127.女の子にいつまでも男物のシャツを着せておくのは、さすがにフェチが過ぎるので。まずはクロの着替えを買いに行くことにしました。


 中世のいにしえの頃ほどではないとはいえ。

 当世の《大陸》においても、庶民の領域における衣料品は、未だ資産のひとつと扱いうる程度には値の張るものであった。


 たとえばこれがミッドレイのようなちいさな町や、その周辺の村落であれば、日用する服の多くは親兄弟や他所の家から譲り受ける古着の類か、あるいはそれら古着を材料として仕立て直したものである。

 他所の土地の売り物を持って村々や町を渡り歩く巡回商人が扱う衣類も、完成品はその大半が古着の類――言うなれば『古着屋』の領分である。

 

 服を新調する場合は、商人から布地を買って、各々の家で一から仕立てる。

 家庭において、妻たる女性に裁縫の技が求められる、つまりはそれが理由だ。


 とはいえ、こうした新品の布で仕立てた服というのは、そのおおよそが、祭りや祝いの時だけ着るような晴れ着の類である。日用することはまずない。


 こうした晴れ着のうち、やがて使わなくなったものや古くなったものを、日常に着まわす服として転用したり――あるいは平時の服として似つかわしい塩梅に仕立て直すなどして、あまりの端切れに至るまでたいせつに使う。そうしたものだ。


 だが、近年の都市部――とりわけ、クロンツァルトの王都ウェステルセンや、このオルランドのような大都市では、少しばかり様相が異なってきていた。


 いわゆる、『古着屋』の類とは別に。

 新品の服を新たに仕立てる仕立屋テーラーや、契約した仕立屋テーラーから卸した服を売る服飾店の類が、従来の顧客であった貴族や豪商相手の高級店ばかりでなく、庶民――とまではいわずとも、都市の中流層に属する一般市民を顧客とする店舗が現れる程度にまで、広く普及しつつあったのである。


 縫機ミシン――いわゆるところの足踏み縫機ミシンの発明と量産に伴う、服飾の工業化、その恩恵たる産物であった。


 装飾の多いものや、上等な仕立てのものに関しては、まだまだそうもいかないようだったが。しかし、きちんとした型紙さえあれば比較的容易に縫製可能なシャツやブラウス、装飾なしの簡素なスカート類などを皮切りとして、従来よりも安価かつ簡素な仕立ての新調品が、都市の店舗で売買されるようになったのだ。


 そして、ナザリの紹介でシド達が訪った店もまた、それら近年に増えつつある中流向け服飾店、そのひとつであった。


 店舗と一体化した縫製工場で仕立てた服を売るという、仕立屋テーラーが店主を兼ねる形式の女性用服飾店。下着ドロワーズの販売から長衣ガウンの仕立て、帽子や装飾の小物――貴金属の類は、店と契約した彫金師の手によるもののようだった――に至るまで、およそ女性服の類であれば何でも揃うというのを売り文句に掲げた、このあたりでは評判の店であるという。


 華やかな装飾の看板が目立つ店構えに、シドは訳もなく圧倒されそうになった。

 それでも意を決して、瀟洒な掘り込みを施した洒落っ気のある扉を開くと、その先からどっと吹き寄せた空気に、シドは「うぐ」と息を呑むこととなった。


 そこは言うなれば、『女性の世界』だった。

 異分子たる男の身には慣れない、衣服のそれとも香水のそれともつかない濃密な香気が、こぢんまりした店の中にはいっぱいに満ちていた。


 店内の各所には、瀟洒なブラウスと吊りスカートの一揃えや、ワンピースを着せた飾り台。飾りの美しい帽子を書けたハンガースタンド。棚に並んだ女性用の靴やブーツ――そうした華やかな服飾が並び、シドはそれらから放たれる得体の知れない『圧』を感じて怯み、店への立ち入りを躊躇った。


「……私、ついてきて正解だったみたいね」


「そうだね。本当にそう思うよ」


 フィオレが苦笑混じりに零した感慨に、シドは心から頷き、彼女の存在に感謝した。


「いらっしゃいませ。何かお求めですか?」


 女性向けの仕立屋だからということか、応対に出てきた店主も若い女性であった。仕立屋らしく、裁ち鋏や印付けのチョークをポケットへ落としたエプロンをかけた作業着姿だったが、その実用一点張りの着こなしの中にもどことなく洒落っ気を感じさせる、そうした類の女性だった。


「ええと、ああ、はい。実はこちらの子の――」


 と、クロの方へ目を向けようとしたとき。

 その先で無造作に並んでいた下着ドロワーズの柔らかそうな布地がいっぺんに目の中へ飛び込んできてしまい、シドはほとんど反射でそちらから目を背けた。

 ぽかんと目を丸くしている店主へぎこちなく笑って、シドは続ける。


「――服を、見繕いたくて。《Leaf Stone》のナザリさんに、こちらの店なら女の子の服が一式揃うと伺って」


「ああ、ナザリさんのご紹介でしたか」


 得心いったという風で、女性は表情を明るくする。どうやらお互い顔なじみ同士らしい。

 その目が流れるようにクロの方へと向き、そして、すぐに理解の色が広がった。


 その時のクロはといえば、物怖じする様子もなく興味津々の様子で店の中を見渡した末に、飾り台に着せてあったワンピースへちょこちょこと近づいていき、間近でためつすがめつしはじめていたのだが。


 今の彼女は昨日と同じく、男物のシャツを二枚重ね着して丈の短いワンピースのようにした格好で、足元はサイズの合わない編み上げサンダル。

 サンダルは、フィオレが予備の履物として荷物におさめていたのを貸したものだ。ただ、足のサイズがちいさなフィオレのそれでも、クロの足とはまだ微妙にサイズが合わなかった。


 少しばかり町を歩く程度なら、今のところ特段の支障はないようだったが。それでも、無理に使い続ければ、足に肉刺まめを作ることになりかねない。服飾に慣れた女性の目から見れば――否、たとえそうでなくとも、クロの身の回りのちぐはぐさ加減は、一目瞭然のことであった。


「承知しました。でしたら、あの子の年頃に似つかわしいものを一式――いくつか、着こなしを見繕わせていただきますが」


「ありがとうございます。でしたら俺は、他所で別の買い物を済ませてきますので」


 店主の女性が若干言いづらそうに口ごもるのに先んじて、シドは言った。


 この場合のとは、下着ドロワーズ肌着シュミーズも含めた文字通りの『一式』であろう。男のシドに立ち会わせるのは躊躇って当然だし、シドとしてもそんな場面に立ち会うのは、気まずいどころの騒ぎではない。

 ただ、唯一問題があるとすれば、


「フィオレ……その。ほんとに悪いんだけど、あとは」


「いいわよ。任せて」


 フィオレは明るく請け負った。


「じゃあ、クロ。俺はこれで――しばらくは向こうの靴屋にいるつもりだから、後で合流しよう」


「…………いってらっしゃい」


 意気込みの垣間見えるフィオレを一瞥して、クロは少々複雑そうな――強いて形容するなれば、『厄介事のにおいを嗅ぎつけた猫』みたいな渋い顔つきをしていたのだが。


 生憎なことに、そんな彼女の様子には気づき損ねたままで。

 シドは居心地の悪い『女性の空間』からそそくさと表へ出ると、身に馴染んだ表の空気の心地よさに、大きな安堵の息をついたのだった。

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