103.勝利の糸口を掴め! いざ、《キュマイラ・Ⅳ》迎撃大作戦!!!②


「フィオレ! こいつは俺がどうにか時間を稼ぐ! だからその間に――」


 階下の第三層からこちらを振り仰ぎ、シドが呼びかけてくる。


「こいつを倒す手立てを! こいつを、何とかする手段を――見つけ出してくれ! 頼んだよ!!」


 その――言葉を。彼の頼みを。

 その、信頼を。受け止めて。


 彼の戦いを見守りたいと願ってしまう自分の弱きを、惰弱を振り切って、フィオレは即座に行動を起こした。


「――クロ!」


 穴の縁から離れ、立ち上がって踵を返すなり。フィオレはつかつかとクロへ歩み寄り、びくりと竦む彼女の両肩に手を置いて――視線の高さを合わせながら、《宝種オーブ》の少女と、正面から向かい合った。


「お願い、力を貸して。私達は、あの《幻想獣キュマイラ》をどうにかしなくちゃいけない――そのために、あいつのことを教えてほしいの。あなたが知っていることを」


「フィオレ・セイフォングラム……でも、わたしクーは」


「お願い、クロ!」


 頭を下げて、フィオレは訴える。


「お願い。私達を――助けて」


「…………フィオレ」


 力なく、項垂れて。

 深く頭を下げるフィオレのつむじを、苦しげに見つめながら。


 やがて――クロは、深く、力のない息をついた。何かを振り切るような、あるいはすべてを諦観するような、微かな息遣いだった。


「《キュマイラ・Ⅳ》は、この揺り籠クレイドル――《箱舟アーク》の守護者として、譲り継がれた幻獣です。いずれかの日に、《箱舟アーク》へ存続の危機が訪れた時、その外敵を、脅威を打ち払う守護者と据えられた、『最強』の幻獣ガーディアンなのです」


 クロは言った。雨垂れを垂らすように、ぽつり、ぽつりと。

 ぱっ、と顔を上げるフィオレの顔を、力なく眉を垂らしながら、じっと見つめて――クロは続ける。その二人へ、周囲の視線が集まっていた。


「その前提として、《キュマイラ・Ⅳ》を殺す手段はありません――本当に、何もないのです」


「そんな生き物はいないわ。血が流れているものなら心臓を、思考する生き物なら脳を――弱点になる重要な器官さえ破壊できれば、生き物は殺せる」


のです、フィオレ。それが《キュマイラ・Ⅳ》です」


 ――いえ、と。クロはかぶりを振った。


「フィオレの定義に則るなら、《キュマイラ・Ⅳ》は生き物の定義にさえ当てはまるものではありません。あれは《キュマイラ・Ⅳ》という、『最強』たることを求められた『存在』。そういうことになるででしょう」


「そんなの……」


「《キュマイラ・Ⅳ》に、他の生命と同じ意味での脳はありません。心臓も同じです。食事を栄養に変える機構は内蔵していますが、根本的な意味で食事による栄養補給は不要ですし、排泄もしません。あるのは総身を巡る霊脈網群レイライン――そこを循環する高密度霊素が、《キュマイラ・Ⅳ》の動力です」


 クロは言う。


「負傷した際に流れ出た血も、正しい意味での血液ではないそうです。それでもって生体原動力として成立しうる高々密度の液化霊素ジェムが、物質領域アッシャーにおける血液のように観測できているだけなのです」


