128.クロの面倒は、ありがたくもフィオレが引き受けてくれたので。おっさん冒険者はその間に、自分の買い物を済ませてしまうことにします。


 最初に立ち寄った女性服の仕立屋から見て、同じ通りの斜向かいにあたる、こぢんまりとした石造りの二階建て。そこで、その店は軒先を開いていた。


 靴屋である。

 昔ながらの、靴職人の店だ。


 シドが薄暗い店内を覗き込むと、靴型に合わせて革靴を仕立てていた靴職人がその気配に気づいてか、作業の手を止め、じろりと検分するように見上げてきた。

 白い髪も髭も山妖精ドワーフのようにもじゃもじゃの、がっしりした体つきをした壮齢の靴職人だった。


「……客かね? 今ある靴なら、そこの棚にあるのが全部だが」


「靴の注文をお願いしたくて来ました。《Leaf Stone》のナザリさんに、この店がいいと伺って」


 ナザリの名前を出すと、気難しげな靴職人の眉が片方だけ僅かに跳ねた。

 曖昧な笑顔を広げるシドを頭のてっぺんからつま先まで見下ろし、靴職人は髭の内側でちいさなため息をついたようだった。


「お前さん、冒険者か」


「はい」


 シドは苦笑混じりで頷く。


「前回の冒険で、使っていたブーツを駄目にしてしまって……」


 衣服がそうであるのと同じように、 当世の靴は都市をその中心として、職人ならざる工員の手による工業製品が広まりつつあった。工業製品といっても、靴職人が作るそれと遜色ない仕上がりの靴である。


 工業化の進展に伴い、都市において中流やそのさらに下まで顧客の領域を広げるようになった仕立屋テーラーと裏表をなすように、どこの村でも必ず一軒はあるであろう靴職人の店は、都市においては注文品の請負やその修理――顧客一人一人の足に合わせる高級化と、ブランディングが進んだといわれている。


 オルランドにおいて、それら『注文品』の需要は明確だ。

 冒険者達の需要である。


 もとより、余人よりもはるかに旅の空の下にあるのが冒険者というものだ。足に合わない靴を履いて長歩きなどすれば足にびっしり肉刺を作ることになるし、時には足元の僅かなズレが、致命的な動作の遅れに繋がることすらある。


 いにしえより冒険者とは、元手の要らない生業なりわいだと言われる。しかして、長く確実に生きてゆこうと思うなら、求められる出費がどこまでも跳ね上がってゆくのも、また冒険者という生業である。

 とりわけ足元の利便に関わる靴は、冒険者各々の――大雑把なところだけでも、戦士ならば戦士なりの、斥候スカウトならば斥候なりの――求める機能や、こだわりというべきものが出てくる部分だ。


