106.勝利の糸口を掴め! いざ、《キュマイラ・Ⅳ》迎撃大作戦!!!⑤



「ユーグ……?」


 ただならぬ気配を感じ取って。フィオレが不安に眉をたわめた。


「待って、ユーグ。あなた、いったい何を考えて」


「黙ってろ、お嬢ちゃん。今この時、あんたの見解なんざお呼びじゃない」


 視線はクロへと注いだまま。

 ユーグはフィオレの呼びかけを一蹴する。


「思うに、こいつは非常に大事なことだ。お願いだから正直に答えてくれよ、宝種オーブのお嬢ちゃん――?」


 繰り返す、その詰問に。

 クロは、やがて――ちいさく、力のないため息をついた。


「――《キュマイラ・Ⅳ》に与えられた命令は、この揺り籠の世界クレイドルを取り戻すこと」


 ――この世界に、安寧と平穏を取り戻すこと。


 そのために下された指令は、みっつ。


「『ひと』を護ること。


 『敵』を討つこと。


 そして――揺り籠の世界クレイドル終焉おわらせた咎人とがびとを探し出し、封じ込め、再びこの《箱舟クレイドル・アーク》に、『ひと』の世界を取り戻すこと――」


「そうかい。つまりはそいつが、事の真相ってワケか」


 黒装束の戦士の、黒い外套マントがかかる肩が、震えていた。

 くつくつと、ユーグは肩を震わせて、笑っていた。


 その手が、腰の後ろに下げた短剣の柄へとかかった。


「待ちなさい!」


 その動きを見て取った瞬間。

 クロとユーグの間に、フィオレが割って入った。


「ユーグ・フェット、あなた――その手は何のつもり!? 今、この子に何をするつもりだったの!!」


「おっと――」


 クロを背にして庇うように立ち、厳しく睨み据えるフィオレの目を一瞥して。

 ユーグは口の端に薄い笑みを浮かべながら、短剣の柄から手を離した。


「すまない、エルフのお嬢ちゃん。ちと気が逸っちまった――ああ、確かにそうだ、この制止はまったく合理的だ。やるなら一撃で確実に、一瞬でやらないとな。階下の魔獣バケモノ


「何を……」


「何だ、意外に察しが悪いんだな? この局面でやることに向かって、今更『何』ってこたないだろう」


 当惑を露わに呻くフィオレへ。

 ユーグは、にぃっと口の端を吊り上げて嗤った。


「《幻想獣キュマイラ》の撃退」


 ユーグは言う。

 ゆっくりと、物わかりの悪い子供へ噛んで含めて伝えるように。


「そのために。俺はこの戦いのを断とうとしただけさ――あの《幻想獣キュマイラ》を呼び起こした、その元凶をな」



 ――再び、第四層の冒険者達を、沈黙が支配した。

 張り詰めた弓弦のような。今にも引き千切れんばかりの、緊迫が齎す静寂だった。


 そんな中で真っ先に我に返ったのは、ユーグと正面から対峙するフィオレだった。


「どういうこと……?」


 クロを後背に庇いながら、フィオレはかすかに震える声で問い質す。

 恐怖ゆえではない。ひどく胸をざわつかせる、不穏な緊張がもたらす震えだった。


「この子が、《幻想獣キュマイラ》を呼び起こした?……あなた、いったい何を根拠にそれを」


「その答えなら、そこの宝種オーブのお嬢ちゃんが教えてくれたばかりだろう。《幻想獣キュマイラ》に与えられた命令は、『ひと』を護り、『敵』を討ち、咎人とがびとを探し出す」


