六章 おっさん冒険者によるファースト・ダンジョンアタックの終わり――それは冒険の幕引きに伴う、諸々の後始末のはじまりでもありました

119.それからの顛末①:おひとよしおっさん冒険者ことシド・バレンスが、石化の吐息を喰らっても無事だった理由について


 ユーグ・フェットの黒い外套マントを借りて――当のユーグは片足が石になっていたので、持ってくるのはロキオムがやってくれた――かろうじて、最低限の肌を隠した。

 他人のマントを腰巻代わりに使うのは大変いたたまれなかったが、それでも裸マントよりはまだしもマシというか、言い訳のつく格好ではある。


「……洗って、必ず返すから」


「要らん。それはあんたにやるよ」


 傍らで膝をついたシドに、しっしっと犬でも追いやるように手を振るユーグ。吊り上がり気味に引き攣った口元は、明らかに笑いをこらえる時のそれだった。


「返されたところで、気分としちゃ微妙が過ぎる。この先まともに使える気がしない」


「……ほんと、ごめん」


 がっくりと項垂れて、謝るしかできない。

 そんなシドのしょぼくれようにユーグはとうとう噴き出し、あとは肩を震わせて、ひたすらおかしそうに笑っていた。


 彼の外套マントを持ってきてくれたロキオムが渋面で突き刺してくる視線が、ちくちくと背中に刺さるのを感じる。

 フィオレはまだ顔が赤いままだったし、ロキオムと一緒に《塔》の麓から戻ってきたクロはといえば、形容しがたい『無』の面持ちでじーっとシドを見ていた。いろんな意味で大変いたたまれなかった。


 やがて――何を思ってか。クロはにっこりと、明るく微笑んだ。


「心配ご無用なのですよ、シド・バレンス。ほら、クロもごらんのとおり裸にマント一枚きりなのです。おそろいおそろい、なのですよ?」


「そうだね……」


 ――そういえば、そうだ。この子もずっと、裸にマント一枚きりだった。


 今の腰巻一枚スタイルを、『裸マントよりはまだしもマシというか、言い訳のつく格好』だなんて風に思ったのが、気に障ったのかもしれなかった――いろいろ忙しなかった果ての結果とは言え、クロのことはずっと裸マントのまま放りっぱなしにしてしまっていたし。


 ――というか、『心が繋がる』のって意外と大変だな、これは。


 形容しがたい空気につられてか、ユーグはいっそう大きく肩を震わせていた。


「いやはや、しかし……あんたはてっきり、石になって死ぬものとばかり思ったよ。よくもまあ、石化の吐息ブレスを喰らって命があったもんだ」


「あ! それは私も思った。シド、どうしてあんな無茶したの!?」


 まだ顔が赤いのを――あるいは、最前の一幕を思い返しそうになってしまうのを――誤魔化すように。フィオレは殊更に大きな声を張って問う。


「それは――たしかに、こうして無事だったけど、それにしたって」


「それは、本当にごめん……ただ、説明する時間もなかったから」


 シドはあらためて、己の無謀を詫びる。

 おそらく同じ状況になったなら、自分は次もやはり同じことをするだろうが――結果としてすべては上首尾に運んだとはいえ、何らの説明もなく、一人で突っ込んだという事実への後ろめたさはあった。


「でも、自爆するつもりで突っ込んだんじゃないんだ。それだけは本当に、本当だから」


 もちろん、結果として『自爆』になる可能性はあった。

 そうなったとしても『相討ち』にまでは持ち込めるだろうと、状況を図ってもいた。

 だが――


「その……何て言うのかな。俺の解呪は、俺自身の『血』にるものだから」


 クロを宝石の彫像から人へと戻した、『解呪』。

 シドは血を媒介に『呪い』と己を接続し、相手にかけられた呪いを解呪する。


 その『解呪』の技――シドの《固有魔法》の根源は、その『血』にあるのだと。解呪のやり方を教えてくれた師匠は、そう言っていた。

 他者の『才能』を見抜く力を持つという、なんとも不思議な人物だった。


 然るに、シドの『解呪』とは、シドの内にその力を有するもの。

 その行使は、シド自身の『血』によって果たされるもの。


「成程な。言われてみれば確かに道理だ――あんたの『血』が解呪の鍵だとするならば、そのあんたの『血』によって最も強く『呪い』から隔てられるのは、他ならぬということか」


「うん。まあ……そんなところ」


 ユーグがうそぶくのに、シドはばつの悪い調子で頷く。


 ――血の流れは、生き物の全身をあますところなく巡っている。


 多層魔術領域論に曰く、血の流れは霊素の流れたる霊脈と照応し、ゆえに一個の生命が有する肉体は、『外』からの魔術的干渉に対し、より強く護られているのだという。

 『石化』とは呪いであり、それは即ち、『魔法』だ。


 魔法であるがゆえに、それに対する防御は、多くの魔術的干渉への防御と同じ理路でもって成立する。


 昔、ミッグ・ザスの森で、《邪視蜥蜴バジリスク》と戦った時もそうだった。


 石化の邪視も。枯死の毒も。

 その本質が『呪詛』であるがゆえに、シドに対してはその効果をあらわすことがなかった。


 ロードが率いる知恵ある小鬼ゴブリンの助力を借りたうえでのこととはいえ、かつての自分が《邪視蜥蜴バジリスク》の討伐を果たすことができたのは、この《固有魔法》による護りがあったからこそだ。


