124.《箱舟》から帰ってきました――が、どうやらいろいろと、やらなきゃならないことが山積みみたいです。


 《キュマイラ・Ⅳ》を《塔》へと封印した、その後。


 第三層の《塔》までやってきた戦士団の先遣隊――サイラスと、《諸王立冒険者連盟機構》の支部長の二人に率いられた彼らに案内されて、シド達は《箱舟アーク》から帰還した。


 シドとフィオレ、ユーグと《ヒョルの長靴》の冒険者達。《軌道猟兵団》。ラズカイエン。そして――クロ。

 彼女の『おむこさんリンク』である《宝物庫を護る巨人スプリガン》とは、《箱舟アーク》の第三層で別れた。


 というより、クロが何事か呼びかけると、《宝物庫を護る巨人スプリガン》は雲かかすみのようにその姿を搔き消してしまい、それきり現れることがなかったのである。


 少なからず警戒の対象としていたであろう《宝物庫を護る巨人スプリガン》を、呼びかけひとつでどこかへ消し去ってしまった少女の存在に、オルランド戦士団の戦士達は――のみならずサイラスですら、少なからず動揺の気配を漂わせ、クロに対する警戒を強めていたが。

 唯一、スリーピーススーツ姿の支部長だけは、にんまりと面白がるように頬の皴を深くさせながらその顎を撫でただけで、冷めた目で自分達を見遣るクロに対しても、それ以上の反応を見せることをしなかった。


 帰路として通ったのは、行きに上がってきた時は別の、まったく別のルートだった。

 先遣隊の戦士団が《塔》へ来たのは、冒険者のキャンプがある第二層への階段がある方角だったのだが――帰路として連れていかれたのは、そちらとはまったく別の方向だった。


「何なんだよ、薄気味悪ぃな……」


 うそ寒い面持ちで、ロキオムが唸る。

 無理もない反応だと、シドは思う。


 十名の戦士は兜の面頬を完全に下ろして顔を隠し、シド達の周囲を囲むようにしながら歩いていた。一切の言葉を交わすことなく――まるで、犯罪者を連行しているかのようだった。


 支部長の小男は一行の先頭に立って早足で歩き、その隣で歩調を合わせるサイラスだけが、時折気づかわしげな面持ちで、後続のシド達を振り返っていた。

 

 階段を下りて出た先は、《箱舟アーク》の中へ入るときに通った、天井が高く広い通路だった。

 だが、行きに通った道とは違う。つくりこそ同じだが、あの時と別の道であるのは、一目でそうと察せられた――《箱舟アーク》の中へ向かう側と、外へ出る側。その双方の扉が、完全に閉じていたからだ。


「こちらですよ、みなさん」


 にんまりと頬を吊り上げて笑う小男に先導された先――小男がスーツの懐から取り出したちいさなパネルを操作すると、正面の扉が音もなく左右へと開いていった。


 外へ出ると、枯れた荒野の先に森が広がっていた。

 その光景で、シドは遅れながらにして、自分達の位置関係を理解する――ここは《箱舟アーク》の裏側だ。

 目の前に広がる森はオルランドから見て、かの巨大な塔の反対側――《箱舟》を中心に広がる荒野を越えた先にある、三方を峻険なる稜線に囲まれた緑深き未開の森である。


 背の高い扉のすぐ横には、馬車が止まっていた。

 都市内部で利用される箱馬車ではなく、町の間を繋ぐ乗合馬車や、交易などに使われるタイプの、大型の幌馬車である。身なりのいい、しかしどこか鋭い雰囲気をその身にまとった御者が、御者席に座っていた。


 馬車の傍に控えていた一人の女性――青を基調とした連盟の女子職員用制服に身を包んだ、ショートの銀髪の小柄な娘が、楚々とした完璧な所作で恭しくこうべを垂れる。


「お待ちしておりました」


「……セルマさん」


 控えていたのは、セルマだった。

 連盟の女子職員。絡繰からくり仕掛けで稼働する《機甲人形オートマタ》にして、サイラスの部下に当たる人形の少女。


 支部長はそんなセルマへ鷹揚な素振りで手を振ると、シド達へ向けて「さ」とてのひらで馬車を示した。


「乗ってください。オルランドまでお送りしますよ。今日は大変な目に遭われて、さぞお疲れのことでしょう? みなさん」


「わざわざ送ってもらわなくとも、歩いて帰れないこたないんだがね」


「いえいえ、それはワタシどもが困ってしまいます」


 にべもない調子で軽口を叩くユーグに、支部長は「ヒッヒ」と笑った。


「なにせ、ワタシどものもとへもたらされた事態の情報はおそるべきものでした。

 あろうことか、五百年前にオルランドと最後の戦いを繰り広げた伝説の魔獣、《幻想獣キュマイラ》が現れたというのですから――ワタシどもは事態の全容を正しく確かめ、善後策を練らなければならないのです。ご理解いただけますかアナタ」


 支部長は丸眼鏡越しに、、媚びるような上目づかいでシド達全員を見渡した。

 こちらの反応を卑屈に伺うような――そのくせ、目を合わせたこちらの背筋が冷たく縮み上がるような、冷厳たる圧を宿した双眸であった。


「みなさんへも、ワタクシども連盟から聴取のお願いに伺うことになるかと思います。どうかその聴取が終わるまでの間は、今日この《箱舟アーク》であったことは、ご内密にお願いいたしますよ。ええ」