 フィオレの肩越しに、クロを――その傍らに巨人スプリガンを従えた少女を見遣り、ユーグは言う。


「英雄オルランドの時代から五百年もの間その姿を見せなかった、かの《幻想獣キュマイラ》が再び姿を現したのは、その命令を果たすためということさ」


「貴様、まさか――」


「英雄オルランドの叙事詩サーガ、そのはじまりは知っているな?」


 ジムの呻きへかぶせるように問いながら、ユーグは一同を見渡した。


 ――今より五百年の昔。

 《地中海イナーシー》沿海に住まう人類と妖精種は、《箱舟アーク》より怒涛の如く溢れ出た数多の魔獣、魔物どもの蹂躙によって、滅びの淵に立たされていた。


 恵み深き地中海イナーシー沿海は魔物どもの狩場と呼ぶべき地獄と化し、数多の町と森が焼け、国が滅びた。


 その、絶望の只中にあって――ひとりの不屈なる戦士が立ち上がった。


 戦士の名は、オルランド。


 男は一振りの剣を手に人々の先駆けとなり、地を埋め尽くす魔物どもを前にか弱き民草を護るべく、無謀ともいえる戦いに挑んでいった。


「何故、魔物は《箱舟アーク》から溢れ出たか。これは言うまでもなく、世界アークを壊した『咎人』とやらを探すためだ。

 何故、魔物どもは《地中海イナーシー》沿海地方の人類を蹂躙じゅうりんしたか。こいつはおそらく、『咎人』とやらを探すのに邪魔だったからだ」


 ――何故。

 人々を護る英雄オルランドの戦いが、その始まりへと至ったのか。


「そいつは『ひと』を護るため。つまりはこの《箱舟せかい》の住人を――を護るため。

 『ひと』を護り、『敵』を討ち、『咎人』を探し出す。即ち、『ひと』とは《真人》であり、『敵』とは《地中海イナーシー》沿海地方の人類であり、『咎人』とはそのどちらでもない誰か」


 ――いや、と。


 朗々とした語りを、一度ひとたび切って。ユーグはどこか愉快げな面持ちで切れ長の眦を細め、ゆるゆるとかぶりを振った。


「おそらくは、この《箱舟アーク》を『《真人》種族の遺跡』に変えてしまった。それが『咎人』とやらの真相だ。違うか?」


「……まさか、そんなことが」


 ジムが呻いた。朗々としたユーグの弁舌から導き出されたその答えが信じられず、《賢者の塔》の研究員たる彼はまるで雷に撃たれたかのように、愕然とおののいていた。

 リアルド教師やウィンダム――同じく《賢者の塔》の研究員たる魔術士達も、彼と同じ表情をしていた。


 そう――



のさ、ここには。はるかいにしえにこの世界を去ったはずの《真人》種族が、この《箱舟アーク》の中には――当たり前にたむろしていた。そういうことなんじゃないのかい? 《真人》種族のお嬢ちゃん」



 クロのいらえはない。

 しかし沈黙は、今この時においては、このうえないほど雄弁な回答だった。


「いや――待て、ユーグ・フェットとやら!」


 はっと我にかえって。

 前のめりに割り込んだのは、やはりジム・ドートレスであった。


「確かに! 彼女の復活と時を同じくするようにして、あの《幻想獣キュマイラ》が現れた事実は認めよう――だが、だとしても! その一事のみをもって、よもや彼女がその『咎人』なりとでも断じるつもりか!? そのような憶測による断定を、認められる道理など!!」


「あんた、学者先生の割に物分かりが良くないな? それとも、まだ混乱でもしているのかい、ここまでの事態に振り回されっぱなしでよ」


「何を!?」


「べつに俺は、このお嬢ちゃんがその『咎人』やらだなどとは思っちゃいない。むしろ、その『逆』だ」


 ユーグは大仰に肩をすくめる仕草をして、そして言った。


「英雄オルランドの叙事詩サーガを思い出せ。かの伝説の終わり、幻想獣キュマイラは遂に隷下の魔物と共に塔へと逃げ帰り、長き戦いは終わりを告げた――だが、不思議だな? 何故に幻想獣キュマイラは、突然に《箱舟アーク》へと逃げ帰った?」


 英雄オルランドの叙事詩サーガが謳い伝えるところによれば、かの幻想獣キュマイラは二度の昼と二度の夜、三度の落陽を経てもなお戦い続けるオルランドと、その旗のもとに集った戦士団にとうとう恐れをなし、隷下において生き残っていた魔物どもを引き連れて、《箱舟》の塔へと逃げ帰っていったとされる。


「だが、おそらくはそうじゃない。もとより叙事詩サーガが伝える戦いの幕引きなぞ、往時の吟遊詩人どもがこじつけた空想の産物だ。そして今この時には、もっと合理的な理由がここに在る――即ち、『命令が不成立になったから』」


 《キュマイラ・Ⅳ》に与えられた命令。



 『ひと』を護り、

 『敵』を討ち、

 『咎人』を追跡する――



「その完遂が、成立しえないものとなったからだ。戦い護るべき『ひと真人』が、この《箱舟アーク》にひとりもいなくなったから」



 最前に、ユーグはクロへと問うた。この塔には五百年前まで、《真人》種族が生きていたのではないかと。クロの応えはなく、それこそが明白な回答であった。


 ユーグの脳裏へ、その問いを導いたもの――即ち、これこそがその理由。


 すべての『ひと』が消え果てれば、かの命令は果たし得ない。

 もはや《キュマイラ・Ⅳ》は誰一人とて、『ひと』を護ることなどあたわない。


 ゆえに、



「そこに戦いの意味は無く。だから《キュマイラ・Ⅳ》は、戦いをやめたのさ」


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