117.今こそ掴み取れ、おひとよしおっさん冒険者の大勝利! VS最強魔獣《キュマイラ・Ⅳ》、究極無双最終大決戦!!!!/完



 ――シドは走っていた。



 課せられた役割は既に果たした。

 扉を開け放した《塔》の開口部が旋回を終えるまで時間を稼ぎ、《キュマイラ・Ⅳ》は作戦通り、巨人スプリガンの剛腕によって投げ飛ばされた。

 踏ん張る地面もなく、低い放物線を描いて飛ぶ魔獣の身体――その真芯へと、束ねた『風』の魔術を叩きこみ、投石器スリングショットのようにその身体を打ち出し、《塔》の中へと叩き込む。


 作戦は上手くいった。

 やりきったはずだった。


 それでも――それでもなお、度し難く嫌な、冷たい予感に急かされて。頭の奥、うなじのあたりで激しく鳴り続ける警鐘に突き動かされて。シドは《塔》へと走った。



 ――果たすべき仕事を果たせ。



 時間稼ぎではない。

 《キュマイラ・Ⅳ》を、《塔》の底へと封じることを。

 

 そのための、すべてを果たせ。


 激しく吼え猛りながら、獅子の頭が開口部から飛び出した。

 血――あるいは血のような赤い液体を撒き散らしながら、バキバキと骨が砕けるような音と共に生えた、一対の竜の腕。その指に生えた鉤爪を杭のように深く石畳へと突き立て、《キュマイラ・Ⅳ》はなおも第三層へ這い上がらんともがく。


(ああ、そうとも。分かっていた――俺は身をもって、分かっていたはずだ!)


 仲間達の戦略を。幾度も自分が抱きかけた、勝利の、あるいは拮抗の確信を。

 《キュマイラ・Ⅳ》は次々と覆した。シドの油断が、緩みが生んだ隙を貫いて、その『最強』たる所以を明らかとしつづけた。

 ああ、何と恐ろしい敵だろう。英雄オルランドは、その旗のもとに集った戦士達は、破壊を恐れて攻撃を手控える理由すら存在しなかったろう、野戦の全力を振るうこの魔獣と――真っ向から相対し続けたというのか。その身に勇気を奮い立たせて。


 討滅など望むべくもない。退ける試みさえ、いとも容易く破綻しかけた。


 ゆえに――これは、最後の一瞬まで戦わなければならない『敵』だ。

 『勝利』しなければならない『敵』だ。


 腰だめに長大な両手剣ツヴァイハンダーを構え、シドは騎兵のように吶喊とっかんする。

 未だ装甲で視界を塞ぎながら、それでも接近する『敵』の存在に勘付いてか。《キュマイラ・Ⅳ》は唸る響きと共に、そのあぎとを開く。


 吐息ブレスが迸った。


 煙のように広がる、


(――やはり、来た)


 扇状に広がる灰白色の吐息ブレスと相対しながら、シドは足を止めなかった。左右に避けることもしなかった。

 足に力を籠め、さらに加速した。


「正気か!? 何を!!」


けろ、死にたいのか!?」


 ラズカイエンが。ユーグが。叫ぶ声を、うなじを通して遠くに聞く。

 聞いただけだ。意識はそれらを顧みることなく、目は前だけを見据えている。


 雷槍も炎閃の吐息ブレスも、これまで一度としてシドを捉えることができなかった。

 肉薄する『敵』を迎撃せんとしたところで、また同じように雷槍の狙いを振り切られ、あるいは紙一重で吐息ブレスの火閃をかいくぐられるかもしれない。


 《キュマイラ・Ⅳ》はシドを倒す必要などない。ほんの一時、怯ませさえすればそれでいい。

 その怯みが作った僅かな隙、その時間で、己の身体を《塔》の外へ引き上げさえすれば、それでいい。

 《キュマイラ・Ⅳ》は死なず、疲れず、常に万全の状態で『敵』と相対する。ゆえに、《塔》の奈落から這い上がりさえすれば、すべては振り出しに戻る。戻すことができてしまう。


 だから、この局面における最後の迎撃は、必ずだと見切っていた。

 『これ』を越える他に術はないと、一振りの剣のようにつよく確信していた。


 今や剣のように研ぎ澄まされた心は、目の前の『敵』と、相対する己――ただそれだけを、静止した水鏡のように映している。

 見据えるその先に、相対する『敵』の姿を映す心の鏡だ。


 ――《キュマイラ・Ⅳ》は、未だその装甲を解いていない。

 ――だが、


 視界の確保を尾の蛇たちへと委ね、目まで完全に覆うほどの装甲を展開しながら。しかし、迎撃の吐息ブレスを吐くために、《キュマイラ・Ⅳ》は自身の口だけは、塞ぐことをしなかった。


 吐息ブレスを放った《キュマイラ・Ⅳ》のあぎと。その位置を。

 目の前に広がる灰白色の煙越しに見据え、静かに予測する。


(――怯むな)


 怯むな。惑うな。怖気おじけるな。

 そこに、勝利の確信があるならば。

 退けばけるぞ。止まれば終わるぞ。


 ――だから、退くな。止まるな。心の底から勇気を奮え。


 当たり前の人間の、当たり前の勇気を掲げて。

 今この時だけでいい。シド・バレンスよ、

 勇敢に、最後まで


「シド――!」


 遠く、誰かが名を呼ぶ声を置き去りにして。

 シドは隼のように、石化の吐息ブレスへ――そのさらに先へ、特攻する。



 《キュマイラ・Ⅳ》は高らかに雄叫びを上げた。


 勝利の確信に沸き立ち、愚かにも石化の吐息ブレスへ飛び込んだ『敵』を嘲笑った。


 《キュマイラ・Ⅳ》は死なない。

 《キュマイラ・Ⅳ》は疲れない。

 終わることなき永久とこしえの万全として在り、最後には必ず『敵』をほふり潰す!


