118.そして、勝利の幕引き


 《キュマイラ・Ⅳ》を叩きこんだ《シャフト》の扉が閉じる様は、第四層にいた冒険者達の側からも観測されていた。


 目の前の結果が本当に現実なのか。それを疑うかのような、緊張に張り詰めた沈黙が――二秒、三秒、四秒……と、続く。


 そして、十を数える頃。


 その静謐が、こゆるぎもせず閉ざされた扉が、作戦の成功を意味するものであるということが、ゆっくり――ゆっくりと、実感として胸の奥まで染み透り。


「……やったぞ―――――――――――――っ!!」


「ええ――ええ! その通りです、やりましたよジム様!!」


「うぉ、うおおぉぉぉ!? マジかよオレ達、やった……うおおおおおおお!!」


「ええぇぇ!? うそうそうそ! あたし達、マジでやれちゃったの!? やっば、ええぇえええぇ!?」


「静かになさい、貴方達」


 音程の外れた歓声を上げて沸き立つ冒険者達を、リアルド教師がぴしゃりと窘めた。

 そうして叱責された中には、彼女の生徒たるジム・ドートレスの姿もあったのだが。ともあれ、


「まだ、完全な成功と決まった訳ではありません。《真人》の彼女が危惧していた可能性――幻想獣キュマイラ昇降機エレベーターの『籠』、その床を破壊して縦穴シャフトから這い上がる可能性も、またそれ以外の何らかの形で縦穴シャフトの扉を開き脱出する可能性も、今の段階で完全に否定ができるものではありません」 


 勝利に沸き立っていた彼らの高揚が、みるみるしぼんでゆく。

 そんな彼らを厳しい眼光で睥睨へいげいし――やがて、リアルド教師はその鋭い相貌へ、穏やかな微笑を広げた。


「ですが――だとしても。我々が思い描いた《キュマイラ・Ⅳ》封印の作戦計画は、見事その完遂を果たしたと言えるでしょう。

 ――皆さん、本当にお疲れさまでした」


 リアルド教師のねぎらいに、ようやっと第四層の冒険者達の間で安堵の気配が広がった。

 未だ高揚冷めやらぬ者、今になってどっと疲労に襲われその場にへたり込む者。その反応は様々だったが。


 やりきった若者達の様子に、リアルド教師は苦笑を含んで口の端を緩めていたが。

 やがて、やれやれと息をつき、ここまでまったく反応のなかった最後の一人へと振り返る。


「フィオレさん、あなたもお疲れさまでした――あなたの精霊魔術がなければ、此度の作戦は成り立ちませんでした」


「……え?」


 リアルド教師のねぎらいに、フィオレはのろのろと面を上げた。

 金糸のような髪が、汗で額に張り付いている――高揚と安堵に微笑む彼女の顔色は、血の気を失って蒼白だった。


「……フィオレさん?」


「あ、はい? えと……よかった、です。シドが無事で……わたし、ほっとして」


「……フィオレさん。落ち着いて、その場に腰を下ろすのです。ゆっくりと」


「ああ、いえ! 私、大丈夫ですから。ただ――ほっとしたら何だか、急に、体、が――」


 へにゃりと力のない笑みを広げながら。

 ふわふわとしゃべり続けるフィオレの身体が、急にふらりとよろめいた。


 ――第三層を見下ろす、穴の方へ向かって。


「フィオレさん!!」


 リアルド教師が咄嗟に伸ばしたてのひらが、フィオレの服の胸元を掠めて――その指先から、するりとすり抜けた。



 第三層のシドは、大の字で石畳の床に転がって、呆けたように高い空を見上げていた。


 清々しい、青い空だ。第三層の『空』は空間を歪ませた結果の『つくりもの』ではあるが、それでも空は空だ。


 瓦礫の破片や砂利が背中に当たってちくちくするが、今はそれも些細なことである。


 視界の端に、こちらへ駆け寄ろうとしたクロがぽかんと目を丸くして脚を止め、後から来たロキオムがさっとその目を手で覆ってやっていたのが引っかかったが――それも、今は気にするつもりになれなかった。

 安堵と疲労で、身体から力がぜんぶ抜けてしまったみたいだった。


 危険な事態でないのは何となくの気配で分かる。

 ならば、それらに注意を向けるのは後でもいいはずだ。


(………………終わった)


 心地よく深呼吸して、体中を新鮮な空気で充たす。

 ――そういえば、あちらからもこちらの結果は見えているだろうか、と。ふとそんなことが引っかかって、シドは四層へ続く大穴を振り仰く。


 その先の光景に、さぁっと血の気が引いた。


 四層の穴の縁で、誰かが大きくよろめいた。

 誰か? いや、違う。あれは、


(フィオレ!?)