「内密ときたか。内密で済まなかった場合は、一体どうなっちまうのかね?」


「ヒィーッヒッヒッヒ! それはもう、我々すべてにとって、困ったこととなってしまうでしょうねえ。重々、心に留め置き、お口に封をお願いいたしますよ、アナタ」


 重ねて「ヒィーッヒッヒッヒ」と肩を震わせて笑った支部長は、サイラスと戦士団を促して、《箱舟アーク》へとその踵を返した。


「セルマさん。みなさんをそれぞれの宿へお送りしておくように」


承知しましたアイ・コピー――拝命いたしました、支部長様」


「結構。ああ、そちらの竜人ドラゴニュートの方――いえ、水竜人ハイドラフォークの方ですかな? その方は別ですよ。おそらく市内に宿をお持ちではないでしょうから、今晩は連盟の一室をお貸しして、お世話をするよう手配なさい。いいですね?」


承知しましたアイ・コピー


 深々と腰を折って叩頭するセルマを残し、先遣隊は《箱舟》へ戻っていく。ラズカイエンがその背中を睨みやり、忌々しげに舌打ちした。


「……ラズカイエン」


「ああ」


 分かっている、と唸り、それ以上は言うなとばかりに手を振って寄越すラズカイエン。


「……すみません、シドさん。私もこの場は失礼を」


「ああ、うん。……なんか、ごめんね。気を遣わせちゃって」


「いえ……」


 サイラスは、場の空気に当惑したような体で脚を止めたまま、一人その場に取り残されてしまっていたのだが。

 そう言って、シド達へぎこちない一礼を残すと、足早に一団の後を追っていった。



 そんなことがあって、そして一夜が明けた翌朝――現在である。


 連盟が手配した馬車で《Leaf Stone》へと帰ったシドは、エリクセルとナザリの夫妻が用意してくれた夕飯を眠い目をこすりながら平らげると、あとはベッドにとびこむなり、前後不覚で泥のように眠った。


 今日の朝食は、森妖精エルフ風の仕立てだった。

 季節の果実とナッツ類、あとはチーズが中心だったが、ウサギのローストに果実のソースをかけたものや、複数の茸をたっぷりに油と挽肉を加えて炒めたものも出た。朝からたっぷりした食事が出たのに、クロが目を丸くしていた。


 エリクセルやフィオレの部族である《真銀の森》は朝食と夕食の二食が常態で、日中の労働を念頭に朝食は特にしっかりと採る。量の多さはそれゆえのものだったが、そうした習俗を知らない人間からすれば、驚かされるものではあっただろう。


 唯一、これは《真銀の森》で見た覚えのない薄焼き麺麭パンも供されていたが、これはローストや茸、チーズなどを挟んで食べるものであった。


 二階の広間で、床に敷いたクッションへ腰を下ろし、エリクセルとナザリの夫婦を加えた五人で朝食を囲む。

 朝食のメニューは森妖精エルフ風だったが、朝食のスタイルは昨日と同じ山妖精ドワーフ式。大皿に盛った料理を囲みながら手元へ料理を取り分けて、旨い朝食にしばし舌鼓を打つ。


「そういえばだけど、シド。今日はこの後どうするつもり?」


 ひととおり、皿の上の料理を平らげてから。食後の茶を啜っていたフィオレが、ふと思い出したように訊ねてきた。その隣のクロはといえば――さすがに朝から量が多すぎたということか、クッションを枕にくたりと横になっていた。


「……そうだなぁ」


 曖昧に応じながら。シドもまた、香りのいい茶を注いだ陶製の湯飲みを傾けた。


「連盟から連絡を寄越すって言ってたから、あんまり遠出はしない方がいいんだろううけれど……とはいえ、買い物はしたいんだよなぁ」


 今日のシドが着ている服は、昨日ロキオムに買ってきてもらった間に合わせではなく、部屋に置いてきた自分の着替えだった。ただ、足元に穿ける靴は予備として持っていたサンダルくらいしかなく、さすがにブーツの換えまでは備えがない。

 冒険の負荷に耐えうる頑丈なブーツは買いなおさなければならないし、他の装備も新調が必要だ。何せ、鎧の類は石化の吐息ブレスですべてダメにしてしまったし、剣も《キュマイラ・Ⅳ》と諸共に《塔》の底だ。


 シドのことばかりではない。

 しばらくシドとフィオレのもとで預かることとしたクロへも、男物の服ではなく、ちゃんとした服をあげなければいけない――何せ今も《塔》でロキオムが買ってきた男物のシャツを重ね着して丈の短いワンピースのようにしているし、昨日の夜には、フィオレの寝間着ネグリジェを貸さなければならなかったらしい。

 服ばかりではなく、諸々の日用品の備えもだ。


「おおい、ちょっといいかい」


 階下から、ナザリが上がってきた。振り返るシドとフィオレを見渡し、彼女は言う。


「あんたらに客だよ。下で待ってもらってる」


「もしかして、連盟の方ですか?」


 心当たりを口にするシドに、ナザリは「いんや」と首を横に振った。


「一昨日、ウチへ飯を食いに来た客だよ――ほら、軌道なんとかいう冒険者の」


 ――《軌道猟兵団》。

 シドはフィオレと、お互いの顔を見合わせた。

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