 すべては『咎人とがびと』を討ち、『ひと』を護らんがため。

 揺り籠の世界を終焉おわらせたる咎人を滅殺めっさつし、あるいは《箱舟アーク》の深奥へ封印し。再びこの揺り籠の護りクレイドル・アークの内へ、『ひと』の世界を取り戻さんがため。


 『最強』たるを希求され、『最強』たる証明を以てその役目を終えた、ゆえにもはや顧みられることなく打ち捨てられたる魔獣わたしへ与えられた、たった一つの新たな『使命』――この身に残る、ただ一つの存在理由しめいのために!



 我が身の『使命』を、果たさんがために!!



 ひとつ、『敵』を討ち滅ぼした。

 その勝利を知らしめ、それを以て有象無象の『敵』を挫かんがため、キュマイラ・Ⅳは高らかに吼え猛る。


 ――キュマイラ・Ⅳには、『それ』が見えなかった。

 獅子頭の視界を装甲で塞いでいたがため。その閉塞を補う『蛇』の目は、未だ《塔》の奈落、その内側にあったがために。


 ――キュマイラ・Ⅳには『それ』が聞こえなかった。

 視界を封じた獅子頭に『敵』の存在を関知せしめた、聴覚――肉薄するその足音を聞き分けた耳は、勝利の確信と、他ならぬ自身の雄叫びが塞いでいたがために。


 石化の吐息ブレス、その灰白色の霧を裂いて飛び出したのシド・バレンスを、《キュマイラ・Ⅳ》は観測できなかった。


 石と化した鎧が、外套が、服が、鉄靴ブーツが、灰色の花びらのように剥がれて散り、風に捲かれて置き去りとされてゆく中を。


 剣の煌めきのように。あるいは夜を駆ける流星のように駆けて。


 石と化すことなく残った生身で、石と化すことなく残ったそのつるぎを手に。


 一瞬の閃光のように駆け抜けたシドの存在を、その接近を《キュマイラ・Ⅳ》が肌に感じた時には――腰だめに構えた長大な両手剣ツヴァイハンダーが、真っすぐに突き入れられていた。


 シドの身体ごと、魔獣の口腔へ。その奥と。

 吶喊した剣が、《キュマイラ・Ⅳ》の喉奥を貫く。


 全身を装甲でよろったキュマイラ・Ⅳの、それでも護られることなくあったその内側へ――シドの剣が、深々と突き刺さった。


 痛みが。

 嵐のように荒れ狂った。そしてその嵐は、一度では終わらなかった。



「ぅううりゃああああぁぁあああぁぁ――――――――――――!!!」



 渾身の力を込めて。シドは喉奥へ突き立てた剣を、直上へと斬り上げた。

 体の内側。あらゆる生命にとって脆弱な肉が、おぞましい音を立てて斬り割られ、かき回される。


 目の前が明滅する。喉の内側から溢れる鮮血に溺れかけながら、魔獣は訳も分からず喚き散らす。その度し難い痛みを齎す根源を除かんと、ただ本能的に、その両手を痛みの源へ――口腔の奥へと、伸ばす。


 その時、獅子頭へと届き得た、最も間近な腕を。

 第三層の床へ爪を立てていた、竜の前腕を。


 《塔》の縦穴へ、ずるりと巨体が滑り落ちた。

 痛みだけが感じられるすべてとなった《キュマイラ・Ⅳ》は、自分の肉体が落下しようとしていることさえ、観測できていなかった。


 《キュマイラ・Ⅳ》と共に落ちる、落下の浮遊感を感じながら。

 シドは《キュマイラ・Ⅳ》の舌を強く蹴って、後ろへ跳んだ。


 頭蓋へ向けて、深く突き立った剣の柄から、その手を離して。


 第三層の空が、目の前いっぱいに広がる。

 顎を引いて《塔》の開口部を見遣り、落ちてゆく《キュマイラ・Ⅳ》を確かめながら――シドは力の限り、叫んでいた。



「今だ、クロ! 扉を閉じて――――!!」



 ――空気が抜けるような音と共に、扉が閉じる。


 魔獣の断末魔も、落ちゆく姿をも、そのうちへと封じて。


 背中から落ち、息が詰まる。


 くらくらする頭を振って見遣った先――ぴんと張り詰めたように音の絶えたその先で、《塔》の扉は確かに閉じて、元の静謐を取り戻していた。


 大きく、深く――いつしか止めてしまっていた息をついて。


 シドはとうとう大の字になって倒れ、高く広い空を仰いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る