうかクーのお買い物につきあってくださいね。クーにとって外の世界はわからないことだらけなので、勝手がわかる方がいてくださるのは安心できることなのです――シド・バレンスとフィオレにはお買い物をすると言ってしまいましたから、その帳尻も合わせないといけませんし」


 セルマは静かな面持ちのまま、ただ微かに唇を噛んだように見えた。

 ひとならざる機械仕掛けの娘が見せた、それは荒れ狂う演算の表出であったようだった。


「案内してください。あちらのお部屋へはどう行けばいいですか? クーは心でつながっていますが、それは裏を返せば、心に浮かばなかったものごとまではわからないということなのです」


「――こちらへ」


 物静かに先導するセルマの後に続いて。

 クロは軽やかに歩き出した。

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