 体の発条ばねを利かせ、一挙動で横方向へ半回転。

 起き上がるのももどかしく、石畳を蹴って走る。


 糸の切れた繰人形のように力なく、フィオレの身体が頭から落ちる。

 糸の切れた操り人形のように脱力しきったその様は、完全に意識を失った人間のそれだ。


 ――


 いかなる『魔術』を以て行使しようと、魔法を形作る力の源、その根源は術者自身の魔力――あるいは、その身体に流れる《霊脈》を満たす、霊素の力である。そして、他のあらゆる力がそうであるのと同様に、魔力もまた有限のリソースだ。 


 体内の魔法が底を打ってもなお魔術を編み、撃ち続けた結果として――総身を維持する霊脈レイラインの霊素までも魔法として注ぎ込んだがために、体の負荷がとうとう限界を越えたのだ。

 人間よりはるかに魔法に近しい森妖精エルフであろうと、行使しうる力の限界を越えれば、身体がもたない。


「フィオレぇ――――――――――――――――――っ!!」


 少女の身体が落ちる、その直下へ滑り込む。

 自身の身体そのものをクッションにして、シドは間一髪、フィオレの身体を抱き留めた。


「フィオレ――フィオレ!?」


「ぅ……」


 抱きかかえるように受け止めたフィオレの顔は蒼白で、呼吸も浅かったが。シドの呼びかけに、きつく眉をしかめるその様は――少なくとも、生きてはいた。ちゃんと。


 ――よかった。


 は――――っ……と、深く息をついて、シドはようやく安堵した。

 魔法切れのためか、苦しげな身じろぎを繰り返していたフィオレの瞼が、うっすらと開いた。

 ぼんやりと焦点を喪っていたエメラルドの瞳が、やがて――ゆっくりと、シドを見上げる。


「シド……?」


「ああ」


 うっすら浮いた冷たい汗に、肌を濡らしながら。呆けたようにシドを見上げていたフィオレは、やがて、へにゃりと力のない笑みを広げた。


「よかったぁ……シド……ちゃんと、無事で……」


「……俺?」


 怪訝に唸るシド。フィオレは「うん」と頷く。


「もう、ダメだって、思った……シドが、あいつの吐息ブレスに突っ込んで、いって……」


 ――《キュマイラ・Ⅳ》の。フィオレの言わんとするところを察し、シドは言葉に詰まる。あれはあれでシドなりに勝算があってやったことではあったが、確かに傍から見れば、自爆同然の特攻であっただろう――事実としてそうした形で、最大限に上手くいって相討ちで終わることも十分にあり得たという自覚もある。


 フィオレは安堵に瞼を閉じて――まるで仔犬か仔猫のように、抱きかかえるシドの胸へと頬をすり寄せた。


「あったかい……」


 そうして――感じる体温の心地よさに頬を緩めながら、身を寄せて。

 ふと、頬に感じる感触に違和感を覚えたらしい。ぱちりと目を開け、その目を驚愕に剥いた。


 あ、これはまずいやつだ――彼女の反応で今の我が身に、その現状に思い至って。

 あまりのことにフィオレの身体を即座に放り出しそうになり、だが寸前でその衝動を自制して。シドは他にどうしようもなく、心を無にしてすべてを天の采配へと委ねた。


 ――シドは裸だった。

 一糸まとわぬ全裸だった。

 服は《キュマイラ・Ⅳ》の石化の吐息ブレスで石へと変わり、ぜんぶ砕けて剥がれてしまった。


 あと――多分、フィオレのお尻の辺りに、当たってはいけないものが当たっていた。


「ひゃ、きゃ……ひゃああぁぁあぁ!?」


 ようやっと意識が覚醒して、今の自分が置かれた状況を理解したのだろう。

 フィオレはわたわたと、腰が抜けてしまったみたいにへなちょこの四つん這いで、シドの腕から抜け出した。

 そのまま、べちょんと。頭から地面に突っ伏してしまう。


「フィオレ!? 大丈――」


「平気! へいきだから! だいじょうぶっ……だから!!」


 顔を石畳に突っ伏したまま、てのひらだけを向けてくるフィオレ。

 こちらへ背中を向けているせいで顔色はうかがえなかったが、金糸を思わせる髪の間から伸びる長い耳は、茹で上がったみたいに真っ赤だった。


「その……ごめん、フィオレ。何て言うか」


「いいから!」


 顔から落ちた痛みに肩を震わせ、事態を理解してしまったがゆえの羞恥に耳まで赤くしながら。フィオレは喚いた。


「いいの! 本当にいいから、気にしないで!! あなたが無事でよかったし――わたし、よかったって、本当に……思ってるから!」


「……ありがとう」


「どういたしまして!!」


 いたたまれない思いで、シドは背中をまるめる。

 今更そんな風にしたところで何を挽回できるでもなかったが、全裸のまま堂々と胸を張るようにしているのは、それこそいたたまれなかった。

 ああ――そういう事だったか。

 ロキオムが、クロの目を両手で覆っていたのは、そういう。


 不意に、どこからか笑い声が響いた。

 ただただ、おかしくてならないというように、声を高らかに笑っていた。


 振り返ったその先には、最前までのシドのように大の字で横になった、ユーグ・フェットの姿があった。

 空を仰ぎながら、黒衣の冒険者は少年のように笑い続けていた。


(ああ……)


 その様に――毒気を抜かれた心地で、シドは力のない息をつく。何てしまらない幕引きだろうか。


 ああ、でも――そう、そうなのだ。


 これが、幕引き。

 その実感が、ようやくシドの中にも灯る。


 幾度も覆されそうになりながら。最後には、真人クロの助力すらも借り受けて。

 それでも、伝説の《キュマイラ・Ⅳ》との戦いに――自分達は、幕を引いたのだ。


 この手で。

 勝利と共に、その幕を引いたのだ。


 ――と。


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