126.明日の昼まで丸一日以上の余裕ができたので、おっさん冒険者は買い物へ出かけようかと思います。


 「ところで、シド・バレンス。その封筒の中身ですが――」


「え? ああ……」


 リアルド教師に呼びかけられて、我に返る。

 蜜蝋で閉じられた封を切り、中の書面を確認する。隣から、フィオレがちょこんと書面を覗き込んでくる。


「何と書いてありました?」


「……明日の午後二時、《諸王立冒険者連盟機構》オルランド支部へ来るように、とのことでした」


 より正確には、そうした主旨の文面が、より格式ばった言葉選びで記されていた。

 それを聞いたリアルド教師は難しい顔をしながら、口元を掌で覆って考えに沈む。


「何か、気になることでも?」


「……我々、《軌道猟兵団》が出頭を命じられたのは、今日の午後です」


 つまるところ、あの場の全員を一度に呼び集めるのではなく、パーティごとの順繰りで話を聞いていくという流れらしい。

 しかし――


「どうやら、我々が口裏合わせを行う可能性を回避する――といった意図は、あちらにはないようですね」


 それは連盟からシドへの封書をリアルド教師へ預けたという一事からだけでも、十分に読み解けることではあった。


「でしょうね。信用されていると見るべきか、他に何かしらの意図あってのことと取るべきか」


 そして、眉をひそめるリアルド教師の心象としては、後者であるようだった。

 オルランド支部の支部長を名乗るスリーピース・スーツ姿の小男に、彼女はいい印象がないらしい。


「いずれにせよ、我々の側にはひとつとして隠し立てすべきところなどありません。あちらの意図は知れませんが、事実を以て堂々と立ち合えばよろしいことでしょう」


「……そうですね」


 シドの本心を言えば、そこまで単純には考えられそうもなかったのだが。

 ひっそりと胸によぎる予感は心の奥底へと封じて、シドはリアルド教師の激励に頷いた。




「《来訪者ノッカー》の行方は、我々の方で引き続き捜索を続けます。何か進展があれば、またあらためて情報を共有しにまいりますので」



 そう言い残し。午後の出頭へ向けた支度が残っているということで、リアルド教師は早々に《Leaf Stone》を去っていった。


 来客が去った一階のレストランに、開店前特有の、穏やかな静けさが戻る。

 ひっそりと落ち着いた店内で、シドは天井を仰ぎ、緊張をほぐすようにぐぅっと大きく伸びをした。


「シド?」


「え? ああ、うん……なんだか急に、時間があいちゃったなって」


「そうね」


 シドのぎこちない応答がおかしかったのか、フィオレはクスリと笑う。どうにもばつの悪い心地で頬を掻きながら、シドは話を仕切りなおす。


「で――なんだけど。今日はせっかく時間が空いたことだし、今のうちに買い物を済ませておこうと思ってるんだ」


「……次の冒険までに、いろいろ買いなおさなきゃだものね。装備とか」


「うん。それも含めてね」


 石化した装備のうちでかろうじて回収できたのは、予備の武器として持っていた短刀ダガーと、ベルトポーチにおさめていた小物類がいくつか。これくらいだった。

 短刀ダガーは、ガードの一方が折れていたものの、本体は無事。ポーチの方は、本体の一部が欠けてしまったものの、中身の大半は無事だった。


 てっきり装備の新調だと思っていたらしいフィオレが、シドのあやふやな応答に不思議そうな顔をする。そんな彼女に、シドはあらたまって話を続けた。


「それで――なんだけど。もしよかったら、フィオレも一緒に来てもらえないかな。買い物」


「え。……私っ?」


「う、うん。そう……フィオレに。迷惑かもしれないけれど、お願いできないかな」


 フィオレはびっくりした猫みたいに目を丸くして、睫の長い目をどぎまぎと瞬かせる。

 思いがけない反応の大きさに、内心で「何か余計なことをやらかしただろうか」とおたつきそうになりながら、シドはぎこちなく頷く。


「いや、そりゃあ昨日はフィオレにもだいぶん無理をさせちゃったし、キツいなら部屋で休んでてくれてていいんだ。買い物くらい、俺だけでもなんとかなるし。ただ」


「ぅえぇ!? う、ううん? べつにそんなこと――へいき。買い物、行く。シドと一緒に行くわ」


「そっか――ありがとう、助かるよ」


 シドはほっと安堵の息をつく。

 フィオレは何だか妙にそわそわして、肩にかかる髪を指でいじっていたが、


「クロの服や、他にも日用品なんか、早めに揃えてあげないといけないなって思ってたからさ……やっぱりそういうの、男の俺なんかより、女の子同士の方が勝手が分かっていいだろ? フィオレが来てくれると、本当に助かるよ」