 多層魔術領域論において、生命の体内を循環する霊素の流れ――霊脈網群レイラインとは、魔術領域における『血液の循環』として照応するものであるとされる。

 その逆として、魔術領域における霊脈網群レイライン――そこに流れる高々密度の霊素が、あたかも『血液の流れ』のよう観測されている、という理路である。


「――そして、止める方法もありません。《キュマイラ・Ⅳ》は命令が有効である限り稼働し、その命令は条件を満たす限りにおいて、自動的に成立しつづけます」


 即ち――《キュマイラ・Ⅳ》とは、正しい意味の『生物』ではない。

 ひとつの目的と志向性に基づき、『かくあれ』と造り出された被造物――人造の存在なのだ。


「……長い話になりそうだな」


「ラズカイエン? どこへ」


 のそりと身を起こしたラズカイエンが、床に開いた大穴へと向かう。

 呼びかけるフィオレへ振り返り、ラズカイエンは唸るように応じた。


「面倒な話にはつきあっていられん。オレは戦士だ。戦士の借りを返しにいく」


「……シドを、助けてくれるの?」


「貴様ら人間サルの浅知恵で、この先どうするつもりでいるのかは知らんがな」


 ふん、と鼻を鳴らし、ラズカイエンは背を向けた。


「いずれにせよ、やるなら早くすることだ。あの戦士とて所詮は人間サル、どこまで耐えられるやら――知れたものではないぞ」


 それだけ言い、ラズカイエンは第三層へと身を躍らせた。

 ――重苦しい沈黙が、第四層の一同に広がる。


「呼吸はどうだ」


 口を挟んだのは、ユーグだった。

 石化したルネを、近くにいたロキオムへ預け、つかつかと二人の少女のもとへ歩いていく。


「雄叫びを上げ、吐息ブレスを吐くということは、何らかの形で呼吸はしているはずだ。そのための器官もある。違うか」


「『ある/なし』二択の話でいうのなら、ユーグ・フェットの言うとおりです」


 クロは認めた。しかし、


「けれど、たとえ何らかの手段で呼吸を不可能にしたとしても、《キュマイラ・Ⅳ》が絶命することはないでしょう。呼吸が生命活動に関与していないからです」


「だとすれば、あの魔獣は一体どうやって生き続けているのです?」


 ジム・ドートレスが疑問を口にする。


「植物でさえ、大地の養分と水分、そして陽の光がなくば枯死します。貴女はキュマイラ・Ⅳの動力が霊素であると仰いましたが、それとて『消費』されるものであるはずだ。外部からの供給ないし生成なしに、失ったぶんを取り戻せるものではない――生成さえ、外部からの補給なくばその『材料』は得られない。それらなくして稼働できる『存在』など、本当にあり得るものなのですか?」


「ジム・ドートレスの疑問は正しいものです。たしかに生命ならずとも、そんな『存在』はあり得ないものです」


 そうしてクロが視線を向けたのは、周囲を囲む壁だった。


「《箱舟アーク》外壁――そのもっとも内側を巡る『内壁』は、分子レベルで霊素供給を発振し、かつ命令を伝達しうる情報素子を内蔵した演算型特殊霊性金属です」


「分子?」


 フィオレに疑問を呈され、クロは意表を突かれたようにきょとんと眼を瞬かせた。「ええと」と唸り、適切なことばを探す風で思案する。


「……物質を構成する最小単位、と思っておいてください。正しい説明ではありませんが、この場ではそういうことで話を通せますので」


 そう要約し、クロは話を続ける。


「つまり、《キュマイラ・Ⅳ》の思考と動力は、完全にあの個体の『外』にあるのです。

 《箱舟アーク》の管理演算基――そのうちで《キュマイラ・Ⅳ》の管理に充てられた領域が、《キュマイラ・Ⅳ》へ動力源たる霊素を供給すると共に、課された命令に基づきその身体を駆動させています。言うなれば――」


 クロはおとがいを上げ、天井を仰ぐ。


「――この《箱舟アーク》そのものが、《キュマイラ・Ⅳ》の脳であり、心臓、ということになるのでしょうか」


「その動力なりなんなりを破壊しなければ、あの魔獣は止まらないということ?」


「おそらく、としか言いようがありません。誰もそれを実行したことがないからです」


 フィオレが詰め寄るように問うのに、クロはかぶりを振った。


「そも、最地底階層の主動力基をはじめとする二十八基ないしそれ以上の動力炉、ないし分散配置された管理演算基――《箱舟アーク》のどこにあるかも分からないこれらすべてを破壊してまわるというのは、現実的な試みではないと思いますよ」


「確かに」


 ジムが苦々しく首肯する。

 フィオレがキッと眉を吊り上げた。


「そこで納得してどうするの!?」


「しかし、事実です。英雄オルランドが没して以降、およそ五百年に及ぶ探索において、彼女が言う『動力』ないし『頭脳』が発見されたという記録はありません」


 ジムは言う。


「『それ』であると特定されなかっただけか、あるいは我々の踏破領域に『それ』そのものが存在しなかったのか。

 いずれにせよ、ここは未踏遺跡です。我々の既知たる踏破域は、この《箱舟アーク》のすべてではない。むしろ、限られた一部に過ぎない――そのうえで、今から『それ』らすべてを探し、さらに破壊するだけの時間があると考えるのは、妥当なものですか?」


 ――時間が無限であれば、それも可能かもしれないが。

 返す言葉もなく、フィオレは唇を噛む。よしんばそれが叶うとしても、まずシドを救うには間に合わない。


「そして、これは同時に――『命令の書き換え』による《キュマイラ・Ⅳ》の停止という手段の、不可能性でもある。

 仮に、我々がその方法を正しく把握していないという点を棚上げしたとしても、我々がその『命令』のもと幻獣を駆動せしめる本体、管理演算基とやらへの接触アクセスをなしうるのは、前提として可能なのかという問題です」


 ジムは答えを求めるように、クロを見た。

 クロはいたたまれなげに、視線を逸らす。それが答えだった。


「駆動せしめる命令を取り消すための――そのために行くべき場所さえ、我々には定かでないということです。即ち、ここは《真人》種族の遺跡――絢爛たる魔法文明を誇った、旧種族の遺産であるということだ」

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