 本来であれば、石化の邪視と枯死の毒を放つ《邪視蜥蜴バジリスク》は、名だたる英雄・英傑をもってしても、まず近づくことからして困難を伴う危険な魔獣である。

 その『危険』の存在を端から度外視でき、さらに加えて、知恵ある小鬼ゴブリン達の助力――彼らはその住処たるミッグ・ザスの森の地勢に詳しく、ロードのもとに統率された軍団でもあった――という支援まであった。


 およそ信じがたいほど恵まれた条件でもって、シドは《邪視蜥蜴バジリスク》と相対し、ゆえにこれを討伐することが叶った。


 ミッドレイから旅立った日、ヨハンは――ミッドレイの連盟支部長ドルセンの息子であり、シドにとっては幼い頃から成長を見てきた古馴染みである、あの素直な青年は、シドの《邪視蜥蜴バジリスク》討伐を、まるで英雄譚の一節でも語るかのように熱っぽく誉めそやしてくれたものだったが。


 種を明かせば、何のことはない。

 余人よりはるかに恵まれた条件で相対し、それゆえに容易な形で勝利を手にすることが叶った。 ただ、それだけのことだ。何も素晴らしくなどない。


 たまたま、余人の持たないいかさまチートじみた才能があった。

 その才能ギフトゆえに、その脅威の多くをその身に備えた『呪詛』が担保する 《邪視蜥蜴バジリスク》は、シドにとって相対しやすい魔獣だった。


 これが、たとえば《宝物を護る竜ファフニール》や《七岐首蛇竜エレンスゲ》などに代表される竜種ドラゴンの類――純然たる暴力の脅威と相対する場面であったなら、話はまったく変わっていたはずだ。


「それが理由だとすれば、あんたのその恰好も道理ではあるな。あんたの『血』が石化の呪いを退けたというのなら、確かに服や鎧は護りの外だ」


「は、ははは……」


 ユーグはシドを見遣ると、肩を震わせてくつくつと笑った。

 シドは腰巻一枚の格好で、ぎこちなく笑い返すしかできない。


「となると、エルフのお嬢ちゃんには災難だったな? 命の危機を英雄ヒーローに救われた、花の姫君が如き一幕が――あろうことかその英雄ヒーローは、石化の吐息ブレスで素っ裸に剝かれちまってたってんだからな」


 ぎくりと肩を震わせるフィオレ。長い耳までぎくりと跳ねる。

 ユーグは意地悪く、にんまりと口の端を吊り上げた。


「ああ――それとも、『役得』の方だったかい? 慎み深い姫君プリンセスが公然と男の裸に抱きつく、いい口実になったものなぁ」


「わたし、抱きついてないからね!?」


 真っ赤になって喚くフィオレ。ユーグはその反応すら愉快だとばかりに、おとがいをあげてからからと笑った。

 シドはため息をつく。


「しかし、そういうことなら、あの剣も石になっちまったか。大した業物だったが――」


 ユーグはふと、惜しむようにそうつぶやくと、直後に「いや」とかぶりを振った。


「今となっちゃ、どちらであれ大差ないか。すまない、シド・バレンス。軽口が過ぎた」


「いや……」


 シドの両手剣ツヴァイハンダーは、《キュマイラ・Ⅳ》の口腔、その奥に突き刺さったまま、諸共に《塔》の底へと落ちた。


 師匠に貰った、その師匠から聞きそびれたせいでどういった来歴のものかさえ知らないまま、ずっと使っていたものだったが――ユーグの言うとおり、業物なのは間違いなかった。

 手入れを怠ったことはなかったが、それでもシドが剣を譲り受けてから今まで、刃こぼれのひとつも見たことがなかった。附術強化剣アーティファクトの類だったのかもしれない――そのうち鑑定に出してみようかと思いながら、ずるずると先延ばしにしっぱなしだった。


 引き抜かなかったのは、《キュマイラ・Ⅳ》に『痛み』を与え続け、《咆哮魔術》を編む余力を与えないため、という理由もあった。

 だが、たとえそうでなくとも、深々と突き刺さった剣を惜しんで抜こうとしていれば、あるいはシドも最後の離脱が叶わず、魔獣キュマイラと共に奈落の底まで落ちていたかもしれない。


 ひとからの貰い物。ずっと大事に使っていた剣だったが。

 だとしても、それを思えば――この結果は、この代償は、致し方のないものだった。

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