「…………あ、そっか。そういう」


「?」


「ううん? 何でもないのこっちの話。そうよね、たしかに今のクロが着てるのって、ロキオムが買ってきた男物のシャツだけだったものね」


「うん……」


 たいへん気まずいことに下着の類は未だつけていないし、さらに言えば、まず足に合った靴がない。


 この先どういう形になるにせよ、彼女はこれから、この時の世界で生きてゆくことになるだろう。

 服はもちろん、洗面具をはじめ諸々の身の回りのものも必要だし――女性にとってのそうしたものの中には、男のシドでは念頭にも浮かばないような類の品だって、あるかもしれない。


 無論――《真人》は人の姿をしているとはいえ、シドのような人間や、フィオレ達のような妖精種とは、異なる種族ではある。これは、その差異を理解しきれていない段階での、勇み足ではあるかもしれない。

 だが、だとしても。服にせよ日用する身の回りの小物にせよ、なくて困ることこそあれ、あって困るということは、そうそうないはずだ。


「……食べ物が俺達と同じもので賄えるみたいなのは、ほんとによかったけれど」


「そうね。言えてる」


 安堵を零すシドに、フィオレも首肯する。


「これがもし、《宝種オーブ》だから宝石がご飯です――なんて言われちゃったら、これから先が大変になっちゃうとこだったものね」


「さすがにそれは安直すぎるような……うん、でも、そういうのじゃなくてほんとによかったよ」

 

 実のところ、フィオレの冗談くらいのものならば、事態としてはまだいい方だ。

 最悪、「何を食べさせればいいか分からない」などという、八方塞がりの事態すらあり得た。何せ相手は、はるかいにしえにこの世界を去ったと言い伝えられてきた、《真人》種族の一柱ひとつ――シド達にすべてとっての異種族、異邦人に等しい存在である。


 ゆえに、現状は本当に幸運だったと、心からほっとしていた。

 少なくとも、呪詛から解き放たれたクロを飢えさせてしまうような――そんな惨い事態だけは、回避できているのだから。


「――じゃあ、クロが動けるようになったら、出かけるとしようか」


「うん。私、お出かけの支度してくるね」


 まずは、クロの衣類と靴。それから日用品の類。

 それから、シドのブーツ――ラフな街歩き用の編み上げサンダルくらいならあるが、取り急ぎ《キュマイラ・Ⅳ》との戦いで失ったのと同じかそれに準ずるつくりの、冒険に使える頑丈なブーツが欲しい。

 失った剣と鎧に代わる、新しい武具もだ。短刀ダガーだけでは、さすがに厳しい。


 外套マントだけは、クロに貸したものを返してもらうのと、あとはユーグに押し付けられた黒い外套マントの二枚があるので、問題ないどころかむしろ予備が増えて過剰なほどだったが。ともあれ、


「なんだいあんた達。今日もお出掛けかい? せわしないねえ」


 階下で話が終わった気配を察してだろうか。

 二階で横になったクロの面倒を見てくれていたナザリが、一階の食堂へ階段を下りてきたところだった。

 フィオレが「はい」と頷く。


「明日の午後まで時間ができたんです。だから今のうちに、クロの服と身のまわりのものと、それからシドの新しい装備を揃えちゃおうって」


 ナザリは「ああ」とシドを見遣り、山妖精ドワーフらしい丸顔に同情の気配を滲ませた。


「それでなんですけど、ナザリさん――」


 んん、とわざとらしく、仕切りなおすように咳払いをして。

 フィオレはあらためて、ナザリへと切り出した。


「……このあたりでそういうお店、どこかいいところご存じじゃないですか?」


「はあ?」


 いくぶん気まずそうに、おずおずと言うフィオレに、ナザリは呆れ顔でため息をついた。


「何だいなんだいフィオレ。若い娘がこーんなでかい街に来といて、まだ行きつけのひとつもないってのかい? あんたもうこっち来てから、一月ひとつきくらいにゃなるんじゃなかったっけ?」


「それはその、なんていうか……ずっと、それどころじゃなかったから……」


 えへへ、と力なく笑うフィオレ。

 ナザリはシドの方をちらと一瞥し、それからヤレヤレとばかりにかぶりを振った。


「分かったよ、んじゃあ地図書いてやっから。ちょっと待ってな」


「ありがとう、ナザリさん。大好き!」


 朗らかな笑顔を弾けさせるフィオレに。

 背を向けたナザリはてらいを払うように、「はいはい」と雑に手を振って寄越した。

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