「どういう靴が欲しいんだね?」


 作業の手を完全に止めて、靴職人はシドへと向き直った。

 いかにも気難しい職人といった佇まいの彼にひとまず話を聞いてもらえることに、ほっとしながら。シドはポケットから折りたたんだパルプ紙を取り出す。


「前に作ってもらった靴屋で貰った、図面があるんです。これと同じものをお願いできますか」


 靴職人のところまで歩いていき、ちいさく折りたたんだパルプ紙を手渡す。

 紙を開いてその中身を見下ろし、靴職人は難しい顔つきになる。


「随分と補強が多いな。脛鎧グリーヴつきの鉄靴も同然か……」


「難しいでしょうか」


「いいや」


 かぶりを振ると、靴職人はおもむろに顔を上げてシドを見た。


「だが、こいつは一両日中には無理だ。時間がかかるが、構わないな?」


「はい。それはもちろん」


「なら、そこの椅子に座りな。足のサイズを測らせてもらう」


 脚の短い、こんな場所にあるのでもなければ子供が使うものにしか見えないちいさな椅子を、顎で示される。

 シドが椅子に座って編み上げサンダルを脱ぐ間に、靴職人は使い込んで薄汚れた木製の机から、巻き尺とパルプ紙の束、鉛筆を引っ張り出す。

 その視線が、テーブルに置いた最前の図面へと向く。


「この靴、履き心地はどうだった」


「よかったですけど……」


 少なくとも、不便を感じたことはない。思ったままを答えるシドに、靴職人はもじゃもじゃした髭の内側で笑ったようだった。


「なら、次にこれを作ったやつと会うときには酒でも差し入れてやるといい。冒険者相手の商売とは言え、随分と手の込んだものを作る――腕のいい靴職人だっただろう」


「はい」


 そうします、と頷くシドに。

 昔気質の靴職人は顎をしゃくって、足を出すよう促した。



「二週間したらまた来い。それまでには仕上げておく」


 左右の足のサイズを丁寧に測り、注文の対価となる手付金を支払って、その日は店を出た。

 この時点で、彼の中では既におおよその段取りは算段がついているのだろう。靴職人の言葉は熟練の職人らしく、確信に裏付けられて頼もしかった。


 足元が編み上げサンダルのままではいい加減さすがに頼りなかったので、店を出る間際、間に合わせの革靴を一足買い求めた。過酷な冒険に堪えるほどの頑丈さはさすがに期待できるものではなかったが、それでも足元は、随分と頼もしくなった。


 靴底の具合を確かめるように歩きながら店を出ると、ちょうどフィオレとクロの二人が、仕立屋の店先へと出てきたところだった。


「あ、シド。そっちも終わったの?」


「ああ。品物の受け取りはまた今度になるけれど――」


 ぱんぱんに膨らんだ紙袋を胸元へ抱えたフィオレへ、そう答えながら。シドは彼女の後ろに立つクロを見た。


 控えめなフリルの装飾がついたブラウスと、裾が脛までかかる濃紺のジャンパースカート。襟元には明るい青の紐リボン。襟元にはちいさなブローチまでついていた。

 足元も、彼女の足にぴったりサイズの合った編み上げサンダルに履き替えて、見違えるように女の子らしい装いとなっていた。


「たくさんおまけしてもらっちゃったわ。このブローチなんか、職人さんの習作だからって言って」


 明るく声を弾ませながら、得意げにはにかむフィオレ。

 シドも相好を崩して、ひとつ頷いた。


「うん、素敵だね。よく似合ってるよ、クロ」


「それはどうも。ありがとうございますです」


 いくぶんかの素っ気なさを感じるくらいのそつのなさで応じ、クロはスカートの裾を摘まんで典雅なカーテシーの所作を取った。

 一方のフィオレは、そんなクロを見下ろしながら、少々物足りなげな顔をする。


「もっといろいろ買ってもよかったのよ? お金ならまだあったんだし」


「三着分もあったら、着まわす数としてはじゅうぶんすぎますよ。厚意はありがたいことですが、先々何があるかわかりません。あまり無駄遣いをするものではないと思いますよ、フィオレ」


 すん、と澄ましたその物言いにがっかりしたような息をつくフィオレの様子で、シドには――ごく漠然と、何となくではあったが――クロの素っ気なさの理由に察しがついた気がした。

 ドアにはまったちいさなガラス越しに店内に目を向けると、先ほど見た仕立屋の女性も、どことなく名残惜し気にこちらを――より正確にはクロを――見送っていたようだった。


 《真人》種族の一柱ひとつ、《宝種オーブ》の末裔すえであるがゆえのことか。クロはまさしく種の名を示す通りに宝石のそれを思わせる、可憐にして華やかな輝きを宿す美少女である。


 今のような、どちらかといわずとも地味めの装いでも、行き交う人々の目を否応なく引き付けてしまうくらいに。

 その彼女に服をあつらえるのは、さぞ甲斐があり、楽しいことであっただろう――服飾の世界に身を置くような女性であれば、それはなおのこと。


 ふたりの『着せ替え人形』にされる時間を、いかにしていなすか──つまりは、そういうことだったのだろう。


「……お疲れ様、クロ」


「それほどでもありませんよ。シド・バレンスを待たせず済んで、なによりでした」


 ──クロは他者と心を『繋ぎ』、その心に映るものを見るという。


 つまりは、ずっと『見て』いたはずだ。

 フィオレや店の仕立屋が、自分をどんなふうに見ているか。靴職人やシドが、どのタイミングから話を切り上げようとしはじめていたか。

 

 力のない苦笑混じりでねぎらうシドに、クロは「それに」と澄ました顔で、


「べつに嫌いではありませんから。こうしたことは、かまわれているうちが華というものです」


 年頃の割に大人びた――あるいは、逆に子供っぽさを気取った――おしゃまに澄ました横顔で。

 クロは、そう答えた。

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